top of page
  • tootake

饒速日はスサノオの子

更新日:3月5日


第22話


饒速日の別名は、大歳であるということが、神一行著「消された大王ニギハヤヒの謎」で述べられています。

日本の各地に大歳神社があります。社伝では大歳はスサノオ(素戔嗚尊)の子とされています。そして、大物主の正式な名前「くし・みかたま」から大物主は大歳と呼ばれていたことが分かります。

京都の八坂神社では、大歳はスサノオの五番目の子として祀られています。

日本神話では、『古事記』において須佐之男命と神大市比売(かむおおいちひめ・大山津見神の娘)の間に生まれた大年神(おおとしのかみ)としています。


大物主=くし・みかたま=大歳=饒速日ということなのです。

このことにより、饒速日はスサノオの子であるといえるのです。

ところでスサノオは、天王(牛頭天王)とも呼ばれていました。

実は茨木市の奈良には天王という地名もあるのです。私の生まれた場所(三島郡三島町)のすぐそばです。自転車に乗らずとも歩いて行ける距離です。


これまでも述べてきたように茨木市の奈良には、饒速日、神武天皇の妻とその母、その父が住んでいたことになります。さらにスサノオが加わりました。近くにある天王山がスサノオに関係しているかはまだ分かりませんが、、


そういえば我らがイカガシコオは、出雲の大臣と呼ばれていたのも納得です。

葦原色許男(アシハラシコオ)は、大国主の養子だそうで、イカガシコオがアシハラシコとすればこれも納得です。

更には、三島の溝杭こと八咫烏こと武角身命は、ミホツ姫と大国主の子とする説もあります。『古事記』の大国主神の系譜では、大国主神との間に阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね・味耜高彦根神)と下照比売(したてるひめ)を生んだと記されています。この高日子(たかひこね)が三島の溝杭こと八咫烏こと武角身命ということです。原田常治「古代日本正史」


ミホツ姫は天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した「宗像三女神」の一柱で、『古事記』では多紀理毘売命、『日本書紀』では田心姫(たごりひめ)・田霧姫(たきりひめ)と表記される。『古事記』では別名を奥津島比売命(おきつしまひめのみこと)とされているが、『日本書紀』第三の一書では市杵嶋姫(市寸島比売・いちきしまひめ)の別名としている。


饒速日、スサノオは出雲系とされています。この奈良地区は、ミマキ国(高槻、枚方)のすぐ近くです。ミマキ入彦(崇神)天皇が住んでいたと思われる枚方市伊加賀までは車で30分以内、自転車でも1時間以内でいけます。というとは、この時点でヤマト朝廷と出i

雲王朝が合併してしていたことではないでしょうか。(饒速日、スサノオが出雲系というのは常識ですが、私には段々そうは思えなくなってきました。大国主=カミムスヒではないかと考えるようになってきました。詳細はまた今度)



大和~大きく和すると書いてヤマトと読むのはヤマト(邪馬台国)と出雲王朝が和解したことを表しているという研究者もいます。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



閲覧数:60回1件のコメント

最新記事

すべて表示
bottom of page