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丹・朱を求めた天皇たち

更新日:2023年11月18日

第63話


上垣内憲一先生によると、これまでこのプログで触れてこなかった第六代考安天皇も奈良県御市の銅山の開発にたずさわっていたとのことです。つまり欠史八代すなわち第2代綏靖天皇から第9代開化天皇まで、すべて鉱山の経営を行っていたのです。神武(孝霊天皇)も鉱山を開発しています。天皇=大穴持(オオナムチ)だったのです。そして、当時の鉱山は九州と奈良に集中しています。邪馬台国九州説、近畿説が生じた理由はここにあります。


鉱物は、丹と呼ばれ、日本の各地に丹生(ニュウ)という地名があります。

古代では丹以外の様々な鉱物:硫化水銀、マンガン、錫、銅なども一括して丹と呼んでいたのでしょう。魏志倭人伝にも「出真珠 青玉 其山有丹”」の記載がみられます。


神武は、和歌山に入り名草戸畔(トベ)を殺しています。名草は「朱」の産地です。朱=羽生は水銀です。西国三十三所巡りで有名な紀三井寺に行った時にそこが名草だと知りました。


和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野には丹生都姫神社があります。丹生都姫は名草戸畔の事と思われます。なお名草には、太田黒田遺跡があり、孝霊天皇の黒田宮、鍵・唐古遺跡とも関連があり、私が神武=スサノオ=孝霊天皇とする所以です。


さらに神武は息子のタギシ耳とともに熊野の荒坂で丹敷戸畔を殺しています。丹敷戸畔はニシキ・トベと読むのではなく、敷はフと読み、ニフ・トベです。ニフは丹生で丹敷戸畔も丹生都姫です。各地にある入野、入谷などの地名も「入=ニュウ=丹生」とすると、鉱山に関連のある地名です。


崇神天皇のミ・マキ・入彦の「入」も鉱山に関連のある名前ではないでしょうか。

イニエという名前が、イナに由来するいう記事を書きました。為奈部には池田市畑に秦野鉱山があります。


しかし崇神天皇はその後、農業に力を注いだようなのです。

鉱山で産出した物質の輸送手段として使ってきた河内湖、奈良盆地湖を干拓し、さらに溜池を作っています。崇神以降の天皇は、鉱山とはそれほど関わらず農業に転向したようです。


崇神天皇はハツクニシラス(御肇國天皇 )とい呼ばれる所以ではないでしょうか。とすると神武天皇のハツクニシラス(始馭天下之天皇)は、鉱山に手を付けた始めたということです。

              {参考文献} 「謎の四世紀」上垣内憲一 



※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

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