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星の降る町~速玉は饒速日

更新日:4月9日

第110話~隕鉄剣


大阪では妙見さんと言えば、能勢ですが交野市にも妙見さんがあります。星田妙見宮(小松神社)です。妙見とは七曜の星(北斗七星)のことで、能勢の妙見さんも、交野の妙見さんも大昔に隕石が落ちたとされる伝説が残っています。この地は、饒速日が天下ったとされる岩船神社の近くです。高倉下(大彦)が住んでいたとおもわれる倉治も交野市です。


星田の妙見さん(小松神社)は、天之御中主大神を主祭神とし、高皇産霊大神・神皇産霊大神を祀っています。高皇産霊大神はタカミムスビ=ウツシコオで、神皇産霊大神はカミムスヒ=饒速日のことです。饒速日の正式な名前は天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊です。


和歌山県の熊野三山は家津美御子(けつみみこ)、速玉、牟須美の三社です。熊野速玉大社に祀られている速玉神は、饒速日のことです。天火明櫛玉饒速日という名前は、天から火の玉が降ってくることからつけられての名前だと思われます。ちなみに饒速日の本当の名前は大歳です。


本来、隕石と饒速日は無関係ですが、「饒速日と先代旧事本紀」の著者、戸矢学氏は饒速日は隕石・隕鉄を探し探しに来たのではないかとされています。隕石で作った剣は隕鉄剣とよばれ非常に貴重なものです。2016年、イタリア人とエジプト人の研究者から成る調査チームによると、ツタンカーメンの墓で発見された短剣が、隕石を素材としていたとする調査結果が発表されています。


奈良県天理市布留町にある石上神社のある布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下を通して天皇の元に渡ったとされています。その後物部氏の祖宇摩志麻治命(ウマシマジ)により宮中で祀られていましたが、崇神天皇7年、勅命により物部氏の伊香色雄命が石上大神にとして祀ったとされています。また素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から石上神社へ遷されたとも伝えられています。第10代崇神天皇(ミマキ入彦)の7年に勅命によって、物部氏の祖 伊香色雄命(いかがしこおのみこと)が現地、石上布留高庭(いそのかみふるのたかにわ)にお遷ししてお祀りしたのがこの神宮の創めです。


石上神社にまつられている布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)、布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)、天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)こそがこの隕鉄剣ではないでしょうか。


布留は降るで天から降ったということです。物部氏の十種神宝の呪文は「フルベフルベ」です。ちなみに石上神社はイソガミでイソは五十猛(イソタケル=饒速日)のことと思われます。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




星田の星のブランコ



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