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地名から読み解く邪馬台国


オノコロ島と塩釜神社
第1096話 オノコロ島とは、日本神話や記紀に登場する島で、イザナギ・イザナミによる国生み神話で知られ、神々がつくり出した最初の島となっています。古事記では淤能碁呂島(おのごろじま)、日本書紀では磤馭慮島(おのころじま)と表記されています。 また、オノゴロ島は、自凝島とも表記され、「自(おの)ずから凝り固まってできた島」の意味です。 イザナギノミコト(男神)とイザナミノミコト(女神)が、国生みの際に、「天浮橋(あまのうきはし)に立ち、天の沼矛(ぬぼこ)をまだ何も出来ていない海原に下ろし、「こをろこをろ」とかき回し矛を持ち上げると、滴り落ちた潮が積もり重なって島となった。これがオノゴロ島です。 この「こをろこをろ」というのは、鉄釜で塩を作るときの音だと指摘されておられるのは、考古学者の森浩一氏です。「日本神話の考古学」P15 古事記では、製塩の情景について、「こをろこをろ」と塩の結晶を道具かき混ぜる音を入れて描かれえています。 宮城県の塩竃市にある塩竃神社には、境外末社に御釜神社があり古い鉄窯が四個保存せれています。この鉄窯を使って藻塩神事が行われ
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八掬脛はナガスネヒコ
第1095話 越後(新潟県)にも、土蜘蛛が居たようです。 越後国風土記に曰く。美麻紀天皇(崇神天皇)の御代に越の国の人がいた。名前は八掬脛(やつかはぎ)という。その人の脛の長さは極めて長く、怪力で甚だ強かった。これは土蜘蛛の後裔であるからだ。彼らの一族は多い。とあります。 八掬脛は、特に崇神天皇(=台与)の時代に存在したとされる存在です。彼らは「八掬脛」と呼ばれ、すねが長い人であり、力が強く、土雲の後裔であるとされています。八掬脛は、越後の国に住んでいたとされ、崇神天皇の御世に存在したと記されています。彼らの存在は、越後国の風土記や古事記、日本書紀などの文献に記されています。 すねが長い人といえば、どうしても長脛彦(長髄彦)を思い浮かべてしまいます、 第1092話:国栖と塞の神~川上鹿鹽神社では、長髄彦(ナガスネヒコ)は長脛彦と書くと「脛:すね」、ナガスネヒコの正体が分かります。荒脛巾神の脛(はぎ)でです。長髄彦=長脛彦=荒脛巾神はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。 と書いたばかりです。 八掬脛は、八握脛、八束脛と表記さ
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崇神天皇と租庸調
第1094話 茨城県常陸太田*市に長幡部神社(ながはたべじんじゃ)があります。 祭神は綺日女命 (かむはたひめのみこと)、多弖命 (たてのみこと)の2柱で、常陸国風土記に記される長幡部一族の祖神です。 長幡とは絹織物の一種・絁(あしぎぬ)を指す言葉で、「長幡部」とはそれを織る技術者集団を表します。長幡部氏は、渡来系氏族と思われ、新撰姓氏録の阿智王条*では、長幡部の祖は帰化した「七姓漢人」のうち皀(こう)姓で、末裔に佐波多村主(さはたのすぐり)がいると書いてあります。*阿智氏は、阿智氏は、台与の一族のことです。 ~第689話:阿智氏・阿直岐は、、、 常陸国風土記では、久慈郡について、「瓊瓊杵尊*が天降った際、御料衣を織るために付き従って天降った綺日女命は、美麻貴天皇*の御代になって長幡部氏の遠祖・多弖命は機織屋を建築し織物を織った。長幡部神社の祭神綺日女命からの御調として朝廷に献上している。」とあります。*瓊瓊杵尊(ニニギ)は台与です。~第436話:瓊瓊杵尊:ニニギは台与 *美麻貴天皇(ミマキ天皇)とは、ミマキイリヒコ(御牧入彦)=崇神天皇、つまり
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崇神天皇と国栖
第1093話 前回:国栖と塞の神~川上鹿鹽神社では、吉野に住んでいた国栖(くず/くにす)と呼ばれる人々が「白檮上(かしのふ)」に横長の臼を作り、それを用いて酒を造り応神天皇に振る舞い歌ったことが記されています。と書きました。 常陸国風土記にも、国栖が登場しています。 崇神天皇の御代、東国の辺境*の地の荒ぶる賊を平定するため那賀国造*の祖である建借間命*を遣わした。安婆*の島に宿営したとき、海の東の浦を遥望すると煙が見えた。人がいるのではと思った建借間命は天を仰ぎ誓約を行い「もし天皇に服属する民の煙であるならば流れ来て我々の上を覆え、だがもし荒ぶる賊の煙ならば退いて海へたなびけ」というと煙は海へたなびいた。これによりおのずから凶賊であることがわかったので、配下の軍兵に命じ、朝飯を早く済ませて軍は海を渡った。このとき敵軍には国栖の夜尺斯(やさかし)・夜筑斯(やつくし)という二人がいた。彼らは自ら首領となり穴を掘り、堡を造って、そこに住んでいた。天皇の軍の動向をひそかに探り身を潜め守りを固め抵抗した。 建借間命は、騎兵に堡を封鎖させ、背後から賊を襲いか
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国栖と塞の神~川上鹿鹽神社
第1092話 川上鹿鹽神社は、奈良県吉野郡吉野町樫尾にあります。創建・由緒は詳らかでありません。祭神は、天照皇大神、忍穗耳命、瓊瓊杵命です。瓊瓊杵尊:ニニギは台与です。 記紀の応神天皇の段に、吉野に住んでいた国栖(くず/くにす)と呼ばれる人々が「白檮上(かしのふ)」に横長の臼を作り、それを用いて酒を造り応神天皇*に振る舞い歌ったことが記されています。*応神天皇は台代です。~第581話:応神天皇(第15代)は台与 奈良県吉野町は、今でも国栖の里と称しており、伝統的な集落で、古代からの文化や手仕事が息づく地域です。 近隣の南国栖に鎮座する「浄見原神社」では国栖の人々が伝えたという歌舞「国栖奏」が行われているなど、この辺り一帯が国栖と呼ばれた人々の拠点であったとされています。 川上鹿鹽神社は樫尾地区と川上村西河地区とを短絡する「五社峠」に位置しており、峠の神として道を往来する人々を守護する幸の神(サイノカミ)な神格として信仰されていたとおもわれます。サイノカミ(幸の神)は猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米です。...
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柴又帝釈天と台与
第1091話 柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、映画「ふうてんの寅さん」で有名です。 「帝釈天」は、仏教の守護神である天部の一つを指します。 日本では、帝釈天は梵天と対になって祀られることが多くみられます。両者を併せて「梵釈」と称することもあります。日本人の感覚としては帝釈天=梵天という感覚があるようです。第1087話:成相寺(2):梵天と小野小町で書いたように、梵天=台与としました。ということは柴又帝釈天も台与と関係があるのでは、と思って調べてみました。 葛飾柴又帝釈天は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創された日蓮宗寺院です。邪馬台国・台与とは何の関係もなさそうです。しかし、葛飾柴又の「柴又」はかつては、嶋俣里であることが発掘によって明らかになりました。奈良時代の正倉院御物に収められた養老5年(721年)の「下総国葛飾郡大嶋郷戸籍」に「嶋俣里(しままたり)」が記載されており、これが現在の柴又に比定されています。 嶋俣里の「俣」は川俣姫(川又姫)の「俣」で、川俣姫は台与です。...
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甲斐国と丹波:橋立明神
第1090話 山梨県の国名である「甲斐」を名乗る甲斐奈神社は、三社あります。 それは、甲斐奈神社という神社で、笛吹市に二社、甲府市に一社あります。それぞれ祭神が異なり、笛吹市は、彦火火出見尊と大己貴命と甲府市では木花之佐久夜毘売、菊理姫命です。これらの神については、この何度もブログで登場しています。 彦火火出見尊=大己貴命=木花之佐久夜毘売=菊理姫命=台与です。 ~第936話:彦火火出見尊は台与 菊理姫命については、つい最近、第1086話:平泉寺白山神社と菊理媛で書いたばかりです。 笛吹市一宮町橋立鎮座の甲斐奈神社(林部宮)は、甲斐国総社とされ、「橋立明神」と呼ばれて大きな権威を持っていました。同社の周辺には、甲斐一宮の浅間神社や国分寺・国分尼寺跡が残り、甲斐国の中心地であったことを窺わせています。この橋立明神は丹後国与謝郡(宮津市)の天橋立の中に鎮座して八大竜王(海神)を祀る神社を勧請したといわれていまする。山梨市歌田の金桜神社も、初名を橋立明神といい、塩見足尼*が丹後から勧請したという伝えがあります。橋立明神を祀る地域が、丹後・甲斐以外にない
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6 日前読了時間: 7分


甲斐国湖水伝説:曳舟神事
第1089話 第339話:丹の湖~亀岡盆地は湖だった!!では、亀岡は湖だったという記事を書きました。なんと山梨県にも同じような伝説があるのです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 歌語り風土記 蹴裂明神より引用 太古の甲府盆地は湖であったともいふ。二代綏靖天皇の御代に、向山土本毘古王(むこうやまとほひこおう)*が甲斐国を訪れ、鰍沢(かじかざは)の南の山を足で蹴って切り開き、湖水を富士川に落して、広大な平地を得て国造りをしたといふ。のちに王の葬られた地にまつられたのが佐久大明神で、蹴裂大明神ともいひ、今の東八代郡中道町上向山の佐久神社のことである。 甲府盆地が湖だったといふのは、甲斐地方に広く伝はる伝説である。地蔵菩薩の発案で蹴裂明神らが切り開いたともいひ、甲府市の稲積神社では、四道将軍の一人武淳川別(たけぬなかわ)*が切り開いたとする。甲府市の穴切大神社では、大己貴命に祈願して、和銅年中に国司以下、多数の人々の力で土木工事をして切り開いたといふ。韮崎市旭町の穂見神社の伝説では、大洪水で甲府盆地が湖水と
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6月25日読了時間: 6分


青葉山松尾寺:投馬国と邪馬台国
第1088話~馬と船 前回:成相寺(2):梵天と小野小町で書いた成相寺に引き続き、同日に、松尾寺(まつのおでら)に行きました。ここのご本尊は馬頭観音菩薩です。西国三十三番札所の中で馬頭観音菩薩がご本尊なのはここだけです。 青葉山松尾寺は、ご本尊の「馬頭」という名称から、民間信仰では馬の守護仏とされており、競馬で一発当てたい方々の参詣も少なくないとのことです。 先達さんの話では、遭難した漁師が流木につかまって岸までたどり着くと、その流木は馬に変身し松尾山を駆け上ったという伝説もあります。 漁の最中、嵐に巻き込まれた漁師・春日宗太夫が馬頭観音の化身である白馬に救われたという霊験譚が伝わることから、交通安全や農耕、漁業を加護する寺として信仰を集めています。 青葉山松尾寺が馬と関連があるのはなぜでしょう。 今回は、その謎を解きます。ヒントは松尾寺のある青葉山です。 青葉山は東峰(693m)と西峰(692m)の2つの山頂を持つ双耳峰(そうじほう)で、見る方角によってその姿を大きく変えます。 海(北側や北西の舞鶴湾など)から見ると、2つの峰が並んで綺麗に2つ
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6月24日読了時間: 7分


成相寺(2):梵天と小野小町
第1087話 先日(2026.6.21)、再び京都府宮津市の成相寺に行ってきました。 日本三景天橋立を望む景勝地にあり、西国巡礼第二十八番の札所です。 前回行ったときは、第867話:成相寺:文武天皇は台与という記事を書きました。 今回は、本尊の聖観世音菩薩について考えてみました。 この観音様は、御伽草子に登場する美しく心も優しいといわれる梵天国王の姫君が姿を変えた観音様と言われており、絶世の美女といわれた小野小町も信仰したと成相寺で貰ったパンフレットに書いてあります。 美しく心も優しいといわれる梵天国王の姫君といえば、台与です。 第1085話:麗美嬢子:みやぬし・やかわえ姫で書いた「麗美嬢子」も台与でしょう。 麗美嬢子=矢河枝比売(八河江比売)は、ウジノワキノイラッコ(宇遅能和紀郎子)の母親です。ウジノワキノイラッコ=聖徳太子は台与です。~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子 第905話:上宮記・薬師如来光背銘:聖徳太子の嘘 梵天(ぼんてん, 巴: Brahmā )は、梵天は仏教の世界観において最高位の一つである梵天界(Brahmaloka)の主です
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6月23日読了時間: 7分


平泉寺白山神社と菊理媛
第1086話 第964話:hidemaru3375.com/post/菊理媛神(ククリ姫)と白山信仰で、 読者の方から、「泰澄大師は、菊理姫でなく、伊弉冉尊だった気がします。後世ですね、菊理媛になったのは。ちなみに、平泉寺白山神社に菊理媛は祀られていませんよ。」というご指摘を頂きました。 この読者の方が言われる通り、平泉寺白山神社に菊理媛は祀られておらず、私も平泉寺白山神社に菊理媛が祀られているとは書いていません。しかし、平泉寺には「菊理媛に関わる伝承的要素」が存在します。 平泉寺白山神社の成立は、泰澄(たいちょう)による白山開山伝承に基づきます。 後世、この白山の神は 妙理大権現 → 白山比咩神 → 菊理媛神 と同一視されていくのです。 つまり、平泉寺の創建譚そのものが「白山の女神の顕現」を語っており、後世の白山信仰体系ではその女神が菊理媛と同一視されるのです。 白山信仰における「白山比咩神=菊理媛」と概念は、平安以前には存在せず、11世紀(平安後期)から室町時代にかけて徐々に成立したものなのです。 菊理媛(ククリヒメ)が白山に吸収されたのは、
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6月22日読了時間: 6分


麗美嬢子:みやぬし・やかわえ姫~宇治市木幡
第1085話 京阪電車の宇治線に黄檗駅と六地蔵駅の間に木幡駅(京都府宇治市木幡)があります。 古事記に、応神天皇(ホムタワケ)が木幡で宮主矢河枝比売(みやぬしやかわえひめ)との出会ったことが書かれています。日本書紀では「宮主宅媛」 前回:額田王(ぬかたのおおきみ)は、、、で「麗美嬢子」といういかにも美人でありそうな人物がいます。次回で紹介する予定です。と書いた麗美嬢子はこの宮主矢河枝比売のことです。 麗美嬢子(矢河枝比売)にはさらに葦那陀迦神(あしなだかのかみ)、八河江比売という別名もあります。 葦那陀迦神とは、「葦な高」で葦の丈が高いこととする説があり、また、邪気払いの力を持つ葦が繁茂することを意味し、生命力や国力の繁栄を表象するといいます。 八河江比売について、川の入り江に葦が繁ることとする説や、祝詞や記歌謡などに見える「ヤグハエ」「ヤガハエ」の言葉との関連から葦とのつながりを推測する説があります。 八河江比売は、多くの川の入り江の巫女の意と捉える説があり、川の入り江は葦の繁茂地となることから、葦那陀迦神の別名となったとする説があります。また
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6月21日読了時間: 5分


額田王(ぬかたのおおきみ)は、、、
第1084話 前回:額田(ぬかた)と糟屋~福岡県で、額田王(ぬかたのおおきみ)の父親は、額田鏡です。額田王=額田鏡=偉那(イニエ)=御牧入彦(ミマキイリヒコ・イニエ:崇神天皇=台与ということですと書きましたので、そのことを検証してみます。 額田王は、飛鳥時代の人で、631年(舒明天皇年)頃の誕生と推定されています。台与の卑弥呼が死んだとき(AD248年)に13歳でしたから。AD235年の生まれです。 年代が全く異なるとの指摘は当たりません。このブログでは、古事記、日本書紀は歴史書ではなく当時の権力者(藤原不比等)によって書かれた創作物としています。 古事記の筆者たち(=藤原不比等の配下のグループ)にとっても、私たちにとっても、額田王も台与も過去の人間である点では同じなのです。古事記は、和銅5年(712年)。日本書紀は養老4年(720年)に完成ですから、額田王は台与をモデルとして創作されたとすることは可能なのです。 日本書紀では、父親が額田鏡=偉那(イニエ)であること以外はすべて不明です。 大海人皇子(天武天皇)に嫁したとされていますが、大海人皇子
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6月20日読了時間: 5分


額田(ぬかた)と糟屋~福岡県
第1083話 「額田(ぬかた / ぬかだ)」は、日本の地名および歴史上の人物名です。大阪府東大阪市にある近鉄奈良線の駅名や各地の地名として知られるほか、飛鳥時代の女流歌人である額田王の姓としても有名です。 前回:春日は糟(かす)垣で、「春日」は、「糟(かす)」に由来すると書きました。 額田の額(ぬか)は、糠(ぬか)とも表記されますので、「米糠」と関係があるのではと思っていましたが、そうではなく「泥濘:ぬかるみ」の「ぬか」のほうが地名の由来として支持されているようです 地形語として「ぬかるみ(泥地)」に由来するという説も古くからあります。 糠部郡(ぬかのぶぐん)とは、かつて陸奥国にあった郡。現在の青森県東部から岩手県北部にかけて広がっていました。 第1072話:ダイダラボッチ(5):久慈 第1073話:ダイダラボッチ(6)~三湖伝説:八郎太郎 では、青森県三戸郡南部町の斗賀神社の裏に十和田神社があり、ここが南祖坊*生誕の地といわれています。*南祖坊はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米です。 南部は糠部です。糠部は奴可(ぬか)で前
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6月19日読了時間: 5分


春日は糟(かす)垣
第1082話 春日(かすが)と言えば、奈良の春日大社を思い出される人が多いかと思います。 ところで、なぜ春(はる)日(ひ)と書いて「かすが」と読むのでしょう。 新撰姓氏録には、大春日朝臣は、もとは仲臣で、後に糟垣が転じて春日となったと書かれています。 「糟(かす)を委(つ)みて堵(かき)と為(な)した」ので、仁徳天皇が「糟垣臣」と名づけ、のちに改めて「春日臣」としたとあります。 つまり、元々は春日(かすが)は、糟垣(かすがき)だったのです。 「糟垣」を、「春日」に改めたのは、「糟:かす」という言葉が体裁が悪いからです。 糟(かす)は、酒粕や残飯・残り物などの「かす」で、古文では下等なもの・取るに足らないものを指す用法もあります。 関西では、すぐに相手のことに腹を立てると「このボケカス」と言います。 「糟(かす)を積んで垣(かき)とした」というのは、残り物や酒粕などを積み上げて即席の垣根を作ったことを表します。 春日氏は、大和国添上郡春日郷を本拠地とした氏族です。古事記では、帯日子国押人命(孝昭天皇の御子)の後裔氏族、いわゆるワニ系氏族の筆頭に掲
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6月18日読了時間: 5分


武蔵国:兄多毛比命・天御鳥命・上殖葉皇子
第1081話 武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、川崎市、横浜市にあたります。 武蔵国は、「夭邪志(むさし)」「胸刺(む(な)さし)」となどど表記され、兄多毛比命(えたもひのみこと)とその子である伊狭知直(いさちのあたい)を祖とするとされています。 第13代成務天皇の時代に無邪志国造(=武蔵国長官)に任命されています。 兄多毛比命(えたもひのみこと)は、第13代成務天皇の時代に無邪志国造に任命されたと伝えられています。また、兄多毛比命は、出雲族の祖先で出雲祝神社や坪宮などで祭神として祀られています 兄多毛比命を祀る神社には、氷川神社、出雲祝神社、玉敷神社などがあります。 氷川神社の社伝には、成務天皇のとき、夭邪志国造である兄多毛比命が出雲族をひきつれてこの地に移住し、祖神を祀って氏神としたとあります。 第679話:伊豆美神社~東京都狛江市 で書いた小野神社(府中市住吉町)や、大国魂神社(東京都府中市宮町)は兄多毛比命が創建したとされています。古縁起には、「兄多毛比命が天下春命を祀って小野宮と号す」とあります。大国魂神社は、武蔵国総社は、兄多毛比命の政
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6月17日読了時間: 5分
邪馬台国 第1041話~第1080話
邪馬台国は、北摂=三島(御島)=枚方、交野、高槻、宇治であるという仮説をたて邪馬台国を探るプログです。 日本各地の地名をたどっていくと、そこから見えてきたのは、卑弥呼が亡くなったのち、 スサノオ、台与(豊)が日本各地で生き生きと活動する姿でした。 素戔嗚(スサノオ)、とよ(台与:豊)は日本各地の暴れ川(洪水)を起こす川の改修工事を行い稲作を促進していくとともに仏教の布教にも関わっていたのです。 第1話~第40話 第41話~第80話 第81~第120話 第120話~第160話 第160話~第200話 第201話~第280話 第281話~第320話 第321話~ 第360話 第361話~第400話 第401話~第440話 第441話~第480話 第481話~第520話 第521話~第560話 第561話~第600話 第601話~第640話 第641話~第680話 第681話~第720話 第721話~第760話 第761話~第800話 第801話~第840話 https://www
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6月16日読了時間: 3分


秩父:阿波秩父観音霊場
第1080話 前々回:阿波国は邪馬台国:太龍寺縁起で書いた太龍寺(たいりゅうじ)は、四国八十八箇所の第二十一番札所です。阿波秩父観音霊場の第10番札所でもあります。 秩父観音霊場(秩父札所)は、日本百観音の一角を成す34ヶ所の観音霊場です。阿波秩父観音霊場はこれを模したものです。 秩父観音霊場は、埼玉県秩父地方に点在する34ヶ所の観音霊場で、西国三十三所・坂東三十三観音とともに 日本百観音を構成します。成立は1234年と伝えられますが、実証的には室町時代に成立したと考えられています。 阿波秩父観音霊場は、『阿波国秩父三拾四か所道中記』によれば、 徳島城下の「亀吉」という人物が、 百観音(西国33・坂東33・秩父34=計100)を巡礼したいという大願を抱いていました。その亀吉の家に尊像が顕れ、 「阿波国に秩父観音霊場を設けて礼拝せよ。百観音の功徳に異なることなし」 というお告げを受けた亀吉は、 文化三年(1806)7月15日から一週間かけて巡礼し、霊場を開いたとされています。 江戸後期は、百観音巡礼の大流行がおこり、遠国巡礼の困難さから生まれた「写
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6月16日読了時間: 6分


秀真伝:ホツマツタヱ
第1079話 秀真伝(秀真政伝紀:ホツマツタヱ)は、古史古伝の一つです。秀真伝は、江戸時代後期安永年間(1772年 - 1781年)に書かれたものと推測されています。これは、安永9年(1780年)に僧侶・溥泉が記した春日山紀(京都大学附属図書館所蔵)に、「ホツマツタヱ」の後世の写本と同様の記述が引用されているからです。 しかし、前回:阿波国は邪馬台国:太龍寺縁起で述べたように、天長二年(825年)教王護国寺の管長になった空海は、「阿波国那賀郡舎心山太龍寺天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐磯輪上秀真国是阿波国也」と阿波国太龍寺に一文を寄せており、秀真国(ほつまくに)のことが書かれています。 秀真伝は、古事記や日本書紀に似ているようでかなり内容が異なっています。 天孫降臨は古事記、日本書紀では「ニニギの天降り」ですが、秀真伝では、アマテルカミ(女性神)による政治的派遣として描き、記紀とはまったく異なる構造を持つ神話体系を提示しています。 秀真系文献の天孫降臨の最大の特徴 は、天孫降臨=アマテルカミ(女性神)が地上統治のために派遣した“行政ミッショ
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6月15日読了時間: 6分


阿波国は邪馬台国:太龍寺縁起
第1078話 弘法大師の書いた太龍寺縁起には、 天神七代之内六世面足尊煌根尊降居坐 磯輪上秀真国是阿波国也 とあります。 天神七代の六台代目の世に面足尊(オモダル)と煌根尊(カシコネ)がこの地に降居坐(降臨)されたという意味です。 面足尊と煌根尊については、第932話:茨城県の邪馬台国(3)近津神社:オモダル・アヤカシコネで書いています。 惶根尊(かしこねのみこと:阿夜訶志古泥神)は、面足尊(おもだる:於母陀流神)と対偶をなす存在とされ、人体の完成や畏敬・豊穣・守護といった解釈されています。~ 國學院大學 古典文化学事業(https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/ayakashikonenokami/) オモダルは「完成した(=不足したところのない)」の意、アヤカシコネはそれを「あやにかしこし」と美称したもの。つまり、人体の完備を神格化した神です。 オモダルは、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)=難升米の別名である思兼神から転じた名前だと思います。 日本書紀には「思兼神」と記され、「
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6月14日読了時間: 7分
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