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邪馬台国はミマキ国 ~枚方

更新日:4月25日

第1話 ミマキ国は邪馬台国


崇神天皇ことミマキイリヒコ(御牧入彦)が大阪府枚方市の出身であることは一般にはほとんど知られていないのが現状のようです。しかしこれは事実なのです。

例えば、地域文化誌「まんだ」では、加治木義弘氏(言語復元史学学会会長)や瀬川芳則氏は伊加賀色男命(イカガシコオノミコト)の居留地が枚方市の伊加賀であることの述べておられます。

また大手前大学教授の上垣外憲一は「謎の四世紀」の中でミマキ国について書かれておられます。上垣内先生は 葛城・秋津島を発見された考古学の大家です。


 京都府久世郡久御山町に御牧小学校があります。京阪電車で樟葉の隣が牧野です。

更には京都府の京田辺市、高槻市に古代地名ミマキに由来する地名が点々と残っている。

御牧入り彦のミマキはこのマキです。高名な先生方はミマキをミマで切ってミナマと安易な連想される傾向があるのですが、何の根拠もありません。


 御牧入彦の母親はイカガシコメ(伊加賀色許売命)で今も枚方市にある意賀美(おがみ)神社(枚方市枚方上之町)に屋敷があったとのことです。

またこの場所には4世紀に造られた万年寺山古墳があり銅鏡8枚が出土しています。


私は趣味でオーケストラをしていて、練習場として伊加賀小学校を使わせてもらっていました。なおコンサートミストレス(女性のコンサートマスター)の実家が意賀美神社だったので、私にとっては御牧入彦はとても親近感上があります。


ミマキ国が大和山朝廷で、その時代の宰相であるウツシコオ(内色許男命)が難升米だと思われます。難升米は魏に行ったことは魏志倭人伝に書かれています。

考古学者の上垣内憲一先生はこの内色許男命はの出身地について内里であるとされています。天王山の麓で木津川、淀川、桂川が合流地点にのすぐそばが内里(京都府八幡市内里:内はウチ)です。近くにはミマキ(御牧)郵便局(京都府久世郡久御山町)があります。

対岸は山崎で美称を付けて大山崎です。男山八幡、天王山などがあり、交通の要所です。私は山崎のインターから京滋バイパスに入り滋賀県の会社に車で通勤しています。最近発見された淀津遺跡もすぐそばです。 


つまりミマキ国が邪馬台国だと断定できます。




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



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