第49話
タケハニヤス(武埴安彦命)は、日本書紀によれば、孝元天皇と妃である埴安媛(はにやすひめ)との間に生まれた皇子です。上垣内憲一先生は、奈良県五條市周辺が、阿太(アタ)と呼ばれていたことに注目されておられます。付近に阿太小学校、阿陀比売(アダヒメ)神社などがあります。
記紀には、神武天皇の最初の妻はアヒラ姫と書かれています。日向のアタ出身の阿比良比売と書かれているため、神武東征の根拠ともされていましたが、上垣内先生は、きっぱりとアタは、九州のアタではなく五條市のアタと言い切っておられます。日向のアタは後付けです。
五條市は、紀ノ川下流域と上流の吉野川との交通の要衝です。アタ一族は、紀ノ川の水運業で当時は栄えていたと思われます。三島の溝杭のような人物がいたと思われ、その娘のアタ姫を神武は娶ったと思われるのです。記紀は、この話を神武が三島の溝杭の娘を娶った話にしてしまっていると思います。
神武天皇(実は饒速日)とアタ姫との間に生まれた子が、タギシミミ(手研耳)です。
そしてこのタギシミミは、カミヌナカワ耳(第2代天皇 綏靖)に殺されてしまいます。この話は、タケハニヤスの乱を元に後に改変されたものと思われます。
私がスサノオと思っている孝霊天皇の子が孝元天皇です。孝元天皇の妃がハニヤス姫です。そして孝元天皇の子が大彦(大国主)とハニヤス彦(本名タギシミミ:手研耳)です。日本書紀にはハニヤス彦の妻が吾田姫(アタ姫)と書かれています。
紀ノ國の制覇をめざした、スサノオはアタの地でアタ姫をめとり、タケハニヤス(本名はタギシミミ)が生まれました。タギシミミは反乱を起こし、大彦(本名 カミヌナカワ)によって打ち取られます。乱の原因は同じ水運を司る三島の溝杭こと事代主(大国主の子)との利権争いでしょう。タケハニヤス(タギシミミ:手研耳)はアタ族の利権を引き継いでいたと思われます。アタ族のトップであったハニヤス姫(アタ姫)も殺されてしまいます。日本書紀では、大坂(二上山)の戦いで天皇(大彦)の軍に切られたとあります。
タケハニヤス(タギシミミ:手研耳)を祝園で打ち取った見事な手腕をみて恐れたのが、最近になって頭角を現してきた孝元天皇の宰相ウツシコオです。このままでは、大和(邪馬台国)は大彦(大国主)の物になってしまうと考えたウツシコオは、策略をはりめぐらせます。
孝元天皇を失脚させ(おそらく乱の責任の一端を追及されたのでしょう)、イカガシコメ(自分の娘で孝元天皇の后)を開化天皇に嫁がせ、出雲(三島)の国譲りを図ります。
大彦の子の名前が、タケヌナカワ(武淳名川別)と記紀に書いてあるので、大彦のカミヌナカワとの対比で 大彦=大国主=カミヌナカワ=綏靖天皇であることは間違いないでしょう。古事記によると、大国主はコシの沼河比売(ヌナカワ)を妻にしようとはるばる訪ねて行き、歌を詠み交わして次の日に結ばれたといいます。
ヌナカワは、ヒスイの原石産地です。
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※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。