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地名から読み解く邪馬台国


大々杼~大阪市平野区喜連
第1210話 #北村某の家記 #楯原神社 #継体天皇 #息長氏 前回:高賀神社(3):大戸道尊・大戸辺尊では、大戸、意富斗(オオト)について書きました。 第967話:大々杼(オオド)国と台与~大阪市平野区喜連では、大々杼(オオド)について書いていました。大阪市平野区喜連村一帯は、往時、大々杼(オオド)国大々杼郷と呼ばれていました。大戸、意富斗(オオト)と大々杼(オオド)は関係があるのでしょうか。 大々杼も継体天皇に関連のある地名です。 大阪市平野区喜連にある楯原神社の社記によると、継体天皇は近江の息長大々杼王の子彦主人王が大々杼の息長(おきなが)沙彌王の娘真若郎女を娶って儲けた子であり、大々杼郷の百々石城宮で生まれたため「大々杼命」と称し、雄略天皇元年に母の真若郎女とともに息長彦主人王のもとに送られたが、ここで実母が亡くなったため義母の「福井の振女」に従って越前に赴いたといいます。と書いてあります。 前回高賀神社(3):大戸道尊・大戸辺尊では、意富富杼王~古事記には息長坂君(息長君・坂田君)・酒人君・三国君・筑紫米多君(めたのきみ)などの祖として
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高賀神社(3):大戸道尊・大戸辺尊
第1209話 前回:高賀神社(2):ウナギ、前々回:高賀神社(1):「さるとらへび」と書いてきた高賀神社は、23柱の祭神を祀っています。 天之御中主尊、国之常立尊、国狭槌尊、豊斟渟尊、泥土煮尊、沙土煮尊 大戸道尊、大戸辺尊、面足尊、惶根尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊、大日霊貴尊 忍穂耳尊、瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鵜葺草葺不合尊、日本武尊 天児屋根尊、猿田彦尊、素戔嗚尊、大玉尊、金山彦尊 , これらの祭神は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)・台与のことなのですが、その説明は煩雑になるので、今回は、あまり聞きなれない大戸道尊、大戸辺尊の2柱について考えてみます。 大戸道尊(オオトノヂ、意富斗能地、大戸之道) 大戸辺尊(オホトノべ、大斗乃弁、大戸之部) 古事記では二人は兄妹で、兄を意富斗能地神、妹を大斗乃弁神 日本書紀では兄を大戸之道尊、妹を大戸之部尊、先代旧事本紀では兄を大苫彦尊、妹を大苫姫尊と表記しています。 神名は大地が完全に凝固した時を神格化したとする説があり、「地」は男性、「弁」は女性の意味です。「オホト」には諸説あり、男女の性器と考え
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高賀神社(2):ウナギ
第1208話 前回:高賀神社(1):「さるとらへび」で書いた高賀神社の眷属は、ウナギ(鰻)です。 眷属とは、神の使者のことです。多くはその神と関連する動物(想像上の動物を含む)。動物の姿を持つ、又は動物にみえる、超自然的な存在を意味することもある。日本の神道における例としては、蛇や狐、龍など。神に代わって神の意志を伝えるなどとされています。仏典では、仏に対する様々な菩薩などを指して用いられ、薬師仏における十二神将や不動明王の八大童子、千手観音の二十八部衆などを指します。 前回で書いた藤原高光が「さるとらへび:猿虎蛇」を退治するために高賀神社この辺りまできたときに、道がわからなくなってしまいますが、川のウナギが正しい道を教えたことにより、無事さるとらへびの元へ辿り着き、以後この川では鰻を採ることも食することも禁止となったそうです。ここでは、ウナギは、蛇の化身=水神の使いという民俗が自然に成立したと思われます。 他にも、ウナギを眷属とする寺社があります。 ・三嶋神社(三島大社系統)では、祭神である大山祇神(三嶋明神)の使いがウナギとされており、「ウ
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高賀神社(1):「さるとらへび」
第1207話 高賀神社(こうかじんじゃ:高賀山大本神宮)は、標高1,224mの高賀山の山麓にあります。高賀山を囲む高賀山六社の一社です。岐阜県関市洞戸高賀 平安時代から室町時代にかけて、白山信仰の影響を受け、本地垂迹説(神仏習合)により牛頭天王信仰、虚空蔵菩薩信仰のみならず、十一面観音(白山比咩神)、大日如来を本地仏として信仰されていました。神仏習合の時代には、高賀山権現、高賀三所権現、高賀権現などと称されていました。 高賀神社のある高賀山には、「さるとらへび:猿虎蛇」の伝説があります。 さるとらへび(猿虎蛇)は、頭は猿、胴体は虎、尾は蛇であるとされています。 住む魔物が悪さをしていると聞いた大和朝廷は、藤原高光を派遣し、「さるとらへび:猿虎蛇」を高光が討ち取ったとされています。藤原 高光(ふじわら の たかみつ)は、平安時代中期の貴族・歌人です。 今回、この高賀神社を取り上げたのは、前回:弁慶の大般若経:寺下観音で書いた「弁慶の大般若経」の現物が残っていると知ったからです。 保延5年(1139)、弘安元年(1278)の墨書を持つ大般若経が高賀神
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弁慶の大般若経:寺下観音
第1206話 昨日の見ていたNHKの心旅プレイバック(火野正平さんのリバイバル)での目的地は、寺下観音(青森県三戸郡階上町赤保内寺下)でした。 寺下観音は、聖武天皇の神亀元年(724年)から5年をかけて創建された海潮山應物寺に由来する、歴史の長い観音堂です。このブログでは、お馴染みの大僧正・行基が開基と伝えられ、納められている観音像も行基の作と伝えられています。 その後、文治2年(1186年)に経津主命を観音堂に併せて祀まつり、以来、神仏混淆の聖地として崇信されてきました。 行基~このブログは、邪馬台国が大阪府枚方市であることを証明するために書き続けています。卑弥呼の後を継いで、邪馬台国の大王(おおきみ)となった台与の後をたどっているうちに行基に出会いました。行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。 野崎観音(第630話)・嵐山(第629話) 大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区) ・龍厳寺~神奈川県川崎市多摩区堰 行基創建とも慈覚大師創建とも伝えられている。阿弥陀堂の阿弥陀如来は行基作とされています。行基は大阪府の南河内で
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真野川と台与~南相馬市
第1205話 #安達太良山 #たたら製鉄 真野川(まのがわ)は、福島県相馬郡飯舘村から南相馬市にかけて流れる河川です。 飯舘村北西部、伊達市霊山町との境をなす阿武隈高地三郷森を水源とし、飯舘村北部の前田地区、佐須地区、大倉地区を東流したのち、南相馬市北部の鹿島区を貫き、太平洋へ至っています。 福島県南相馬市鹿島区小島田地区の真野川右岸の田園地帯にある八龍神社があります。 津波被害で社は流され新しく建て直されましたが、鳥居や欅・銀杏の大木は残ったようです。境内社に八坂神社も祀られています。 鹿嶋、八龍ということから、この南相馬市にも13歳で邪馬台国の大王に即位した台与が来ていたことが分かります。第441話:タケミカヅチは台与!!で、 鹿島神宮の武甕槌大神は台与であることを述べました。 八龍とはヤマタノオロチ=暴れ川(洪水を起こす川)のことです。 ~第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2 前回:草岡の大明神桜~山形県と台与 前々回:石切神社(岐阜市)と木曽川 第1202話:西都原古墳群と一ツ瀬川 と続けて、暴れ川(洪水を起こす川)と台与につい
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5 日前読了時間: 5分


草岡の大明神桜~山形県と台与
第1204話 #坂上田村麻呂 #天童 #最上川 #飯豊山 草岡の大明神桜(くさおかのだいみょうじんざくら)は、山形県長井市草岡にあるエドヒガンの一本桜です。樹齢はおよそ1200年、樹高18.8メートル、枝張23メートルから25メートル、幹周が10.9メートルあり、個人宅に植えられた桜としては最大の太さです。 この大明神桜の起源は、坂上田村麻呂が蝦夷を平定した際に記念植樹した5本の桜のうちの1本であると伝えられています。 大明神桜の近くに總宮神社(そうみやじんじゃ:山形県長井市)があります。 創建は延暦21年(802年)、坂上田村麻呂が東征の際に赤崩山白鳥大明神を祀ったのが始まりとされ、祭神は、日本武尊(ヤマトタケル)です。 このブログでは、坂上田村麻呂とヤマトタケルの伝説は13歳で邪馬台国の大王に即位した台与としています。 ~第1174話:坂上田村麻呂と台与 第1156話:ヤマトタケルは台与~AIとの対話(15) 前回:石切神社(岐阜市)と木曽川 前々回:西都原古墳群と一ツ瀬川 では、暴れ川(洪水を起こす川)と台与について書きました。...
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6 日前読了時間: 6分


石切神社(岐阜市)と木曽川
第1203話 石切神社と言えば、東大阪市にある石切劔箭神社(いしきりつるぎやじんじゃ)のことで、大坂人の心のふるさとのような神社です。 岐阜県岐阜市下川手字宮にも石切神社があるのをみつけました。 社伝では、「鏡作祖:伊斯許理度賣命*を本主として奉崇し、石切と号す。然れども古来より六所宮とも六社明神とも称す。当社は土岐家代々崇敬の神社にして古昔は当國土岐郡大冨村*に鎮座ありしを尾張勢三国の管領土岐大膳太夫頼康当地に勧請し、文和二年城郭の東北に遷宮し鬼門除の守護神として奉崇す。」とあります。 *伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)は、作鏡連(かがみづくりのむらじら)の祖神で、日本書紀では石凝姥命または石凝戸辺(いしこりとべ)と表記されています。 第511話:八咫鏡・石凝姥命で、石凝姥命は台与としています。 現在の石切神社は、境川(さかいがわ)に川辺にあります。 境川(さかいがわ)は、木曽川水系の一級河川で、長良川・揖斐川を経て伊勢湾に至る木曽川の支流です。境川は古木曽川です。古代の木曽川本流は、現在の境川・荒田川の流路を通り西へ流れ長良川へ合流して
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10月6日読了時間: 5分


西都原古墳群と一ツ瀬川
第1202話 西都原古墳群(さいとばるこふんぐん)は、宮崎県西都市三宅にあります。 中でも男狭穂塚(おさほづか、175メートル)は日本最大の帆立貝形古墳や女狭穂塚(めさほづか、180メートル)は九州最大の前方後円墳で、かつては邪馬台国と絡めて論じる人もいましたが、ともにこれらの古墳は5世紀のもので邪馬台国よりも後のものです。 本居宣長は、この地を魏志倭人伝に登場する「投馬国」にあてはめています。 投馬国は「ツマコク」と読んだようで、宮崎県西都市の中心部に「妻」という地名の場所があり、ここには都萬(つま)神社があって、天孫「邇邇芸尊(ににぎのみこと)」の妻の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀っています。 前回:新田神社~鹿児島県薩摩川内市:うてな うなてで述べたように、宮崎県高千穂や鹿児島県霧島を天孫降臨の地に比定したいのは、明治政府(薩摩藩)の『記紀』の解釈があった為という説もあります。 西都原古墳群の近くを一ツ瀬川が流れています。 一ツ瀬川周辺には、速開都比売神社(宮崎県西都市大字片内字湯之内11843番地3 速川神社(宮崎県西都市南方)があ
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10月5日読了時間: 4分


新田神社~鹿児島県薩摩川内市:うてな うなて
第1201話 前回:神代三山陵と明治政府で書いた天津日高彦火瓊瓊瓊尊(ニニギノミコト)の墳墓とされる可愛山陵のすぐ隣に新田神社があります。鹿児島県薩摩川内市宮内町 新田神社は神亀山(しんきさん)という亀の形をした小高い山の上にあります。祭神は、天津日高彦火瓊瓊瓊尊(ニニギノミコト)なのですが、明治時代以前は、応神天皇、神功皇后、武内宿禰の八幡三神を祀っていました。応神天皇=神功皇后は台与です。武内宿禰はウツシコオです。~第1139話:神功皇后と武内宿祢:AIとの対話(6) 社伝によると、「鹿児島県の加世田市(現・南さつま市)から川内の地に到来された天津日高彦火邇邇杵尊(ニニギ ノ ミコト)は、この地に千台(せんのうてな)すなわち高殿(高城千台の宮)を築いてお住まいになった。川内(センダイ)の名は、この千台 → 川内から来ているとされる。やがて、ニニギノミコトが亡くなられたので、お墓が造られたが、それが今の可愛山陵で、そのニニギノミコトの御霊を祀ったのが新田神社の創始である。なお当神社の“新田”という名称には、ニニギノミコトが川内の地に川内川から水
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10月4日読了時間: 6分


神代三山陵と明治政府
第1200話 鹿児島県内には、神武天皇に至る日向神話三代の神々の御陵が揃って治定されており、これらは総称して「神代三山陵」と呼ばれています。 可愛山陵(えのさんりょう:薩摩川内市)には、天津日高彦火瓊瓊瓊尊(ニニギノミコト) 高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ:霧島市)には、天津日高彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト) 吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ:)には、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト) が祀られています。宮内庁が管轄する公式な陵墓です。 明治7年(1874年)に宮内省(現・宮内庁)によって、すべて鹿児島県内の3か所が正式に治定されました。 「日向国」の本拠地であるとする宮崎県側にも数多くの伝承地が存在しており、治定後も議論が続いたため、宮内庁は宮崎県内の有力地を「陵墓参考地」として指定・管理しています。 男狭穂塚陵墓参考地(宮崎県西都市・西都原古墳群):ニニギノミコト伝承地(日本最大の帆立貝形古墳) 北川陵墓参考地(宮崎県延岡市北川町):ニニギノミコト伝承地(可愛岳麓) 鵜戸陵墓参考地(宮崎県日南市宮
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10月3日読了時間: 6分


不弥国は飯塚?!
第1199話 魏志倭人伝によれば、不弥国(不彌國)は、奴国(または伊都国)から東へ百里の位置にあり、長官は多模、副官は卑奴母離(ひなもり)と呼ばれ、1000余の家があると書かれています。 「東行至不彌國百里 官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家」 魏志倭人伝に記された北部九州の国々の中で、政治・祭祀・貿易の重要な役割を担った小国で、邪馬台国への旅路において、陸路の最後の国として重要な「ターニングポイント」とされ、ここを過ぎると次の投馬国へは長距離の水路移動が必要となります 。 不弥国の比定地については諸説ありますが、有力とされるのは福岡県糟屋郡宇美町周辺です。これは「フミ」と「ウミ」の音の類似性や、奴国から百里離れた位置にあることに基づく説です 現在の福岡県糟屋郡宇美町周辺にその痕跡が残されていると考えられています。 糟屋郡では弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が確認されており、阿恵遺跡では7世紀の官衙跡、鶴見塚古墳や七夕池古墳などの古墳も存在します 。 他にも不弥国の候補地として、飯塚市穂波、太宰府市周辺、志賀島、箱崎町、新宮町、福津市、行橋市、築
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10月2日読了時間: 7分


吉野ヶ里遺跡の銅鐸
第1198話 邪馬台国九州論者である和辻哲郎氏は、次のように述べられておられます。 「近畿圏での祭祀に用いられたと思われる銅鐸は、大和朝廷成立後我が国の歴史に一切現れず、代わって九州地方の祭器・神器であった銅矛・銅剣・銅斧などが神話に登場している。剣は、天皇家の三種の神器の一つにまでなっている。もし天皇家が近畿圏で発生し、邪馬台国から大和朝廷へ発展したのならどうして銅鐸の記憶が人々の頭から消えてしまったのか。 邪馬台国が九州から来て大和朝廷を樹立し日本を統一した、と考えるのが妥当である。」 銅鐸は近畿のものであって九州にあった邪馬台国が近畿を征服しそれと同時に銅鐸は打ち壊され銅鐸文化を持つ勢力は衰退したというのが、かつての邪馬台国九州論者の主張でした。 「かつて」と書いたのは、九州論者が邪馬台国との関連で登場する吉野ヶ里遺跡でも1998年には銅鐸が遺跡の周辺部で発見されたからです。 考古学的には 吉野ヶ里遺跡周辺から小銅鐸鋳型が出土していることが知られています。 吉野ヶ里遺跡をはじめとする北部九州での銅鐸・青銅器鋳型出土と、私が邪馬台国としている
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10月1日読了時間: 8分


雨生池の大蛇伝説~新潟県三条市下田
第1197話 先日、NHKの日本百低山で新潟県三条市下田にある番屋山が登場していました。 番屋山は「日本ブナ百名山」にも選ばれるほど豊かなブナ原生林が広がっていることで有名です。番屋山(ばんややま)の山名について、番組では、「ブナ林を守るための番屋」という風に紹介していました。 ブナの木は、網目状に根を張り巡らせるため、保水力を高めると同時に土砂崩れを防ぎ地盤を安定させる自然の機能を持っています。そのため番屋山にはブナの木が伐採されないように番屋がおかれたいうのです。 番屋山の麓には守門川(すもんがわ)が流れています。守門川の源流である守門岳周辺は、大昔の火山噴出物が広く分布しており、非常に崩れやすい地質です。 上流の吉ヶ平地区は県の「地滑り指定地」にもなっており、ひとたび集中豪雨が起きると、大量の土砂や岩が川へ一気に流れ込む土石流(山津波)の危険性が極めて高いエリアです。昭和39年の豪雨では、民家や学校、橋が流失する甚大な被害を出しています。 また守門川の守門川が注ぎ込む本流の五十嵐川(いからしがわ)は、新潟県内でも有名な「暴れ川」です。...
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9月30日読了時間: 6分


佐渡の長谷寺
第1196話 #度津神社 #長谷寺 #行基 先日、ぼんやりテレビを見ていたら、佐渡島の長谷寺が映っていました。 佐渡にも長谷寺(はせ寺)があるんだと思っていたら、長谷寺(はせ寺)ではなく「ちょうこくじ」というのだそうです。長谷寺(ちょうこくじ)は、新潟県佐渡市長谷にある真言宗豊山派の寺院です。 調べてみると、長谷寺は(ちょうこくじ)は、天平年中( 729 年)の行基が、当嶺に登って供養修禅をした所で、「平城天皇の大同 2 年( 807 年)弘法大師の創肇なり」と古伝縁起に記されています。 行基、空海と言えば台与です。行基、空海の伝説が台与の行く先々に現れるということはこのブログで、何度も何度も書いています。 *空海(弘法大師)~第900話:川崎大師:大師は太子!? 第901話:弘法大師(空海)の伝説の真相 *行基~行基は台与を手本として日本各地で治水工事・稲作推進を行ったのです。~野崎観音(第630話)・嵐山(第629話) 大阪と邪馬台国:美木多(堺市南区) 長谷寺(はせ寺)は台与と関係の深い寺院です。第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜
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9月29日読了時間: 5分


岐尼神社~大阪府豊能郡能勢町
第1195話 前回:三草山と美奴売神で書いた三草山は、大阪府豊能郡能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町の府県境にあります。 その三草山の登山口近くに岐尼神社(きね神社:大阪府豊能郡能勢町森上)はあります。 創建は延暦元年(782年)で、祭神は、瓊瓊杵尊、天児屋根命、枳根命、多田満仲です。 社伝によれば、当社の南方にある小丘に神が降臨し、土地の人々は臼の上に杵を渡し荒菰を敷いて神を迎えたと伝えられています。これにちなみ「杵宮」と称したと言われ、神が降臨した山を今も「天神山」と称しています。 大名草彦(大名草比古:おおなぐさひこ)は紀伊国第五代国造で、紀氏の祖先とされています。第318話:空海のルーツは内色許男命! では、空海が高野山造営にあたって、空海が協力要請の手紙を送った手紙の中に大名草彦があることを紹介しました。 「私(空海)の先祖太遣馬宿禰は、あなたの国(紀伊国)の祖である大名草彦の分かれであります。」と高野雑筆集には書いてあります。 そして第502話:武内宿禰はウツシコオ(2) 、第1138話:武内宿禰はウツシコオ:AIとの対話(5)などで、武内
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9月28日読了時間: 5分


三草山と美奴売神
第1194話 三草山(みくさやま)は大阪府豊能郡能勢町と兵庫県川辺郡猪名川町の府県境にあります。 この三草山にも神功皇后*の伝説が残っています。 摂津国風土記に、神功皇后が三韓征伐に出兵しようとした時、この山からは猪名川を下っていった先にある川辺郡神前松原(尼崎市の神崎もしくは豊中に比定)において戦勝祈願していたところ、猪名川上流の能勢の美奴売山(みぬめ山)の神がやって来て、「美奴売山の杉の木を切って船を作れば必ず勝利するであろう」と告げたといいます。そこで、神功皇后はその通りにしたところ、勝利を収めた。その帰り道、古代には南に突き出した岬となっていた灘沖の茅渟の海上で船が動かなくなってしまったので、船上にて占いを行ったところ、これは美奴売山の神の意志であるとわかったという。そこで、その場に美奴売神を祀ったのが、現在も神戸市灘区内に残る敏馬神社(みぬめ神社)であるという。また、後代の研究や史料によれば、この美奴売山こそが、現在の三草山であるという。なお、摂津国風土記には、美奴賣松原という項目が万葉集注釈の第三巻にあり、これは、摂津国風土記からの写
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9月27日読了時間: 6分


摩耶山:兎我野(3)
第1193話 第1191話:兎我野・梅田~大阪の邪馬台国で兎我野のことを書きました。 前回:若一王子~兵庫県神戸市灘区では、王子について書きました。 今回は、摩耶という地名について考えます。 神戸周辺の「摩耶」という地名は、神戸の北側にそびえる摩耶山に由来しています。 その山の名前は、仏教の開祖であるお釈迦様の生母、摩耶夫人(まやぶにん)から名付けられました。 摩耶山は、平安時代、空海(弘法大師)が唐から持ち帰った摩耶夫人像を、山頂にある忉利天上寺(とうりてんじょうじ)に安置したことが始まりとされています。 摩耶夫人は安産や子授け・子育ての守護仏として広く信仰を集め、そこから山そのものが「摩耶山」と呼ばれるようになりました。 忉利天上寺(とうりてんじょうじ)は、兵庫県神戸市灘区摩耶山町にある摩耶山真言宗の大本山の寺院で、本尊は十一面観音菩薩と仏母摩耶夫人尊。釈迦の生母である摩耶夫人を本尊とする日本唯一の寺で、通称は天上寺といいます。 忉利天上寺は、大化2年(646年)に孝徳天皇の勅願で天竺の伝説的な高僧法道仙人によって開
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9月26日読了時間: 6分


若一王子~兵庫県神戸市灘区
第1192話 兎我野(2) 前回:兎我野・梅田~大阪の邪馬台国で兎我野のことを書きました。 兎我野が史書に登場するのは、神功皇后摂政前記に、「菟餓野に出でて、祈狩(ウケイガリ)して曰はく、「もし事を成すこと有らば、必ず良き獣を獲むという」とあり、この兎我野にて狩猟を催した記録があります。 この「菟餓野の誓約」の場所に関しては、この大阪市の兎我野町の他、兵庫県神戸市灘区の都賀川流域という説もあり、日本書紀の記述の前後を考えると神託により廣田、生田、長田の兵庫県の大阪湾沿岸を抑えている事や、忍熊王らの軍が神功皇后らを待ち構える為に陵墓造成の為と偽って明石あたりに出征していた事などから神戸説が有力です。 そこで、兵庫県神戸市灘区の都賀川流域の地名を調べてみました。するといくつか気になる地名がありました。 今回は、王子という地名について考えます。 兵庫県神戸市灘区王子町は、「王子村」という地名、およびその村名の元となった「王子神社」に由来しています。 「王子」とは、 神道(特に熊野信仰)において、本宮の神の御子神(眷属)を祀る小さな神社を「王子」または「
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9月25日読了時間: 7分


兎我野・梅田~大阪の邪馬台国
第1191話 昨日(2026.9.23)太融寺で開かれた落語会に行ってきました。 太融寺で落語会が開かれることは、第1166話:源融(みなもと の とおる)で書きました。 落語会は、太融寺の本坊の2階で開かれるのですが、1階では太融寺の前身である安曇寺から出土した高坏などが展示されていました。そして太融寺の現地名は大阪府大阪市北区太融寺町ですが、旧地名は兎我野(とがの)だということも知りました。 安曇寺の「安曇」は、安曇(阿曇)氏はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)一族としています。~第591話:彦狭知の物語(3)~安曇氏 古事記では「阿曇連はその綿津見神の子、宇都志日金柝命の子孫なり」と記され、新撰姓氏録では「安曇連は綿津豊玉彦の子、穂高見命の後なり」と記されています。 綿津見神(わたつみ)は台与です。~第848話:hidemaru3375.com/post/底津少童命(わたつみ) 兎我野の「兎」は菟道稚郎子の「菟」と同義で、聖徳太子(豊聡耳命)=台与(豊)のキーワードであるとしてきました。つまりこの太融寺があるあたりは、ウツシコオ
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9月24日読了時間: 6分
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