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  • tootake

饒速日は大阪府茨木市出身

更新日:3月5日

第87話~神武は饒速日


孝霊天皇の后は細媛命(くわしひめのみこと/ほそひめのみこと)は、孝霊天皇の皇后。

孝元天皇の生母です。日本書紀第1書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛(かすがのちちはややまかひめ)、第2書では十市県主等の祖である真舌媛(ましたひめ)としています。

孝元天皇の母親です。真舌は、地名です〒566-0022大阪府摂津市三島、春日も茨木市中穂積辺りをさします。なおこの辺りには天王〒567-0876という地名もあり、天王とは素戔嗚(スサノオ=孝元天皇)のことです。


孝元天皇は饒速日です。ということは、饒速日はこの辺り(三島)で生まれたはずです。

新和(にいや)と表記される地区に住んでいたものと思われます。饒速日をローマ字表記にすると NIGIHAYAHI(にぎはやひ)ですが、西日本では濁音が清音に変化するため NIKIHAYAHI(にきはやひ)となり、また発音し難い「は」と末尾の「ひ」が省略され NIKIYA。世界的に Kは Hに転化するため、NIHIYA(にひや) になったとする説があります。


新屋坐天照御魂神社の社伝によれば、神が当地に降臨したのに始まるという。景行天皇20年には、この神を天照皇大神と称して、神功皇后三韓出兵の際、当地の川原で禊をして当社を祀り、凱戦後に当社祭神の幸魂荒魂を西の川上(宿久庄)と東の川下(西河原)に分祀したという。の裏山一帯に約30基の円墳からなる新屋古墳群があります。


この新和(にいや)から5キロほど離れた所にあるのが東奈良遺跡です。奈良県にも保津という地名があります。磯城郡田原本町保津、ここは鍵・唐古遺跡関連の土地です。


孝元天皇の父、孝霊天皇は、ここに黒田廬戸宮(くろだのいおどのみや)に都を移します。

三島から、黒田へのルートが河内湖→奈良盆地湖→黒田廬戸宮でこのルートの守り神が味舌姫です。市寸島比売命(イチキシマヒメ)は味舌姫


そして、成長した饒速日(孝元天皇)は父の孝霊天皇(素戔嗚)とともに、五十猛となり木の国(和歌山)、さらに中国地方、九州へと活躍し、伊都国の一大卒になったりします。

日向(九州)の御子は神武とされますが、その足跡を見ていくと神武=饒速日です。

大神神社には、日向の御子も祀られています。高宮神社(こうのみやじんじゃ、位置)祭神:日向御子神、三輪山上に鎮座する。


<饒速日の足跡>

<関連項目>


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



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