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  • tootake

奈良に湖 もう一つの古代高速道路か 

更新日:4月10日

第26話~市杵島姫命


大倭(やまと)には 群山あれど、とりよろふ 天の香具山。 登り立ち 国見をすれば、国原は 煙立ち立つ。 海原は 鴎立ち立つ。うまし国ぞ。あきづしま大倭の国は。


有名な舒明(じょめい)天皇の国見の歌のですが、「海原は 鴎立ち立つ」の海原とは何でしょう? 実は奈良盆地には大きな池があったのです。



今回は、鍵・唐子遺跡の話です。


奈良盆地中央部にあり、遺跡面積は約30万平方メートル以上。規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見されています。全国からヒスイ土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落です。ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されています。


私の疑問は、何でこのような遺跡が奈良盆地にあったのかということでした。邪馬台国時代の奈良盆地には、何もないはずなのです。御牧国や三島(御島)から見れば僻地です。

恭仁京もかなり僻地ですが、あそこは古代の高速道路が通っています。

鍵・唐子には、三島から行くには不便です。しかし、孝霊天皇(おおやまとねこひこふとに)は黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)をこの鍵・唐古遺跡の近くに置いたのです。

なお、この辺りに保津という地名があます。保津は、亀岡から流れる保津川と関連があります。ミホツ姫(御保津姫)の保津です。


亀岡→保津川→山代川(淀川)→三島ルートです。


欠史八代の天皇はほとんどが、御牧国、三島(元来の奈良)の近くに住んでいたはずです。しかし、孝霊天皇だけは、オオヤマトという名がありながら、奈良盆地の僻地に宮を構えました。ヤマトはミマキ国(御牧国)です。


やっとその理由が分かりました。上記の奈良盆地にあった大きな湖です。この湖は、大和川につながっています。この池を利用すれば、大阪湾(チヌの海)に出られるのです。そこから淀川(当時は河内湖)を通り、三島に行けるのです。

孝霊天皇の妃は、味舌姫(真舌媛)です。


三島には、「味舌」というところがあります。事代主神後裔氏族(カモ族:三島の溝杭の子と)に関わる地名であり、味舌の北東4.3kmに、溝咋神社が所在することから、一帯が、事代主神を属性とする水運の要衝であったことがわかります。『紀』孝霊紀2年2月条に、后について、「一に云はく、十市県主等が祖が女真舌媛といふ」とみえる、真舌媛は、当地に関わると推測されます。


この味舌も私が小学生の頃の遊び場です。

味舌(ました)は、千里丘陵から安威川右岸に広がる、中央を山田川が流れる長方形の地です。だから、ピンときました。孝霊天皇も元々は三島の人間だったんです。


中世の味舌庄にあたり、甘舌・真舌とも書かれ、淀川下流の有力な分流の1つである、三国川に面し、対岸の地、鯵生(あじふ)野は、『住吉大社神代記』の「長柄船瀬本紀」にみえる、遣唐使船に荷物が積み込まれたという、長柄船瀬(港津)の地に比定されます。


黒田宮→奈良盆地湖→河内湖→山代川(淀川)→三島(味舌)ルートです。


真舌媛はここルートの守り神となり、徐々に市杵島姫命として全国的にあがめられ最終的に宗像三女真になったのです。真舌媛は、宗像三女神! ~三島(茨木市)


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



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tootake
Sep 25, 2023
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