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​邪馬台国は北摂


私は趣味で市民オーケストラをやっておりました。その練習場として枚方市の市民会館を使用していました。団員が増えたため当時団長だった私は新たな練習場を探していました。幸い枚方市内の小学校の音楽室を借りることができました。それが伊加賀小学校です。おかしな名前だなと思って図書館で調べてみたところ、なんとあの崇神天皇の母親、イカガシコメの住んでいたところだったというのです。それからいろんな古代史の本を読んで調べて見ますと様々なことが明らかになりました。

私は三島郡三島町の生まれです。小学校は三島郡三島町「三宅小学校」です。
小学生のころ自転車を買ってもらって、勇んで近所を走り回りました。
しばらく走ると、奈良というところに着きました。むろん奈良県の奈良ではありません。大阪府茨木市の奈良です。
玉串、五十鈴、沢良宜、天王などという少し変わった地名もありました。茨木の「木」は城のことで茨で築いたような頑強な城という意味です。
最近、茨木市の奈良という地名を不思議がった大阪ローカルのテレビ局が神社の宮司にその由来を聞いていましたが、宮司は「昔、奈良の神社にお参りに行った人がいて、大変ご利益があったのであやかって奈良にした」
と答えていましたが、笑ってしまいました。いかにも凡人がその場しのぎで答えそうないいわけです。
東奈良遺跡という大きな遺跡が発見される前のことです。
https://www.pref.osaka.lg.jp/bunkazaihogo/maibun/higasinara_h25_.html
この時は知らなかったのですが、五十鈴姫は神武天皇の后、玉串姫はその母親です。三島の溝杭については神武天皇の東遷の際に道案内したとされる矢田烏であるともされています。

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