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地名から読み解く邪馬台国


苅田は、フェリー乗り場
第956話 # 福岡県京都郡 #大阪市住吉区 第949話: 八女津媛は台与~福岡県八女市 で福岡県の八女市のことを書いてから、最近は北九州の記事を書いてきました。 第952話: 媛社神社(七夕神社)~福岡県小郡市 第954話: 神夏磯媛と田油津媛 ~ 福岡県田川市 第955話: 五十迹手(イトデ)と伊都国 ~ 福岡県糸島郡 そして福岡県京都郡に苅田町があることにやっと気づきました。 苅田とは、第619話: 大阪と邪馬台国:苅田(かりた) で、「 天之御影神が、加羅から鉱山技術を持って苅田(十市)にやって来た」とされる地です。 天之御影神は、台与です。~ 第317話: ひょっとこ:火男~天之御影命 福岡県京都郡苅田町馬場には、 宇原神社があり、縁起によりますと、 「遠く神代に御鎮座されたものでありまして、御祭神の彦火々出見尊と豊玉姫尊は海神の宮から御遷りになり日向の神田(苅田)にお着きになられたのであります。神話によると、その時の船が化して島(神ノ島)となり、碇が化して巌石(哮石)となりました。この岩は、潮干の折には上部をあらわしていましたが
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五十迹手(イトデ)と伊都国
第955話 前回: 神夏磯媛と田油津媛 で書いた 神夏磯媛は、神武天皇*に降伏し、田油津媛は、神功皇后に殺されました。もう一人、神功皇后に降伏した人物がいます。それが 五十迹手(いとで)です。日本書紀では、三人ともに九州の人物として書かれています。 *神武天皇=神功皇后= 神夏磯媛=田油津媛=台与です。 五十迹手は、日本書紀に記載される人物で、筑紫の伊都県主の祖とされています。仲哀天皇8年に筑紫に行幸した天皇を出迎え、伊蘇志(いそし)の名を与えられました。これがなまって伊覩(いと)になったとされています。五十迹手は、天皇の来訪を知り、五百枝賢木を抜き取り、船の舳に立て、上枝には八尺瓊を掛け、中枝には白銅鏡を掛け、下枝には十握剣を掛け、穴門の引嶋に迎えました。この出来事が、伊覩の地名の由来となったとされています。 筑前国風土記逸文では、「五十迹手(いとで)奏ししく、高麗の国の意呂山に、天より降り来し日桙の苗裔、五十迹手是なり。」「天皇、即ち五十迹手を美めたまいて伊蘇志(いそし)と曰う。故れ、時の人五十迹手が本土を号けて伊蘇(いそ)国と曰う。伊覩(い
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神夏磯媛と田油津媛
第954話 福岡県田川市夏吉に若八幡神社があります。祭神は神夏磯媛です。周囲には「夏吉(なつよし)古墳群」という古墳時代の古墳群約40基が築かれています。 若八幡神社の祭神である神夏磯媛については、 第578話: 景行天皇(第12代)と神夏磯姫 で、書いたように、景行天皇が 、熊襲を征伐するために自ら西下し九州に巡幸した際に投降してきたいう女酋とされています。 女酋とは、この地域の統率していた女性のリーダーという意味です。北九州には、もう一人 田油津媛(たぶらつひめ)という 女酋がいます。 田油津媛は、日本書紀に記述されており、山門郡に居たとされる土蜘蛛の巫女女王です。日本書紀では神功皇后により誅殺されたとされています。この田油津媛は、 土蜘蛛のリーダーで 神夏磯媛の子孫とされています。 ~若八幡神社由緒。 福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚とよばれる古墳が残されています。 この 田油津媛は山門(ヤマト)を本拠地としていたため、 邪馬台国の女王:卑弥呼の子孫と見る説もあります。田油津媛の死を以って大和王権は九州を平定し
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伊支馬は生駒:往馬坐伊古麻都比古神社
第953話 往馬坐伊古麻都比古神社(いこまにいますいこまつひこじんじゃ)は、奈良県生駒市にあります。往馬大社(いこまたいしゃ)と通称されています。 主祭神は、伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神です。 伊古麻都比古神、伊古麻都比賣神は古代より火を司る神として信仰されており、大嘗祭で用いられる浄火を起こす道具である火燧木は代々当社が献上することとなっています。明仁天皇(現在の上皇)の大嘗祭でもこの往馬大社の火燧木(ひきりき)が使用されています。そのため、往馬大社は、 「火燧木神」とされており、10月第2日曜日の例祭は「火神祭」と呼ばれています。 大嘗祭は、稲作に関わる祭りです。 第486話: hidemaru3375.com/post/神武東征と稲作文化 第483話: 饒速日は稲作の神 で書いたように、台与は日本ので稲作を推進してきました。 そして、第936話: 彦火火出見尊は台与 では、「火は、鉄のことです。台与、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米 は大穴持ち(オオナムチ)=鉱山の経営者です。日本各地で、朱や鉄を採掘を
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媛社神社(七夕神社)~福岡県小郡市
第952話 福岡県小郡市に媛社神社(ひめこそ*じんじゃ)があります。通称「七夕神社」です。 当社祭神は、「織女神」(しょくじょしん/棚機神・たなばたしん)と「媛社神」(ひめこそしん)で、地元では親しみを込めて「七夕さん」と呼ばれています。 この 媛社神社 の二の鳥居には、「磐船神社」・「棚機神社」と併記した額があります。 *ひめ こそ の「こそ:社」とは神社の意味です。 磐船 神社といえば、私が邪馬台国とする大阪府交野市の 磐船 神社です。この地は、 饒速日との関連が深い場所で、片野物部(交野)の本拠地です。倉治 (クラジ:高倉下)などの地名もあり、台与のホームタウンです。饒速日、高倉下は台与です。 第484話: 台与は饒速日②~交野市倉治 第82話: 高津姫 ~岩船街道 、 第110話: 星の降る町~速玉は饒速日 福岡県小郡市の媛社神社ではこの地は、織物が盛んであったようで、「棚機津女」(たなばたつめ)信仰がありました。それが後に、七夕に由来するようになったとのことです。 この織女神は「万幡秋津師比売命」(よろずはたあきつしひめのみこと)のこと
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水間氏(2):物部阿遅古連公
第951話 先代旧事本紀の天孫本紀によると、饒速日尊14世孫に「物部阿遅古連公(もののべのあじこのむらじきみ)は水間君(水沼君)らの祖である」とあります。 この 物部阿遅古連公は、 阿遅志貴託日子根神(アジスキタカヒコネ)と同神と見られています。 第874話: 高負彦根神社:アジスキタカヒコネは台与 でも書いたように、アジスキタカヒコネは台与です。 肥前国風土記:基肄郡( 福岡県小郡市) の姫社神社(ひめこそ)の創祀譚では、次のように書かれています。 昔、姫社郡を流れる山道川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であったといいます。「筑前の宗像の郡の 珂是古 に祭らせよ。さすれば凶暴な心はおこすまい」との託宣があった。珂是古は幡を高くあげて風のまにまに放した。その幡は姫社の杜に落ち、夜珂是古の夢に織機類が出てきたので、女神であることを知った。社を建てて神を祭ったところ、災いがおさまった。 *「荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され」とは、荒ぶる神とは、暴れ川(洪水を起こす川)のことで、ウツシ
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水間氏(1):水沼の県主猿大海
第950話 # 弓頭神社 # 高良玉垂宮 前回: 八女津媛は台与~福岡県八女市 では、次のように書きました。 福岡県八女市矢部村北矢部に八女津媛神社があります。 景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから八女の地名が起こったといわれています。そして水沼の県主:猿大海は、猿田彦= スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) の事としました。 水沼の県主の「水沼:みぬま」 は日本の古代氏族で水間氏(みずまうじ)氏のことです。 日本書紀によれば景行天皇と襲武媛(そのたけひめ)の間に生まれた国乳別皇子(くにちわけのみこ)を始祖とするといいます。国乳別皇子は、神功皇后が新羅を攻めたとされる際に弓頭(もしくは弓大将)として従ったとされ、現在の久留米市三瀦(みずま)にある弓頭神社に祭られています。 弓頭神社は、 三瀦の総社で、高良玉垂宮の元宮ともされる大善寺玉垂宮久留米市域の南、三瀦(みずま)に鎮座しています。「大善寺玉垂宮」は、高良玉垂宮と同じく玉垂命を祀っており
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八女津媛は台与~福岡県八女市
第949話 第947話: 八面大王と八女大王 では、八面大王=八女大王=台与としました。そして八女大王の「八女」は、九州・福岡県の八女市の事と思われます。 福岡県八女市矢部村北矢部に八女津媛神社があります。 景行天皇が八女の地に巡幸の折、水沼の県主猿大海が「この地方に女神あり。その名を八女津媛といい、常に山中におる」と奉上したことから八女の地名が起こったといわれています。近くには吉野ヶ里遺跡があり、 八女津媛は卑弥呼であると主張する人もいます。 水沼の県主猿大海とは、猿田彦= スサノオ(津田の王 ) = ウツシコオ(内色許男命) =難升米 のことでしょう。 ~ 第596話 : 彦狭知の物語8~猿田彦 第950話: 水間氏(1):水沼の県主猿大海 八女大王は、「八女の大王」の名前から名付けられたもので、これは北九州で6世紀初めに継体帝に滅ぼされた筑紫の君を指すともされています。彼は継体帝から逃れ、安曇族と共に信濃にたどり着き住みついたとされ、その末裔が八女大王であると考えられています。 筑後国風土記:逸文によると、上妻県(かみつやめのあがた:福
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2月5日読了時間: 5分


たつのこ太郎:小泉小太郎伝説
第948話 小泉小太郎は、長野県上田地域に伝わる民話です。人間の父親と大蛇の母親との間に産まれた少年・小太郎にまつわる物語で、同じく長野県安曇野地域には泉小太郎という民話が伝わっており、こちらは小太郎が自らの母親である竜と共に安曇野周辺を開拓する物語です。 この2つの伝説は、小泉と泉の違いがあり、内容も異なっていますが、元々は同じ話だったと思われています。ポイントは、泉・小泉の母親が龍(=たつ)であるということです。現代になってこれらを一つの物語に再編する試みがなされ、作家・松谷みよ子による「龍の子太郎」が書かれています。 <泉小太郎にまつわる民話> 西塩田村にある鉄城山の山頂に寺があり、そこへ毎晩のように通う一人の女性がいた。彼女がどこからやって来たのか分からず、不思議に思った寺の住職は、彼女の衣服に糸を付けた針を刺しておいた。翌朝、住職が糸をたどって行き着いた先は、川の上流にある鞍淵の洞窟であった。中をのぞくと、赤子を産もうと苦しむ大蛇の姿があった。住職は驚いて逃げ出し、出産を終えた大蛇も正体が知られたことを恥じて死んでしまう。...
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2月4日読了時間: 7分


八面大王と八女大王
第947話 魏石鬼窟(ぎしきのいわや)は、長野県 安曇野市穂高* 有明にある古墳です。穂高古墳群(うちD群)を構成する古墳の1つで、安曇野市指定史跡に指定されています。坂上田村麻呂に対抗するために魏石鬼八面大王がたてこもった岩屋といわれておます。 安曇野に巣食う悪鬼「魏石鬼八面大王」は、その悪行から坂上田村麻呂*に討伐されたと伝わります。しかし、地元の安曇野では八面大王は優れた首領と愛されていました。 八面大王とはこの地の阿曇族だと考えられます。 なぜ阿曇族は討伐されなければならなかったのか?そして、八面大王を討伐したのは本当に坂上田村麻呂なのか?~ 魏石鬼八面大王②|安曇野を治めた八女大王の抗戦 | 馬の駆ける速度で地球旅|神話を歴史へ そして、八面大王とよく似た八女大王の伝説もあります。 八女大王伝説は、長野県の安曇野地方に伝わる伝説上の人物で、地元では「饅頭鬼」とも呼ばれていました。彼は手下の鬼たちを従えて村を襲い、食べ物や家畜、財宝を奪ったり、女性をさらったりと、住民を苦しめていたとされています。 八女大王は、長野県の安曇野市にある有明山
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2月3日読了時間: 5分


テナヅチ・アシナズチ:稲田宮主簀狭之八箇耳
第946話 前回: 八坂神社と朱智神社 で書いた八坂神社には、素戔嗚尊 (スサノオ)、櫛稲田姫命 (くし(い)なだひめのみこと)の他にも、稲田宮主簀狭之八箇耳(いなだのみやぬしすがのやつみみのかみ)という神も祀られています。 この稲田宮主簀狭之八箇耳は、足名椎神のことです。 アシナヅチ (足名椎、足名鈇、脚摩乳) ・テナヅチ (手名椎、手摩乳) は、櫛名田比売の両親です。 この神名は、古事記では足名椎に授けられた別名ですが、日本書紀では、脚摩乳(足名椎)・手摩乳(手名椎)をともに宮の首*とし、二柱に「稲田宮主神」の名が授けられていmす。日本書紀:一書一では、稲田媛の親を「稲田宮主簀狭之八箇耳」とし、授けられた名ではなく元々の名前のように記しており、一書二では、父の名を「脚摩手摩」、その妻の名を「稲田宮主簀狭之八箇耳」としています。 *宮の首は、「宮主」で宮(須佐之男命と櫛名田比売の住まい)の管掌者を表すとされ、稲田を祭る司祭者の意味とする説もあります。 「宮主」という名称が女性によく見られることから、本来は豊穣を掌る女神であったと推測され、「稲田
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2月2日読了時間: 4分


八坂神社と朱智神社
第945話 八坂神社は、清水寺と同様に京都で非常に有名な観光地です。地元の人々は、八坂神社を「祇園さん」や「八坂さん」と呼びます。祇園祭(祇園会)の胴元としても知られています。全国にある素戔嗚(スサノオ)を祭神とする関連神社の総本社とも言われています。 八坂神社の起源には、いくつかの説があります。一つは、貞観18年(876年)に僧・円如が観慶寺を建立した際、祇園神が東山の麓に降り立ったというものです。もう一つは、斉明天皇2年(656年)に高句麗の使者が新羅国の牛頭山の須佐之男尊を祭るために建てたという説です。 第331話: : 朱智神社~迦邇米雷王 では、朱智神社について触れています。朱智神社は、京都府京田辺市天王高ケ峰に位置しています。祭神は、迦邇米雷王(かにめいかずちのみこ)です。この神は息長氏の祖とされています。 桓武天皇の時代には、「建速須佐之男命」を相殿に祀って「大宝天王」と呼ばれました。清和天皇の時代には、朱智神社の大宝天王が八坂神社へ勧請されました。かつては毎年「榊遷し」の行事が行われていました。この朱智神社の最寄りのバス停は「天王
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2月1日読了時間: 4分


母木邑(おものきむら)と鳥取
第944話 前回: 母木邑(おものきむら)とアラハバキ で書いた母木(おものき)は、「ハハキ」とも読めます。 「ハハキ」とは「伯耆」(ホウキ:昔は、ハハキ)で、今の鳥取県(西半)ですが、「鳥取」は、垂仁天皇紀に出てくる垂仁の皇子である誉津別(ホムツワケ)王は喋れなかったのですが鳥を見て喋られるようになった、その鳥を「天湯河板挙」(あまの・ゆかわ・たな)が出雲(或いは但馬)で捉えてきたので、誉めて「鳥取造」に任じ、「鳥取部・鳥養部・誉津部」を定めた、とあります。 大山元著の「古代日本史と縄文語の謎に迫る」のP70に次のようなことが書いてありあるます。「河内恩智や大県(大阪府柏原市・八尾市)は、大昔縄文時代「totto ni」と呼ばれていた。和語を持った人々が移住してきて、その地名を意味訳で、「母・木」と呼び音写では、トット・ニと呼んだ。」 アイヌ語で「母」は「totto 」で「木」は「ni」なのです。 垂仁天皇紀などにある「鳥を取る」説話は、この地名とそれに基づいた氏族名が先に会ってそれに付会して作られた説話だと思います。 古事記では、誉津別皇子は
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1月31日読了時間: 4分


母木邑(おものきむら)とアラハバキ
第943話 #ホムツワケ #ナガスネヒコ #アラハバキ 大阪府にかつて(古代)、母木邑という地名がありました。 古代史に詳しい人なら、神武天皇がナガスネヒコと戦った場所として知っておられるでしょう。角川地名大辞典「旧地名」によると、母木邑は、奈良期~平安期に見える邑名河内国高安郡のうち母樹・飫悶廼奇とも書きます。 日本書紀;神武天皇即位前紀条によれば,孔舎衙の戦いの際,大きな樹に隠れて難をのがれた人が其の樹を指して「恩,母の如し」といったので,「時人,因りて其の地を号けて,母木邑と曰ふ今飫悶廼奇と云ふは訛れるなり」とあります。 同じく継体天皇24年条に,遣任那将軍近江臣毛野の従者として「河内母樹馬飼首御狩」 が見えます。枚岡市史では,御狩をはじめ「日本書紀」に見える「河内馬飼首荒籠」なども、馬飼部の首長として,現在の東大阪市の新町・豊浦町付近を本居としたものと推定されています。 天平3年7月5日のものと伝えられる住吉大社司解に,胆駒(=いこま:生馬)・神南備山本記の四至が記され、そのうちに「西限母木里公田,鳥坂至」とあります。...
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1月30日読了時間: 5分


坂上田村麻呂と毘沙門天
第942話 坂上田村麻呂は毘沙門天として祀られています。 清水寺の本尊は十一面千手観世音菩薩ですが、千手観音の脇侍には婆藪仙人と大弁功徳天を置くのが基本ともいわれますが、清水寺の脇侍は地蔵菩薩と毘沙門天です。 これには、清水寺を創建した坂上田村麻呂の伝説が関係しているようです。 清水寺縁起によると、坂上田村麻呂は蝦夷の地で信仰していた清水観音に祈り続けながら戦っていたといいます。 その前に現れたのが僧侶と老翁*で、僧侶と老翁は、田村麻呂が蝦夷征討に赴く際、開山の延鎮が必勝祈願のために彫った地蔵菩薩と毘沙門天だったと言われています。 毘沙門天は本来インドの財宝神クベーラ(ヴァイシュラヴァナ)に由来し、財宝、富の守護 北方の守護、武神としてあがめられています。 そして、東北では毘沙門天が強く信仰されています。その理由は、毘沙門天は北方守護神であるからです。 東北は大和朝廷にとって「北方の境界」で 北方を守る神=毘沙門天の権威が必要です。前回: 坂上田村麻呂と金 書いたように坂上田村麻呂は金の採掘と関連しています。 坂上田村麻呂は、...
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1月29日読了時間: 5分


坂上田村麻呂と金
第941話 前回の: 田辺史氏(4):田辺難波 では、 田辺難波の「蝦夷討伐」も、 坂上田村麻呂の蝦夷討伐と同様に、創作である可能性があります。実は、大和朝廷による蝦夷討伐の法等の目的は、別にあるとしました。 その目的=大和朝廷が東北地方に赴いた理由とは、 金 なのです。 「朝廷が“金(黄金)を得ること”を東北経略の重要な動機の一つとしていた」という見解は、史料的にも十分に根拠があり、学術的にも広く支持されています。 なぜ「金」が東北政策の重要要因とされるのかというと、国家にとって金は戦略資源です。 天平21年(749)、陸奥国司・百済王敬福が献上した産金900両によって、奈良の大仏の鋳造が完成したことは有名です。 「陸奥は金の出る土地」で、国家的に極めて重要な地域です。 田村麻呂個人が「金を求めた」という直接的記述は史料にありません。しかし、彼が派遣されたとされる岩手南部〜宮城北部は、まさに当時の主要産金地帯です。 第476話: 金華山と百済王敬福 では、次のように書いています。 金華山の名はこの金花(華)「くがね咲く」から来ています。 そし
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1月28日読了時間: 4分


田辺史氏(4):田辺難波
第940話 田辺史氏は、奈良時代の官吏であり、百済系の渡来氏族に属していました。彼らは河内国安宿郷の田辺の地を本拠地とし、日本書紀や新撰姓氏録に登場する重要な人物たちを輩出しました。田辺史氏の代表的な人物には、田辺伯孫、田辺史鳥、田辺小隅などがいます。また、藤原不比等を育てた田辺史大隅の名も、尊卑分脈に記されています。 田辺史氏は、天平勝宝2年(750年)に上毛野君に改氏姓し、弘仁元年(810年)に朝臣姓を賜わり、皇別の上毛野氏の同族に列しました。ところで上毛野の祖といえば、 豊城入彦命です。豊城入彦命は、日本書紀によると、豊城命は東に向かい武器を振るったので 東国 を治めさせるために派遣されたといいます。豊城入彦命については、第756話: 赤城山と豊城入彦命(台与) 第424話: hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山 で台与としています。 そして、奈良時代の貴族に田辺難波 (たなべのなにわ) という人物がいます。 氏性は田辺史でのちの上毛野君とされています。 田辺難波は、(724年)「蝦夷討伐」に参加
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1月27日読了時間: 4分


藤原不比等と田辺史氏(3)
第939話 前回: 藤原不比等と田辺史氏(2) で述べたように、田辺史氏は、単なる一氏族ではなく、 河内安宿郷を中心とした渡来系知識人ネットワークの核 でした。 地理的ネットワーク 河内安宿郷(本拠)~元は、枚方市甲斐田(柏原): 第757話: 甲斐国と甲斐田(枚方) 摂津住吉郡田辺(北田辺)~住吉大社=瀬戸内海;朝鮮半島;中国大陸への玄関 第922話: 邪馬台国は河内湖:長柄船瀬 山城国綴喜郡田辺(京田辺)~ ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米の本拠地 紀伊国田辺(和歌山県田辺市)~ スサノオ のホームタウン~ 第543話: 熊野の神々 代表的な田辺史氏の人物 田辺史伯孫(はくそん):雄略紀に登場、河内安宿郷の住人 田辺史鳥(とり):日本書紀に登場、文筆・記録に関わる人物 田辺小隅(おすみ):壬申の乱で近江軍の将 田辺史大隅(おおすみ):藤原不比等の養育者として、『尊卑分脈』にのみ登場 田辺史広足(ひろたり):奈良時代の官人、甲斐守 続日本紀に田辺広足が黒身にして白(髪)尾の神馬を聖武天皇に献上したことが見
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1月26日読了時間: 4分


藤原不比等と田辺史氏(2)
第938話 前回の 甲斐の国造は、、、 では、 田辺史広足=手力雄神= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米としました。 このことを実証するために 田辺史広足の 田辺史氏は ついて調べることにしました。 しかし、その前に、田辺という地名について考察します。 ・摂津国住吉郡(大阪市東住吉区田辺)は、住吉神社の近くです。ウツシコオ=武内宿祢との関係が深い地です。 住吉神=武内宿祢= ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) ・山城国綴喜郡田辺(京田辺市)は、木津川(泉川)のある地で、これまでも何度も登場しています。~ 第821話: 泉津~泉(5)京都府木津川市 第331話: 朱智神社~迦邇米雷王 では、 朱智神社があるあたり一帯は天王(地名:京都府京田辺市天王)です。と書きました。天王はスサノオのことです。スサノオはウツシコオです。 ・紀伊国田辺(和歌山県田辺市)は熊野本宮大社のある地で、ウツシコオのホームグラウンドです。~ 第543話: 熊野の神々は、、、 「田辺」という地名は、いずれもウツシコオと関係の深い地
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1月25日読了時間: 5分


藤原不比等と田辺史氏(1)甲斐の国造
第937話 笛吹川(ふえふきがわ)は、甲斐の国(山梨県)をながれています。日本三大急流の富士川水系の一級河川です。最上川、球磨川とともに日本三大急流のひとつである富士川水系の笛吹川は地形が急峻なため、梅雨や集中豪雨、台風により洪水が起こりやすい川です。 このブログでは、 ウツシコオ(内色許男命) = スサノオ(津田の王 ) =難升米 と台与は日本各地の暴れ川の改修を行って稲作を促進してきたと書いてきました。きっと笛吹川の周辺にも、台与とウツシコオの痕跡があるはずだと思って調べてみました。 山梨県笛吹市石和町河内に佐久神社がありました。 山梨県甲府市下向山町にある佐久神社については、すでに 第577話: 日向土本毘古王=沙本毘古王は台与 で書いてしまっていました。この佐久神社の 祭神は、向山土木毘古王、 建御名方命 、 菊理媛神 、手力雄神です。祭神の向山土本毘古王(むこうやまとほひこおう)は彦火々出見尊の後裔で日向の国( 日向は大阪府守口市 ) 高屋御殿で生まれ第二代綏靖天皇の大臣となり、後に 甲斐の国造 に任命されます。其の頃甲斐の中央部は一
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1月24日読了時間: 6分
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