top of page
地名から読み解く邪馬台国


吉野ヶ里遺跡の銅鐸
第1198話 邪馬台国九州論者である和辻哲郎氏は、次のように述べられておられます。 「近畿圏での祭祀に用いられたと思われる銅鐸は、大和朝廷成立後我が国の歴史に一切現れず、代わって九州地方の祭器・神器であった銅矛・銅剣・銅斧などが神話に登場している。剣は、天皇家の三種の神器の一つにまでなっている。もし天皇家が近畿圏で発生し、邪馬台国から大和朝廷へ発展したのならどうして銅鐸の記憶が人々の頭から消えてしまったのか。 邪馬台国が九州から来て大和朝廷を樹立し日本を統一した、と考えるのが妥当である。」 銅鐸は近畿のものであって九州にあった邪馬台国が近畿を征服しそれと同時に銅鐸は打ち壊され銅鐸文化を持つ勢力は衰退したというのが、かつての邪馬台国九州論者の主張でした。 「かつて」と書いたのは、九州論者が邪馬台国との関連で登場する吉野ヶ里遺跡でも1998年には銅鐸が遺跡の周辺部で発見されたからです。 考古学的には 吉野ヶ里遺跡周辺から小銅鐸鋳型が出土していることが知られています。 吉野ヶ里遺跡をはじめとする北部九州での銅鐸・青銅器鋳型出土と、私が邪馬台国としている
tootake
3 時間前読了時間: 8分


雨生池の大蛇伝説~新潟県三条市下田
第1197話 先日、NHKの日本百低山で新潟県三条市下田にある番屋山が登場していました。 番屋山は「日本ブナ百名山」にも選ばれるほど豊かなブナ原生林が広がっていることで有名です。番屋山(ばんややま)の山名について、番組では、「ブナ林を守るための番屋」という風に紹介していました。 ブナの木は、網目状に根を張り巡らせるため、保水力を高めると同時に土砂崩れを防ぎ地盤を安定させる自然の機能を持っています。そのため番屋山にはブナの木が伐採されないように番屋がおかれたいうのです。 番屋山の麓には守門川(すもんがわ)が流れています。守門川の源流である守門岳周辺は、大昔の火山噴出物が広く分布しており、非常に崩れやすい地質です。 上流の吉ヶ平地区は県の「地滑り指定地」にもなっており、ひとたび集中豪雨が起きると、大量の土砂や岩が川へ一気に流れ込む土石流(山津波)の危険性が極めて高いエリアです。昭和39年の豪雨では、民家や学校、橋が流失する甚大な被害を出しています。 また守門川の守門川が注ぎ込む本流の五十嵐川(いからしがわ)は、新潟県内でも有名な「暴れ川」です。...
tootake
1 日前読了時間: 6分


佐渡の長谷寺
第1196話 #度津神社 #長谷寺 #行基 先日、ぼんやりテレビを見ていたら、佐渡島の長谷寺が映っていました。 佐渡にも長谷寺(はせ寺)があるんだと思っていたら、長谷寺(はせ寺)ではなく「ちょうこくじ」というのだそうです。長谷寺(ちょうこくじ)は、新潟県佐渡市長谷にある真言宗豊山派の寺院です。 調べてみると、長谷寺は(ちょうこくじ)は、天平年中( 729 年)の行基が、当嶺に登って供養修禅をした所で、「平城天皇の大同 2 年( 807 年)弘法大師の創肇なり」と古伝縁起に記されています。 行基、空海と言えば台与です。行基、空海の伝説が台与の行く先々に現れるということはこのブログで、何度も何度も書いています。 *空海(弘法大師)~第900話:川崎大師:大師は太子!? 第901話:弘法大師(空海)の伝説の真相 *行基~行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。~野崎観音(第630話)・嵐山(第629話) 大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区) 長谷寺(はせ寺)は台与と関係の深い寺院です。第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜
tootake
2 日前読了時間: 5分


岐尼神社~大阪府豊能郡能勢町
第1195話 前回:三草山と美奴売神で書いた三草山は、大阪府豊能郡能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町の府県境にあります。 その三草山の登山口近くに岐尼神社(きね神社:大阪府豊能郡能勢町森上)はあります。 創建は延暦元年(782年)で、祭神は、瓊瓊杵尊、天児屋根命、枳根命、多田満仲です。 社伝によれば、当社の南方にある小丘に神が降臨し、土地の人々は臼の上に杵を渡し荒菰を敷いて神を迎えたと伝えられています。これにちなみ「杵宮」と称したと言われ、神が降臨した山を今も「天神山」と称しています。 大名草彦(大名草比古:おおなぐさひこ)は紀伊国第五代国造で、紀氏の祖先とされています。第318話:空海のルーツは内色許男命! では、空海が高野山造営にあたって、空海が協力要請の手紙を送った手紙の中に大名草彦があることを紹介しました。 「私(空海)の先祖太遣馬宿禰は、あなたの国(紀伊国)の祖である大名草彦の分かれであります。」と高野雑筆集には書いてあります。 そして第502話:武内宿禰はウツシコオ(2) 、第1138話:武内宿禰はウツシコオ:AIとの対話(5)などで、武内
tootake
3 日前読了時間: 5分


三草山と美奴売神
第1194話 三草山(みくさやま)は大阪府豊能郡能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町の府県境にあります。 この三草山にも神功皇后*の伝説が残っています。 摂津国風土記に、神功皇后が三韓征伐に出兵しようとした時、この山からは猪名川を下っていった先にある川辺郡神前松原(尼崎市の神崎もしくは豊中に比定)において戦勝祈願していたところ、猪名川上流の能勢の美奴売山(みぬめ山)の神がやって来て、「美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利するであろう」と告げたといいます。そこで、神功皇后はその通りにしたところ、勝利を収めた。その帰り道、古代には南に突き出した岬となっていた灘沖の茅渟の海上で船が動かなくなってしまったので、船上にて占いを行ったところ、これは美奴売山の神の意志であるとわかったという。そこで、その場に美奴売神を祀ったのが、現在も神戸市灘区内に残る敏馬神社(みぬめ神社)であるという。また、後代の研究や史料によれば、この美奴売山こそが、現在の三草山であるという。なお、摂津国風土記には、美奴賣松原という項目が万葉集注釈の第三巻にあり、これは、摂津国風土記からの写
tootake
4 日前読了時間: 6分


摩耶山:兎我野(3)
第1193話 第1191話:兎我野・梅田~大阪の邪馬台国で兎我野のことを書きました。 前回:若一王子~兵庫県神戸市灘区では、王子について書きました。 今回は、摩耶という地名について考えます。 神戸周辺の「摩耶」という地名は、神戸の北側にそびえる摩耶山に由来しています。 その山の名前は、仏教の開祖であるお釈迦様の生母、摩耶夫人(まやぶにん)から名付けられました。 摩耶山は、平安時代、空海(弘法大師)が唐から持ち帰った摩耶夫人像を、山頂にある忉利天上寺(とうりてんじょうじ)に安置したことが始まりとされています。 摩耶夫人は安産や子授け・子育ての守護仏として広く信仰を集め、そこから山そのものが「摩耶山」と呼ばれるようになりました。 忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある摩耶山真言宗の大本山の寺院で、本尊は十一面観音菩薩と仏母摩耶夫人尊。釈迦の生母である摩耶夫人を本尊とする日本唯一の寺で、通称は天上寺といいます。 忉利天上寺は、大化2年(646年)に孝徳天皇の勅願で天竺の伝説的な高僧法道仙人によって開
tootake
5 日前読了時間: 6分


若一王子~兵庫県神戸市灘区
第1192話 兎我野(2) 前回:兎我野・梅田~大阪の邪馬台国で兎我野のことを書きました。 兎我野が史書に登場するのは、神功皇后摂政前記に、「菟餓野に出でて、祈狩(ウケイガリ)して曰はく、「もし事を成すこと有らば、必ず良き獣を獲むという」とあり、この兎我野にて狩猟を催した記録があります。 この「菟餓野の誓約」の場所に関しては、この大阪市の兎我野町の他、兵庫県神戸市灘区の都賀川流域という説もあり、日本書紀の記述の前後を考えると神託により廣田、生田、長田の兵庫県の大阪湾沿岸を抑えている事や、忍熊王らの軍が神功皇后らを待ち構える為に陵墓造成の為と偽って明石あたりに出征していた事などから神戸説が有力です。 そこで、兵庫県神戸市灘区の都賀川流域の地名を調べてみました。するといくつか気になる地名がありました。 今回は、王子という地名について考えます。 兵庫県神戸市灘区王子町は、「王子村」という地名、およびその村名の元となった「王子神社」に由来しています。 「王子」とは、 神道(特に熊野信仰)において、本宮の神の御子神(眷属)を祀る小さな神社を「王子」または「
tootake
6 日前読了時間: 7分


兎我野・梅田~大阪の邪馬台国
第1191話 昨日(2026.9.23)太融寺で開かれた落語会に行ってきました。 太融寺で落語会が開かれることは、第1166話:源融(みなもと の とおる)で書きました。 落語会は、太融寺の本坊の2階で開かれるのですが、1階では太融寺の前身である安曇寺から出土した高坏などが展示されていました。そして太融寺の現地名は大阪府大阪市北区太融寺町ですが、旧地名は兎我野(とがの)だということも知りました。 安曇寺の「安曇」は、安曇(阿曇)氏はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)一族としています。~第591話:彦狭知の物語(3)~安曇氏 古事記では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記され、新撰姓氏録では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記されています。 綿津見神(わたつみ)は台与です。~第848話:hidemaru3375.com/post/底津少童命(わたつみ) 兎我野の「兎」は菟道稚郎子の「菟」と同義で、聖徳太子(豊聡耳命)=台与(豊)のキーワードであるとしてきました。つまりこの太融寺があるあたりは、ウツシコオ
tootake
9月24日読了時間: 6分


空印寺と「ちいかわ」
第1190話 #八百比丘尼 #人魚伝説 空印寺(くういんじ)は、福井県小浜市小浜男山にあります。本尊は馬頭観音。小浜藩酒井家の菩提寺で、境内に八百比丘尼入定の洞穴があることで知られています。 八百比丘尼は、荒礪命(あれとのみこと、膳臣(かしわでのおみ)*の祖・佐白米命(さしろめのみこと)の子で若狭国造の祖)の末流である当国勢村高橋長者の姫であったとされています。斉明天皇の白雉5年に誕生し、肌は白玉のように容顔美麗で、智徳万人に優れていました。齢16歳の時、龍王*が白髪の翁*となって現れ人魚の肉を与えます。姫はこれを食べたところ、不老不死となり、幾百歳を経ても16歳の時の容顔から変わることがありませんでした。120歳にして髪を剃り諸国を巡遊し、ここに50年、あそこに100年と止住し、所々で堂社を修造し、また道路を開き、橋梁を架け、五穀樹木の繁殖を教え、また尊皇奉仏、五常の道を授けた。よって諸国の旧蹟のある所は勿論、広く尊崇を集めたとされています。 この空印寺をいま爆発的にヒットしている『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』と絡めて論じる人(サイト)があ
tootake
9月23日読了時間: 7分


己高山と国友村~滋賀県長浜市
第1189話 琵琶湖の北にある滋賀県長浜市は、仏教文化財の宝庫です。ことに観音菩薩像が濃密に分布し、集落の数に匹敵するほど多くの観音像が今なお村人たちによって大切に守られています。 平安時代に遡る古像も多く、近年は、「観音の里」と称されて、四季を通じて全国各地から多くの方々が参拝に訪れます。豊かで恵まれた自然・風土の美しさ、人情厚い土地柄、そこに佇む仏像がもつ高い歴史的、芸術的価値などが、当地を訪れる人々の心をとらえて離さない魅力となっているのでしょう。 滋賀県は古くから観音信仰が非常に盛んな地域で、日本で最も歴史のある観音巡礼「西国三十三所」のうち、滋賀県には全国的にも有名な6つの札所(観音霊場)があります。 (12)正法寺→第858話:岩間寺と狗奴国:塔の峰 (13)石山寺 →第857話:石山寺:石(岩)と金 (14)園城寺(三井寺 観音堂)→第860話 :園城寺(三井寺) (30)宝厳寺→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖 (31)長命寺→ 第709話:hidemaru3375.com/post/長命寺:武内宿祢と聖徳太子 ...
tootake
9月22日読了時間: 7分


虎姫伝説~与志漏神社
第1188話 滋賀県長浜市の虎姫という地名があります。全国でも「虎」の付く地名はここだけです。 虎御前山という山もあります。虎御前山の名の由来は、昔、井筒(いつづ)という泉のほとりに住んでいた娘が、旅の途中に道に迷って助けられたのが縁で、世々聞(せせらぎ)という名の人物と愛し合って結婚します。ところが、顔は人間だが体は蛇の子を一度に15人も産むます。娘は嘆き悲しんだ末に女性ヶ淵(みせがふち)に身を投げて死んでしまったといいます。娘の名は虎姫(とらひめ)といい、この山が虎御前山あるいは虎姫山と呼ばれるようになった由来とされています。 滋賀県長浜市には与志漏(よしろ)神社があります。木之本町古橋 与志漏神社は延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に式内社として記載され、平安時代から鎌倉時代にかけては己高山七大寺(己高山五箇寺とも)に数えられた鶏足寺の鎮守社として社運も隆盛しました。境内にある戸岩寺は霊亀2年(716)に創建されたもので行基菩薩がこの地に移し戸岩寺と名付けたと云われています。 与志漏神社の社伝は次のようなものです。與志漏神社~考証参
tootake
9月21日読了時間: 8分


廣田神社(大阪市)と 五十狭茅宿禰
第1187話 前回:廣田神社~撞賢木厳之御魂天疎向津媛で、「荒魂を皇居*の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い。」とありこれが廣田神社の創建の由来とされています。*皇居~意味不明:大阪市浪速区にも廣田神社があるので、浪速の宮(難波京)のことかも。と書きました。 大阪市浪速区にあるの廣田神社の創建年代は不明ですが、神功皇后が三韓征伐から戻ってくると忍熊王が反旗を翻していた。皇后は王を避けて難波に上陸しようとしたが、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。そこに廣田の地に天照大神の荒魂を祀るようにとの神託が降りたので、皇后は天照大神の荒魂・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命を祀るや船が動き出したという。という神戸の廣田神社と同じ創建伝説があります。 兵庫県西宮市大社町の廣田神社と違うのは、大阪の廣田神社には「忍熊王が反旗を翻していた」という記述があることです。 日本書紀によれば、新羅征討(三韓征伐)の途中で仲哀天皇が崩御し、神功皇后は筑紫で誉田別尊(ほむたわけのみこと=応神天皇)を出産します。それを聞いた忍熊皇子は、次の皇位が幼い皇子に決まる
tootake
9月20日読了時間: 7分


廣田神社~撞賢木厳之御魂天疎向津媛
第1186話 第1184話:神功皇后と瀬戸内海では、「台与が立ち寄った場所が神功皇后の伝説になったのだと思います。」と書きました。 前回:生田神社とカマボコでは、生田神社にも「神功皇后が三韓外征の帰途に神戸港で船が進まなくなった際、神託によって現れた祭神の稚日女尊(わかひるめのみこと)が「私は活田長峡国に居りたい」と告げたため、そこに神社を創建したと伝えられています。 生田神社(兵庫県神戸市中央区)は、廣田神社・長田神社とともに神功皇后以来の歴史を有する神社であり、長田神社・湊川神社とともに神戸を代表する神社です。 廣田神社、長田神社にも神功皇后の伝説があります。 長田神社(兵庫県神戸市長田区長田町)~日本書紀には、神功皇后摂政元年、神功皇后が三韓征服後、新羅から難波に帰還する途中、武庫の水門(現在の駒ケ林あたりといわれる)で船が進まなくなったので占ったところ、事代主の神より「吾を長田国に祀れ」と神託を受け、創祀されたとあります。 廣田神社(兵庫県西宮市大社町)~日本書紀に、神功皇后の三韓征伐の戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂
tootake
9月19日読了時間: 7分


生田神社とカマボコ
第1185話 神功皇后の伝説2 生田神社(いくたじんじゃ)は、兵庫県神戸市中央区にあります。 地元では「生田さん」として親しまれています。 社伝(日本書紀などに由来する伝承)によると、神功皇后が三韓外征の帰途に神戸港で船が進まなくなった際、神託によって現れた祭神の稚日女尊(わかひるめのみこと)が「私は活田長峡国に居りたい」と告げたため、そこに神社を創建したと伝えられています。 前回:神功皇后と瀬戸内海では、「台与が立ち寄った場所が神功皇后の伝説になったのだと思います。」と書きました。稚日女尊は台与ということです。 稚日女尊の「稚日」=「若」とは、台与のことです。 ・ワカフツヌシの「ワカ」は「若」で、「若い方の布都(ふつ)主」ということは台与といういうことです。~第1043話:ワカフツヌシ:出雲と台与(11) 生田神社では、 稚日女尊は「稚く瑞々しい日の女神」を意味し、天照大神の幼名とも和魂*とも妹神であるともいわれています。 日本書紀によると、神功皇后元年に神功皇后が三韓征伐を終わらせて帰還とき、船が現在の神戸港で進まなくなったために神占を行った
tootake
9月18日読了時間: 5分
邪馬台国 第1120話~第1180話
邪馬台国は、北摂=三島(御島)=枚方、交野、高槻、宇治であるという仮説をたて邪馬台国を探るプログです。 日本各地の地名をたどっていくと、そこから見えてきたのは、卑弥呼が亡くなったのち、 スサノオ、台与(豊)が日本各地で生き生きと活動する姿でした。 素戔嗚(スサノオ)、とよ(台与:豊)は日本各地の暴れ川(洪水)を起こす川の改修工事を行い稲作を促進していくとともに仏教の布教にも関わっていたのです。 {広告} Amazon.co.jp: 孤雲 電子書籍: 遠嶽飛出丸, 鬼龍院一馬: Kindleストア 本能寺の変、秀吉の中国大返しを描く、娯楽超大作、絶賛発売中!! ※Amazon.co.jp: 駒子 電子書籍: 遠嶽飛出丸, 鬼龍院一馬: Kindleストア 山本五十六、真珠湾攻撃の裏で何があったのか、娯楽超大作、絶賛発売中!! 200円 第1話~第40話 第41話~第80話 第81~第120話 第120話~第160話 第160話~第200話 第201話~第280話 第281話~第320話 第321話~ 第360話...
tootake
9月17日読了時間: 4分


神功皇后と瀬戸内海
第1184話 第1181話:濱宮と加太・友が島~和歌山市では、神功皇后が三韓出兵からお帰りの際、瀬戸の海上で激しい嵐に出会いました。 沈みそうになる船の中で神に祈りを捧げると、お告げがありました。 「船の苫(とま)を海に投げ、その流れのままに船を進めよ。」 その通りに船を進めると、ひとつの島にたどり着く事が出来ました。 と書いています。同じような伝説を持つ神社が、瀬戸内海周辺には多数あります。 AIに、いくつくらいこのような神社があるのか尋ねてみました。 瀬戸内海周辺で神功皇后(じんぐうこうごう)を祀る神社の正確な数を特定することは非常に困難であり、実質的には数えきれないほど多数(数百から数千社規模)存在します。 「数百から数千社規模」とお伝えした根拠は、主に以下の2つの歴史的・統計的な事実に裏付けられています。 1. 「八幡宮(八幡神社)」の数と祭神の構成 神功皇后を祀る神社の数を語る上で最も大きな理由が、「八幡信仰」の広まりです。 八幡三神として祀られる: 全国の八幡宮では、主祭神である応神天皇(八幡神)とともに、母である神功皇后が「八幡三神
tootake
9月17日読了時間: 6分


青岸渡寺と紀州鉱山
第1183話 西国三十三番札所の第一番は青岸渡寺です。 青岸渡寺=那智の滝と言ってもよく、日本一の落差を誇る那智の滝そのものを御神体として崇める水神・滝信仰が始まりです。現在でも那智大社の別宮である「飛瀧神社(ひろうじんじゃ)」には本殿が存在せず、滝を直接拝むという古代の自然崇拝の形態をそのまま残しています。 熊野の信仰は元々、巨岩、滝、川といった圧倒的な自然環境に対する畏怖と祈りから生まれたものです。時代が下るにつれて、これらの自然神が記紀神話の神々(スサノオなど)や仏教の仏(阿弥陀如来や薬師如来など)と結びつく「神仏習合」を果たし、現在のような修験道や熊野詣の形へと変化していきました。 和歌山県南部の奇岩・岸壁・那智の滝は、地質時代の巨大地殻変動の産物です、 和歌山県南部(熊野・那智・串本など)に奇岩・岸壁・巨大滝が多いのは「古代の地殻変動によるもの」で本来の信仰の対象は、台与・ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米などではなく、自然崇拝であったと理解することも可能です。 しかし三重県の熊野市紀和町では紀州鉱山が最近まで稼働し
tootake
9月16日読了時間: 5分
仁徳天皇は台与~AIとの対話(18)
第1182話 #仁徳天皇と応神天皇は同一人物 このブログでは、第581話:応神天皇(第15代)は台与で書いたように応神天皇は台与としています。今回は、このテーマでAIと議論してみました。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ あなたが提示した hidemaru3375 の「仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳」論考は、考古学・記紀記事・地名史料・陵墓治定史の“ズレ”を突いており、学術的に検討する価値が高い。 ただし、いくつかの論点は「一次史料の限界」「陵墓治定の政治史」「考古学編年の再検討」を踏まえて再構成すると、より強固なモデルになる。 以下、研究者向けに体系的に評価する。 🏺総括:この論考が最も強い点 記紀の仁徳像(治水・土木・民生)と、実際の大仙陵古墳の築造年代が一致しないという問題を正面から扱っている 大仙陵古墳=仁徳陵という近代の治定が、史料的根拠に乏しいことを指摘 古墳の築造年代(5世紀中葉)と、記紀の仁徳天皇(4世紀末〜5世紀初頭)の年代差を踏まえ、王権構造の再検討を促している...
tootake
9月15日読了時間: 9分


濱宮と加太・友が島~和歌山市
第1181話 前回:紀三井寺~和歌山県和歌山市(名草)で述べた濱宮(はまのみや、浜宮神社)は、和歌山県和歌山市毛見にあります。 紀伊国造家旧記によれば、神武天皇*の東征に際して、日前國懸神宮の御神体である「神鏡」「日矛」の2種の神宝を奉じた天道根命*が、両神宝の鎮座地を求めて紀伊国加太浦に立ち寄り、そこから木本を経て毛見郷南方の琴ノ浦(琴浦)に浮かぶ岩上に2種の神宝を奉安したのが濱宮の創祀と伝わっています。 加太浦は加太春日神社(和歌山市加太)、木本は木本八幡宮(和歌山市木ノ本)に比定されています。 「琴ノ浦」とは毛見崎の付け根から現・海南市側に広がっていた浜で、対岸の冷水浦(しみずうら)に向かって1丈程(約3メートル)の高さの大岩が並び、この岩に波が触れて琴の音のような響きをたてていたために「琴ノ浦」と称されたといいます。続風土記によれば、日前國懸神宮が初めて鎮座した浜であるので汚穢不浄の者を近づけず、もし禁を破れば祟りがあったといいますが、現在は埋め立てられて住友金属の工場と関西電力の発電所が建てられています。 *神武天皇は台与です。~第11
tootake
9月15日読了時間: 5分


紀三井寺~和歌山県和歌山市(名草)
第1180話 紀三井寺(きみいでら)は、和歌山県和歌山市紀三井寺にあります。本来の寺号は金剛宝寺ですが、紀三井寺の名前で知られている西国三十三所第2番札所です。 伝承によれば、宝亀元年(770年)に唐の僧・為光が日本各地を行脚していた時、名草山山頂から一筋の光が発せられているのを見た。光の元をたどって名草山に登った為光は、そこで金色の千手観音を感得した。為光は自ら十一面観音像を彫刻し、胎内仏としてその金色千手観音像を奉納し、草堂を造って安置し、千手観音を秘仏として納めたのが紀三井寺の始まりであるという。名草山に三つの霊泉(清浄水、楊柳水、吉祥水)があることから「紀三井山」という山号になったといわれています。 「唐の僧、観音を感得」というのが、様々の寺社の創設の伝説になってきているのをこのブログでは見てきました。 第1088話:青葉山松尾寺:投馬国と邪馬台国 では、威光上人(いこう しょうにん)は、、青葉山で馬頭観音を感得*し、和銅元年(708)に松尾寺を創建したとされる人物です。ただし、同時代史料は残っておらず、実在性は確認できません。寺伝上の象
tootake
9月14日読了時間: 6分
bottom of page