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地名から読み解く邪馬台国


扶桑国は投馬国(丹波・但馬)
第1013話 ~ 扶 桑 国は 丹波国 桑 田 郡 扶桑(ふそう)は、古代中国の伝説で東の海の果て、太陽が昇る場所にあるとされる巨大な神木のことで、転じて日本の異称として使われ、平安時代以降は日本を指す雅称となりました。 太陽信仰(日の出)の聖地であることから、中国東方に位置する日本が「扶桑国」と呼ばれていました。 梁書*に諸夷海南東夷西北諸戎には、「扶桑国については昔から未聞である。普通年間(西暦520~27)に 或る道人(*下記) がそこから来たと称し中国南朝に着いたが、その言は当地を知悉したものだったので、ここに併せて記録する」と記されています。 梁書には、倭国の記事がまずあり、これに続けて、倭国東北七千余里の文身国、さらにその東五千余里の大漢国の記事があり、そのあとに扶桑国の記事が続き、そこでは、「扶桑在大漢国東二万余里、地在中国之東」と記されています。*梁書(りょうしょ)は、中国南朝の梁(502年から557年)の歴史を記した歴史書です。 この記事の解釈としては、直列式に「中国属領としての帯方郡→倭国→文身国→大漢国→扶桑国」と進むと考え
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邪馬台国と飛騨:飛騨は日田
第1012話 飛騨国造(斐陀国造)の始祖について、旧事本紀、国造本紀、:斐陀国造条によると、成務朝に「 瀛津 世襲命(この次に、「裔」か「子」かの文字が欠字)大八椅命」が斐陀国造に任じられたとあります。瀛津世襲命は記紀に尾張連の祖と記されています。瀛津世襲命の妹・世襲足姫が孝昭天皇の后となって孝安天皇を生んだことになっています。 第1009話: 与謝野:丹波と邪馬台国(8) では、次のように書きました。 孝昭天皇*の皇后の世襲足媛( よそ たらしひめ)の よそ は、 瓢箪のことです。 豊受大神を祭る神器の一つは瓢箪だそうです。 與曾豆羅( よそ づら)は天吉葛ともいい、これも瓢箪(匏:ひさご)のことです。 与謝(よさ・ よそ )から連想される人物として、置津 與曽 命(おきつ よそ のみこと)がいます。*孝昭天皇は台与です。第443話: 孝昭天皇は台与:日原は目原 第570話: 孝昭天皇(第5代) 置津與曽命は、先代旧事本紀に大原足尼命*の親と記されます。また、海部氏勘注系図では孝元天皇の和風諡号の彦国玖琉命(大倭根子日子国玖琉命)を亦名
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邪馬台国と丹波(10):阿知江岩部神社
第1011話 丹後国与謝郡には、前回: 大虫神社:丹波と邪馬台国(9) で述べた大虫神社以外にも注目すべき神社があります。 阿知江岩部神社は、京都府与謝郡与謝野町岩屋にあります。 延喜所載の式内社です。延喜式の作成された年から考察するとこの阿知江岩部神社は、遷座は千数百年前と思われます。祭神の長白羽命は、天照大神の岩戸隠れの時青和幣(織物)を作って奉献されたことから、代々白鬚大明神と尊称され崇敬されています。 境内には、事代主を祀る恵美須神社、市杵島命、保食神を祀る若宮神社があります。 *長白羽命=白鬚大明神は、台与の父親である ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) です。 ~ 第845話: hidemaru3375.com/post/新羅は白髭-猿田彦 *事代主=恵美須はウツシコオです。~ 第275話: 事代主もウツシコオ *市杵島命=保食神(ウケモチノカミ)は台与です。 ~ 第341話: 卑弥呼は、市杵島姫命2 第435話: 大宜都比売(おおげつひめ)は台与 住昔は当社より西南方の 雲岩と云う巌石 *の辺りに鎮座されてあっ
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邪馬台国と丹波(9):大虫神社
第1010話 前回: 与謝野:丹波と邪馬台国(8) では、丹波の与謝野について書きました。 与謝野と言えば、すぐ頭に浮かぶ人物がいます。与謝野晶子です。 与謝野晶子は大阪堺の生まれで旧姓は 鳳(おおとり) です。丹波の与謝野とは全く関係のないように見えますが、 与謝野晶子の夫、与謝野鉄幹の父親の礼厳は、京都府与謝郡(与謝野町字 温江 )の出身です。 で、ここからが今回の本題なのですが、与謝野町字温江は、野田川の中流域で加悦谷(かやだに)と称される地の東方台地上、大江山連峰の西山裾に位置しています。加悦谷には国の史跡に指定されている蛭子山古墳や作山古墳群などの古墳や遺跡が密集し、古代丹後地方における最先進地帯であったと見られています。 大虫神社(おおむしじんじゃ)は、その京都府与謝郡与謝野町 温江 (あつえ)に鎮座する神社です。 <大虫神社の由来> 昔、大己貴命(オオナムチ)*が沼河姫*と当地に居住している時、槌鬼(つちおに)という悪鬼が現れ、その毒気に当てられた姫が病気に罹り大己貴命が嘆いていると、小虫神社の祭神である少名彦命が八色の息を吐きかけ
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与謝野:丹波と邪馬台国(8)
第1009話 丹後国与謝郡の与謝の地名起源は瓢箪(ひょうたん)であると海部氏勘注系図の割注に書かれています。 孝昭天皇*の皇后の世襲足媛( よそ たらしひめ)の よそ は、 瓢箪のことです。 豊受大神を祭る神器の一つは瓢箪だそうです。 與曾豆羅( よそ づら)は天吉葛ともいい、これも瓢箪(匏:ひさご)のことです。 与謝(よさ・ よそ )から連想される人物として、置津 與曽 命(おきつ よそ のみこと)がいます。* 孝昭天皇は台与です。 第443話: 孝昭天皇は台与:日原は目原 第570話: 孝昭天皇(第5代) 置津與曽命は、先代旧事本紀に大原足尼命*の親と記されます。また、海部氏勘注系図では孝元天皇の和風諡号の彦国玖琉命(大倭根子日子国玖琉命)を亦名に持つ乙彦命が置津與曽命と同世代にいますが、乙彦命*は彦 與曾 命だと伝えられています。 * 大原足尼命は台与です。 ~ 第406話: 金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ *乙彦は台与です。~第501話: 乙姫・弟姫・弟彦・乙彦 大原足尼命は伊勢内宮、外宮の神を奉斎する一族です。その伊勢
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日子坐王命:丹波と邪馬台国(7)
第1008話~ 丹波と甲斐 前回: かぐや姫:丹波と邪馬台国(6) で書いた 京都府京丹後市丹後町宮にある竹野神社では、祭神は天照大神ですが、斎宮神社が別にあり、日子坐王命・建 豊 波豆良和気命・竹野媛命を祀っています。 今回は、 日子坐王命について考察してみます。日子坐王命は、 日本書紀では「彦坐王」、他文献では「彦坐命」・「彦今簀命」とも表記されます。 第9代開化天皇の第三皇子で、第12代景行天皇の曾祖父です。垂仁天皇紀にはて丹波道主命が子であるとされています。丹波道主命は、前回: かぐや姫:丹波と邪馬台国(6) で書いたように丹波道主命( 由碁理)= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米で す。 古事記:崇神天皇段では、日子坐王は天皇の命によって旦波国(丹波国)に遣わされ、玖賀耳之御笠(くがみみのみかさ)*を討ったといいます。 *陸耳御笠は ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) です。 第421話: 鬼の正体 では、 日子坐王(彦坐王)=台与によって大江山の鬼として退治されてしまいます。 日本書紀で
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6 日前読了時間: 5分


かぐや姫:丹波と邪馬台国(6)
第1007話 ~丹波の大縣主:由碁理 由碁理(ゆごり)は、丹波県主で、娘は開化天皇の妃である 竹野姫(竹野媛:竹野比賣) 竹野媛。勘注系図では武諸隅と同一人物とされています。 この 竹野姫がかぐや姫であるとされています。竹野姫は、古事記では、丹波の大縣主:由碁理の娘であるとされています。由碁理は、建諸隅命・建諸隅のまたの名を竹野別といい、後に竹野が郡(こおり)の名前になったとされています。竹野郡は、現在の京丹後市網野町、弥栄町、丹後町あたりです。 京都府京丹後市丹後町宮にある竹野神社では、祭神は天照大神ですが、斎宮神社が別にあり、日子坐王命・建豊波豆良和気命・竹野媛命を祀っています。竹野神社は、通称・斎宮(いつきのみや)といい、地元では「いつきさん」と呼ばれています。 延喜式神名帳に大社として記載された神社で、その創建は非常に古く、当時丹後国の有力豪族であった丹波大県主由碁理の娘で第9代開化天皇の妃となった竹野媛が晩年、宮廷を辞して帰郷した折に、天照大神を祀ったことに始まるといいます。 神社は3方が塀で囲まれ、そこには天皇家とゆかりがないと施すこ
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7 日前読了時間: 5分


丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)
第1006話 前回: 出雲大神宮:丹波と邪馬台国(4) で書いた出雲大神宮は、丹波国桑田郡にあります。 桑田郡は、 丹波国の中心地であったことがうかがわれます。 ・継体天皇が、即位する前に天皇に推挙されたのが倭彦王 (やまとひこのおおきみ)です。 第25代武烈天皇)の崩御後に皇位継承者がなく、皇統断絶の危機を迎えて、第14代仲哀天皇5世の孫である 倭彦王 を推戴しようとしたが、倭彦王は迎えの兵を見て恐れをなして山の中に隠れ、行方知れずとなってしまったと書かれています。 この倭彦王 の住んでいた場所が 丹波国の桑田 郡 なのです。 このブログでは、継体天皇は台与としてきました。 : 継体天皇はトヨ(台与)??! : 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社 : 百々石城~南方(喜連瓜破) : 継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) : 丸岡と継体天皇~福井県坂井市 ※倭彦王も丹波の桑田にいたということは、倭彦王も台与ということです。 ・敏達天皇の子に桑田皇女( くわたのひめみこ )なる人物がいます。 ~ 第508話: 桑田皇女と奈具遺跡...
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4月3日読了時間: 5分


出雲大神宮:丹波と邪馬台国(4)
第1005話 出雲大神宮は、京都府亀岡市千歳町 千 歳 出雲 無番地にあります。 出雲 にあるから出雲大神宮です。旧称は、出雲神社で、別称として「元出雲」や「 千 年宮」とも呼ばれています。 「元出雲」の別称は、島根県の出雲大社が出雲大神宮からの分霊とする社伝に由来します。いわゆる島根県の出雲大社は明治時代に至るまで「杵築大社」を称していたため、江戸時代末までは「出雲の神」と言えば出雲大神宮を指していたとされています。島根県にある出雲大社(いずもおおやしろ)は、島根県出雲市大社町 杵築 東にあるので古代より、 杵築 大社と呼ばれていました。 。明治維新に伴う近代社格制度下において出雲大社になったのです。 徒然草 第236段に「丹波に出雲と云ふ処あり」という記述があり、出雲は丹波の地名です。 これまでこのブログでは、出雲とは台与の居る処としてきました。 ・下賀茂神社のすぐ近くには、 出雲 路という地名があります。 下賀茂神社=賀茂御祖神社(かもみ おや じんじゃ)で、賀茂建角身命=八咫烏= スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命).
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4月2日読了時間: 5分


鍬山神社:丹波と邪馬台国(3)
第1004話 鍬山神社(くわやまじんじゃ)は、京都府亀岡市上矢田町にあります。 社伝によると、太古の昔、丹の湖であった亀岡盆地の南端の黒柄山に八柱の出雲の神々が降臨され、一艘の樫舟にのり、浮田の峡、現在の保津峡を鍬や鋤を使って開削し、水を山城国へ流し、人々が住める肥沃な耕地を造ったと伝え、その時に使った鍬が山のようにうず高く積みあがったことから、鍬山と呼ばれたとも伝えます。 ふるさと亀岡を開拓した先人の偉業を神話として伝えているものです。祭神は大己貴命(大国主命)と誉田別尊(応神天皇)です。 大己貴命(大国主命)が国土を経営されていた時、丹波国は泥湖で、洪水は山を抱き、濁った波は天をも凌ぐほどであった。土人の産業は安からず、そこで大己貴命が当地の黒柄嶽に八柱の神を召して相談をしました。そして泥湖に船を泛べ、鍬を振って保津請田の辺りを疎通されると肥沃な大地となりました。後人はその徳を尊んで当地に祀ったと伝わります。(鍬山神社の由緒:略記より) このブログでは、台与が日本各地で河川の改修工事を行い、稲作の促進を行ってきたことしてきました。 丹波の地
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4月1日読了時間: 5分
邪馬台国 第960話~第1000話
第1話~第40話 第41話~第80話 第81~第120話 第120話~第160話 第160話~第200話 第201話~第280話 第281話~第320話 第321話~ 第360話 第361話~第400話 第401話~第440話 第441話~第480話 第481話~第520話 第521話~第560話 第561話~第600話 第601話~第640話 第641話~第680話 第681話~第720話 第721話~第760話 第761話~第800話 第801話~第840話 https://www.hidemaru3375.com/post/邪馬台国-第841話-第880話 https://www.hidemaru3375.com/post/邪馬台国-第881話-第920話 hidemaru3375.com/post/邪馬台国-第921話-第960話 邪馬台国地図別目次 邪馬台国 家系図 古代史 人名辞典 第961
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3月31日読了時間: 3分


天一位 大原神社:丹波と邪馬台国(2)
第1003話 前回: 丹波と邪馬台国~兎原 で書いた北側に大原神社があります。 京都府福知山市三和町大原 田舎の小さな神社かと思っていたら、これが大変由緒のある神社なのです。 大原神社に参詣することは「大原志(オバラザシ)」と呼ばれ、現在でも俳句の季語として使われており、 「をしなべて人の心や大原志 -未得-」(日本大歳時記などとも詠まれ、特に祭礼の当日などには参詣者も多かったようです。 また、元禄時代の浄瑠璃、近松門左衛門の「源三位頼政」の段にも大原志の件があり、江戸時代初期にも名が馳せていたことが伺えます。 祭神は、伊弉冉(いざなみ)尊、天照大神、月弓(つきよみ)尊で、それぞれ台与です。 ・第871話: カムロキ・カムロミ:イザナミは台与 ・ 第898話: ツキヨミの正体(2):壱岐・対馬 大原神社の創建は丹波誌によると仁寿二年(852年)3月23日、桑田郡*野々村(現南丹市美山町字樫原)に鎮座、 弘安2年(1279年)9月28日に大原へ遷座、応永4年(1379年)10月13日に社殿が整ったとされています。しかし社伝によると創建は仁寿二年と伝
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3月31日読了時間: 6分


丹波と邪馬台国~兎原
第1002話 昨日(2026.3.28)、私は丹後に向かいました。日帰りでカニを食べに行くのです。 大山崎のジャンクションから、京都縦貫に入り 丹波ICで降りて国道9号線を走ります。 京丹波町を過ぎたあたりで、猿田彦神社(京都府船井郡京丹波町水原)の案内板が目に入りました。へえ、こんなところに、、、猿田彦は、 スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米です。 ~ 第596話: 彦狭知の物語8~猿田彦 更に少し行くと兎原の道路標識がありました。福知山市三和町菟原 菟原の「菟」については、このブログで、何度も書いてきました。 「菟」は、 菟 道稚郎子の 「菟」で、「宇治」、 ウツシコオ(内色許男命) の「内」と同じ意味を持ちます。 第895話: 宇治神社と宇治上神社 で、宇治神社は、宇治は菟道からきたのであり、それは兎(ウサギ)から来たと公式に説明されています。そして、大分県にある宇佐神宮の宇佐も兎であるとされています。 ~宇佐(菟狭)氏の末裔で、戦前まで宇佐八幡宮(宇佐神宮:大分県)の宮司を務めた家のご子息である宇佐公康氏は、
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3月30日読了時間: 5分


脱解王の神話(3)~鵲は台与
第1001話 新羅の都の東、阿珍浦に着いた。船の中には箱があり、その箱から美しい若者が出てきた。また箱の中には、七宝と奴婢で一杯であった。~ 有端正男子并七寶奴婢滿載其中 その若者は、倭国の竜城国の出身であるというのです。~ 我本龍城國人 倭国の竜城国は、三国史記では、脱解王は倭国の多婆那国の出身としています。 ~脱解、本多婆那国所生也 脱解王の名前は、三国遺事によると、はじめ姓名がわからなかったので、箱が流れ着いたときに鵲(カササギ)がそばにいたことから鵲の字を略して「昔」を姓とし、箱を開いて生まれ出てきたことから「脱解」を名としたと書かれています。 ・聖徳太子と鵲(かささぎ):日本書紀によると、推古天皇6年に聖徳太子が鵲を飼育したという記述に関連して言及されています。*聖徳太子は台与です。~ 第872話: 野木神社:莵道稚郎子命は台与 大阪市城東区には、森ノ宮という地名があり、結構大きい公園があります。 森ノ宮は、正式には、鵲森宮(かささぎもりのみや)といい、物部守屋の邸宅跡(玉造)に建立されたとされる神社のことです。祭神は、 用明天皇*、穴
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3月29日読了時間: 4分


脱解王の神話(2):多婆那国は竜宮城
第1000話 # 瓠公 #脱解王 #龍城国 前回: 脱解王の神話(1):多婆那国 では、下記のように書きました。 新羅の都の東、阿珍浦に着いた。船の中には箱があり、その箱から美しい若者が出てきた。また箱の中には、七宝と奴婢で一杯であった。~ 有端正男子并七寶奴婢滿載其中 その若者は、倭国の竜城国の出身であるというのです。~ 我本龍城國人 倭国の竜城国は、三国史記では、脱解王は倭国の 多婆那国の出身としています。 ~脱解、本多婆那国所生也 そして、この若者(脱解王)は、台与であるとしました。脱解王は、瓠公(ここう)という人物を 大輔( 宰 相)の位を与えて臣下にしています。 前回書いたように脱解王が台与なら、瓠公は スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) です。 海部氏の系図である勘注系図では、孝霊天皇の時代に丹波国丹波郷にて宰(宰相)*として奉仕していた彦天火明命*一族(海部氏)は、山城国久世郡 水主村 に移ったとされています。山城国久世郡水主村の現在の地名は、京都府城陽市水主宮馬場です。 * 宰 (宰相)~第882話: 宰(みこと
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3月28日読了時間: 5分


脱解王の神話(1):多婆那国
第999話 13世紀末に高麗の高僧一然(1206年 - 1289年)によって書かれた私撰の史書:三国遺事には、下記のような記述があります。 新羅代二代の南解王の頃、駕洛(加羅)国の海辺に近づく船があった。船は駕洛を通り過ぎて、新羅の都の東、阿珍浦に着いた。船の中には箱があり、その箱から美しい若者が出てきた。そしてまた箱の中には、七宝と奴婢で一杯であった。~ 有端正男子并七寶奴婢滿載其中 そしてその若者は、倭国の竜城国の出身であるというのです。~ 我本龍城國人 この記述を読んで、魏志倭人伝にある記述を思い出しました。 壹與 遣倭大夫率善中郎将掖邪拘等二十人 送政等還 因詣臺 獻上男女生口三十人 貢白珠五千孔 青大句珠二枚 異文雑錦二十匹 「 壱与 は倭の大夫、率善中郎将、掖邪拘等の二十人を遣はし、政等の還るを送る。因って、臺に詣り、 男女の生口 三十人を献上し、 白珠五千孔、青大句珠二枚 、異文雑錦二十匹を貢ぐ。」 壹與=壱与 は、台与のことです。 男女の生口とは奴婢で、白珠五千孔、青大句珠二枚というのが七宝ではないでしょうか。七宝とは、金、銀、瑠
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3月27日読了時間: 5分


一大卒と大宰府
第998話 前回: 大興善寺~基肆郡(肥前風土記) では 大宰府も スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米 、台与との関係を探る予定です。と書きましたので、大宰府とウツシコオ(難升米)との関連があることを書きます。 大宰府(だざいふ)は、7世紀後半に、九州の筑前国に設置された地方行政機関のことです。軍事・外交を主任務とし、九州地方の内政も担当していました。和名は「おほ みこともち の つかさ」です。 役職としての大宰(おほ みこともち)・大宰帥は、外交・軍事上重要な地域に置かれ、数か国程度の広い地域を統治する地方行政長官です。 *大宰の「宰」については、 第882話: 宰(みこともち)は、ウツシコオ(内色許男命) で下記のように書きました。 「みこともち」は天皇の言葉(「みこと」)を受け、それを身に帯びながら臣下が行動することをも意味します。「みこともち」は言葉を伝達する者の意であり、「ににぎ*の命は、神考(かぶろき)・神妣(かぶろみ)のみこともちとして、天の下に降られた。歴代の天子も、神考(かぶろき)・神妣(かぶろみ)に
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3月26日読了時間: 5分


大興善寺~基肆郡(肥前風土記)
第997話 第995話: 浮穴沫媛~肥前国風土記 では、 珂是古(かぜこ)なる人物が登場しました。 そして 珂是古は、物部阿遅古で、台与の父親(もしくは祖父)と思われる スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米であるとも書きました。 そして、 鳥栖市基里町姫方には姫古曽神社があるとも書きました。姫古曽神社は、九州から 近畿にかけていくつもあります。 比売碁曾神社の祭神は下照姫=台与です。 ~ 第182話: 天之日矛と阿加流比売神 第623話: 大阪と邪馬台国:姫島~大阪市西淀川区 この辺りは、基肆郡(きのこほり)と呼ばれていました。基肆郡の地名の由来として肥前風土記には次のように書かれています。 昔、纏向日代宮御宇天皇(景行天皇)が巡狩した時、筑紫国御井郡高羅の仮宮から国内を遊覧し、霧に覆われた基肆の山を見て「この国を霧の国と呼ぼう」と勅した。これが後の人によって基肆国(きのくに)と呼ばれるようになった。今は郡名となっている。 古事記、日本書紀にかかれている地名の由来は、たいていでっち上げの嘘です。...
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3月25日読了時間: 4分


伊都国は台与の国:伊豆神社:遠賀郡
第996話 最近、北九州に住む方から、よくコメントをいただきます 水巻が「ミマキ」が私が邪馬台国とする御牧:ミマキに通ずることを教えていただき、 水巻も台与(=神武天皇=饒速日)が居た地であることは間違いないと確信しました。 ~第961話: 御牧と言う地名あり下流域に水巻町 そして、今回は、 「遠賀郡には私が知ってるだけでも3社『頃末伊豆神社』『 朳伊豆神社 』『伊豆神社』があって、『伊豆神社』の御祭神は『伊豆能賣神』です。由緒書きによると『伊豆』は昔は『稜威』と書いてたらしいです。 『出雲』の由来も『稜威母(いづも)』だという説もあるので、『伊豆』=『稜威』でもあるのかも。というコメントをいただきました。 ・福岡県遠賀郡水巻町朳(えぶり)に鎮座する伊豆神社は、明神ヶ辻山頂にあり、除災開運や無病息災、農産物の神として信仰を集める古社です。境内には珍しい逆立ち狛犬があり、夏には茅の輪くぐり神事も行われます。彦火ヶ出見尊と玉依姫を祀り、地域住民から深く崇敬されています。 ・頃末の伊豆神社の祭神は、彦火々出見尊、玉依姫命、鹽土老翁 です。 彦火々出見尊
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3月24日読了時間: 5分


浮穴沫媛~肥前国風土記
第995話 前回: 浮穴~浮穴直千継・片塩浮孔宮 で肥前国風土記にも「浮穴」が出てきます。と書きました。 肥前国風土記には、 浮穴郷の土蜘蛛の話が出てきます。 景行天皇が「宇佐浜」の仮宮に居る時、神代直に「朕は今まであまねく諸国を巡り、ほとんどを平定し統治した。未だに朕の統治を受け入れていない者たちは居るか」と問うた。 神代直*は「あの煙立つ村は統治を受け入れていません」と申し上げた。天皇は神代直を遣わすと浮穴沫媛(ウキアナアハ姫)という土蜘蛛*が居た。天皇に従わないというのでただちに誅殺した。これにより浮穴郷というと書かれています。 *神代直は、肥前風土記にしか登場しない人物です。神代直の「直」から、前回登場した 浮穴直のことと思われます。前回では、浮穴直=久米直=山部小楯=台与= 移受牟受比命=安寧天皇=台与であるとしました。 *土蜘蛛~このブログでは、土蜘蛛とは、 第824話: 穴太寺と穴太衆=土蜘蛛 第828話: 久伊豆神社:関東武士は土蜘蛛! などで書いたように、台与の配下の土木工事の労働者の事であるとしています。...
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3月23日読了時間: 6分
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