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出雲神話の真実

更新日:5月1日

第41話


以前このブログで、「投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲」、「国譲り ミシマVsミマキ」いう記事を書きました。


出雲神話は、出雲での話ではないとそろそろ研究者も気が付き始めて来たようです。大体、出雲風土記には、事代主が登場しませんし、国譲りの話もありません。


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赤城毅彦著「邪馬台国発見史」P148~150より抜粋


事代主を祀った神社は出雲には一つもない。他の出雲系の神々も出雲との結びつきは少ない。出雲系の神々の始祖スサノオ信仰の中心が紀伊国(和歌山県)にあり、須佐神社もある。大和国には、出雲系とみられる石上神社、大神神社もある。これらを考え合わせると、出雲文化圏の中心地は大和国から紀伊国にかけての地方であったと推測することができる。大国主が支配したのは、出雲国ではなく近畿であったと考えられる。


また、出雲系の神々は四国、中国、近畿、中部地方と広範囲に分布している。

事代主は、三島の溝杭と関係がある。


津田右京氏の説では、出雲国の文化圏が大和(三島)にあり、戦いに敗れて出雲国に対比したのではないか? (三島)は私の挿入

                    引用終わり

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敗れたのはカモ族です。カモ族は邪馬台国の物流を担っていた一族で物部氏と協力して大和(邪馬台国)を支えてきたのですが、ウツシコオの策略で、そのすべての利権を乗っ取られてしまった。というのが国譲りの真相です。


三島の溝杭は、事代主です。

ところで大国主ですが、オオアナムチ→オオナムチ(大名持ち)→大穴持ち

穴は鉱山のことです。上垣内先生の説では鉱山と当時の天皇と関係してとのこと。大国主は大彦ではないかと思っています。


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<後記>

その後の検証で、出雲とは地名ではなく「ヤマト朝廷にたてつくものを指す」ことに気が付きました。大国主(実は大彦:皇位継承者)、事代主(三島の溝杭:皇位継承者)、ウマシマジ(物部一族の頭首)の権力を奪い去ったというのが出雲神話の真実です。



<邪馬台国の新常識>


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



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