top of page
tootake

天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー

更新日:2023年10月5日

第102話


天香語山命は、高倉下のことです。先代旧事本紀では、物部氏の祖神である饒速日命の子で尾張連らの祖天香語山命(彌彦神社の御祭神)の割註に「天降り以後の名は手栗彦命または高倉下命である」としています。天香語山も五伴緒のメンバーです。


天孫本紀では、天香語山命は紀伊国の熊野邑(和歌山県新宮市や紀ノ川流域)に住んでいたと書いてあります。高倉下は大彦で饒速日(孝元天皇)の子です。高倉下(天香語山)も木の国についてきていたのでしょう。熊野は素戔嗚と関連のある場所です。


五伴緒は卑弥呼の付き人と書きました(第101話)。そして五伴緒の共通点は、木の国の名草との関連、三種の神器との関連、名草トベ(卑弥呼)との関連です。

天香語山は、卑弥呼のボディーガードだったと思います。そして三種の神器との関連ですが記紀によれば、「神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、高倉下が剣をもたらすと覚醒したという。」この剣は佐士布都神といい、甕布都神とも布都御魂ともいい、石上神宮に祀られています。三種の神器の一つは草薙剣ですが、天叢雲剣(天のむらくも)とも言います。そして天香語山の子が天村雲(人名:天のむらくも)というのです。


饒速日は、名草の太田に来て技術者:呉の勝(スグリ)をスカウトしたのだと思います。

「太田と称するわけは、昔はじめ紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村に着いた、その後、分かれて摂津の国の三島の賀美(鴨)の太田の村に移ってきて、、」


天香語山命(高倉下)も、卑弥呼と五伴緒のメンバーとともに御牧(邪馬台国)に戻って交野の倉治に住居を構えたのでしょう。



※これまでの記事はこちらです。このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

閲覧数:88回1件のコメント

最新記事

すべて表示

邪馬台国 第481話~第520話

第1話~第40話     第41話~第80話   第81話~第120話     第120話~第160話 第160話~第200話   第201話~第280話          第281話~第320話    第321話~ 第360話   第361話~第400話  ...

bottom of page