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市寸島比売は厳島!~広島・三島

更新日:2023年10月8日

第64話


宗像三女神について、もう少し調べて見ました。すると、、

古事記では

 ①多紀理毘売命/奥津島比売命(奧津宮) 

 ②市寸島比売命/狭依毘売命(中津宮) 

 ③多岐都比売命(辺津宮)

日本書紀では  

六段本書 ……  ①田心姫 ②湍津姫 ③市杵島姫

六段一書一 …… ①瀛津島姫 ②湍津姫 ③田心姫

六段一書二 …… ①市杵島姫命(遠瀛) ②田心姫命(中瀛) ③湍津姫命(海浜)

六段一書三 …… ①瀛津島姫命/市杵島姫命 ②湍津姫命 ③田霧姫命


第三の一書では、最初に生まれた瀛津嶋姫(おきつしまびめ)の別名が市杵嶋姫であるとしている。

中津宮の「湍津姫神(タギツヒメ)

中津宮 - 市寸島比売命(いちきしまひめ) 別名 狭依毘売(さよりびめ)

『古事記』・『日本書紀』第二の一書では、3番目に化生し、辺津宮に祀られる。

『日本書紀』本文・第一の一書・第三の一書では、2番目に化生し、中津宮に祀られる。

辺津宮(へつみや) - 多岐都比売命(たぎつひめ)湍津姫命(たぎつひめのみこと)

『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。

神奈川県藤沢市江の島江島神社の社伝では、「中津宮は、市寸島比賣命いちきしまひめのみことをお祀りしています。」と書いてあります。


上記は、何度読んでも混乱するだけです。訳が分かりません。要するにイチキシマ姫(市寸島比売命)以外、田心姫、湍津姫は本当は存在せず創作されたのではないでしょうか?

更に検証しました。高津姫 ~岩船街道 (hidemaru3375.com)も見てください。


確かなのは、イチキシマ姫が実在したということです。すでにこのプログでは、イチキシマ姫は、三島のマシタ姫であることを明らかにしています。


三島には、「味舌」というところがあり、『紀』孝霊紀2年2月条に、后について、「一に云はく、十市県主等が祖が女真舌媛といふ」と書いてあります。


マシタ姫は河内湖から奈良盆地湖への道:三島から孝霊天皇のある黒田宮への水運の安全を祈る女神から、日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する神(宗像三女神)になったと思われます。味舌庄は、甘舌・真舌とも書かれ、淀川下流の有力な分流の1つです。三国川に面し、対岸の地、鯵生(あじふ)野は、『住吉大社神代記』の「長柄船瀬本紀」にみえる、遣唐使船に荷物が積み込まれたという、長柄船瀬(港津)の地に比定されており、これらのことから、マシタ姫(真舌媛)は、水運の安全を願う神に仕立てられたのです。


各地の神社に宗像三女神が、主祭神とともに祀られています。そこは海辺か、川の近くの神社です。宗像三女神は厳島として祀られています。


厳島(イツクシマ)は、イチキシマ(市寸島比売)だと思われます。安芸国佐伯郡の伊都伎島神社(厳島神社)の社伝には、厳島の由来は御祭神である市杵島姫(イチキシマヒメ)の名が転じたものとも、神宿り斎く島として神を祀り仕えるという意味の斎(いつき)からきているともされています。後に三女神をともに祭るようになったそうです。


広島県の厳島は瀬戸内海交通の要所、イチキシマ(市寸島比売)が厳島に祀られるのは当然でしょう。


余談ですが、市杵島姫命とミホツ姫(御穂積姫)は同一人物という説もあります。二人とも大国主の妻です。



※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

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