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出雲の誕生~邪馬台国全史4

更新日:3月8日

第143話


「おやっさんはもうとっくに逃げた。お前が討ちに来ると聞いてな」建甕槌(タケミカヅチ)は言った。「そやからお前は、もう役目をはたしたんや。」

「そうか、ほんなら、ヤマトは、、」

「お前のもんや。」

「で、軍はそれで納得したんか。」

「おやっさんの軍はわしが引き継いだ。」

「ほんなら、、、」ウマシマジの頭は一瞬真っ白になった。建甕槌が軍を引き継いだということは、建甕槌が長脛彦になったということではないのか。しかも建甕槌は彦幸(ウツシコオ)に忠誠を誓っているようだ。


その時、突然、二人のいる部屋の扉が開いた。若い男が入って来た。小柄だが目つきが鋭くギラギラ光っている。一目でただ物ではないことが分かる。腰には長い太刀を履いている。

まだ十三歳のはずなのに威厳に満ちあふれている。


「御牧入彦殿や。」建甕槌は言った。御牧入彦殿は、ウツシコオの次男の菟道稚郎子(うじの・わき・いらつこ)のことだ。菟道は内(うち)で、稚(わき)は若、内(ウツは地名〒614-8227)の若様という意味である。最近、ウマシマジの兄の大彦(タカクラジ=開化天皇)の養子になったばっかりだ。


御牧入彦(ミ・マキ・入彦)は、黙ったまま右手を挙げた。すると後ろいた者が何かを手に捧げ持ってきて、ウマシマジの前に置いた。それは金色に輝く大きな銅鐸と銅剣だった。


「出雲や」ウマシマジはつぶやいた。「わしは出雲になったんや。」ウマシマジはすべてを理解した。孝元天皇(饒速日)の三男のタケハニヤスは山代国(京都府)愛宕郡の出雲(現在は出雲路)に領地を持っており、タケハニヤスは出雲の王と呼ばれていた。 

今から五年前に、タケハニヤスは反乱を起こしたことから、出雲は大和の敵という意味になっていた。タケハニヤスの乱最終章


ウマシマジは、頭を下げて銅鐸を手に持った。それは、ウマシマジが御牧入彦に降伏するということを意味した。ヤマトは、自分の領地ではない土地に赴き、平和に取引をする者には銅鐸を渡し、敵対する者には、攻め滅ぼした後に銅剣を授けていた。


御牧入彦は、黙ったままウマシマジに近づき、銅鐸を手に取り、床にたたきつけ更に腰に履いていた剣を抜き銅鐸に切りつけた。銅鐸は真っ二つに割れた。


    

※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。


京都市北区に出雲郷が存在していました。正倉院文書という奈良時代の歴史資料が残っていますが、この出雲郷には出雲臣(いずもおみ)という姓を持った人たちが住んでいました。




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totake hide
totake hide
Nov 07, 2023
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根の国  ~島根、鳥取


246年 46歳 国譲り~孫のミマキイリヒコを崇神天皇 大彦33歳:衰弱 事代主4歳

     ウマシマジ31歳、タケヌナカワはタケミナカタ 

247年(正始8年)、邪馬台国が狗奴国との紛争を魏に訴えるために魏に赴く。

     ・載斯烏越(ウツシコオ)、長脛彦の最後  卑弥呼死去49歳

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