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小人国 ~葛城:武埴安彦命の乱3

更新日:5月8日

第52話


小人の国、裸国があると書いてある魏志倭人伝はガリバー旅行記みたいで信用できないなどとつまらぬ文章を書いてしまいましたが、侏儒国(こびと国)はありました。


高尾張邑に、土蜘蛛あり、其の為人(ひととなり)、身短くして手足長し。侏儒と相類(あいに)たり、皇軍葛の網を結(す)きて、襲ひ殺しつ。因りて改めて其の邑を葛城という。


小人のような土蜘蛛は鉱山労働者ではないかと、「青銅の神の足跡」の中で谷川健一氏は述べられておられます。狭い鉱山の中では小人の方が仕事がしやすいのです。そう言えばディズニーの「白雪姫と7人の小人」の小人は鉱山業者でした。つるはし担いでハイホー、ハイホー


奈良県五條市周辺が、阿太(アタ)です。この小人族が、アタ一族です。鉱山のほかにも紀ノ川の水運業では栄えていたと思われます。三島の溝杭のような人物がいたと思われ、その娘のアタ姫を神武は娶ったと思われるのです。神武の子タギシミミがこのアタ族を引き継いで支配していました。


タギシミミ(実はタケハニヤス)は、「片丘の大窨(おおむろ)の中に有り、ひとり大床に臥せっていた。」と日本書紀に書いてあります。この片丘は奈良県北葛城郡王寺・香芝町で現在の御所市です。大窨(おおむろ)とは、坑道のことでしょう。


この鉱山を自分の物にしたいと、思ったのがカミヌナカワ(神渟名川耳尊、渟名川耳尊、神渟名川尊)こと大彦=大国主=綏靖天皇です。


タギシミミ(手研耳命)は、神武(=スサノオ)とアタ姫の子で、記紀ではタケハニヤスに改ざんされています。


その頃、カミヌナカワ(大彦、大国主)と事代主(スクナ彦)は三輪山麓の沼鉄鉱を営んでいたと思われます。(後述予定)


つまり、この戦い=カミヌナカワがタギシミミを殺すは話は、葛城の鉱山業者と、三輪山麓の沼鉄鉱業者の争いだったのです。それがさらにタケハニヤスの乱として伝えられたのです。


そういえば、スクナ彦も小人でした。スクナ彦は手の俣からこぼれ落ちる程小さかったとの記述や,栗殻にはじかれたとの記述があることから,スクナ彦は砂鉄を扱う製鉄技術者を伴ってやってきた人ではないかと思われます。


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小人国があったということは、裸国もあるのかな?




※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


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