百々(どど)と稲辺遺跡~滋賀県彦根市
- tootake
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第969話
前回:大々杼(オオド)国と台与~大阪市平野区喜連では、継体天皇は、百々石城で生まれた。と書きました。
「百々」という名前の読み方についてですが、一般的には「どど」と読みます。
「百々」という名前は、日本の古代から受け継がれてきた名前の一つです。この名前の由来にはいくつかの説があります。まず、「百々」という漢字は「百」の繰り返しであり、古代の日本では「百」は「多くの」を意味していました。このため、「百々」は「たくさんの」や「数多くの」という意味が込められていると考えられています。「百々」という名前は主に地名や姓として使われていました。日本の古代文献や歴史書に見られるこの名前は、地域社会や家族の伝統と深く結びついており、地域ごとの特色や歴史を反映しています。「百々」は武士や貴族の家系にも見られることがあり、古代の日本社会での地位や名声の象徴でもありました。
滋賀県彦根市彦富町に百々田第二公園があるのを見つけました。近くには上百田公園もあることからこの辺りは、百々という地名であったことが推測できます。
百々田第二公園のすぐ近くに稲辺遺跡があります。
稲部遺跡群(稲部遺跡・稲部西遺跡)は、彦根市稲部町・彦富町、JR稲枝駅西側一帯に所在し、旧愛知川である文禄川に面した微高地上に立地します。弥生時代終末から古墳時代初頭(3世紀)の大規模かつ拠点的な集落遺跡です。西に隣接する稲部西遺跡とあわせた稲部遺跡群としては、遺跡の広がりは東西約500m以上、南北約200m以上と推定されます。
北陸や美濃・尾張などの東日本方面と畿内の大きな地域をつなぐ、地理的に重要な位置にある3世紀の近畿北部の中心的な集落」で、鉄器流通を中心に 祭祀都市・政治都市としての面を強く持ち、工業都市としての面も併せ持つ近江の巨大勢力・クニの中枢部であり、3世紀の国内の国内屈指の遺跡です。3世紀前半を中心とするヤマト政権が成立しつつある時代の重要な時期の大集落で、日本列島における倭国の成り立ちを考える上で今までにないきわめて重要な遺跡であるとされています。
稲辺遺跡では その後のヤマト政権成立後も、大きな勢力を保持して、大型建物・超大型建物や独立棟持柱建物(首長層が居したり、儀礼に使用したと考えられる建物)と区画が時代を経るごとに出現し、王権との関わりによって、政治色を強めていく過程を示しています。
稲辺遺跡は直径数百m面積約200000㎡の弥生時代中葉(2世紀)から古墳時代中期(5世紀)にかけて 継続する巨大集落で、 大和・伯耆・越前・湖南地域・美濃・尾張・伊勢・東遠江から駿河の土器土器片が出土していることから、交流の要、物流の中心地であったことが、裏付けられ、 朝鮮半島の渡来人との関係を示す乾式時も出土しています。
このことから先端技術を渡来人から導入していたと思われます。
邪馬台国のほか 魏と外交関係のあるが30ヶ国あるとて魏志倭人伝に書かれており、稲部遺跡跡もその一つの可能性があるとされています。
最近の調査では、鍛冶工房の可能性が高い竪穴建物23棟以上を含む竪穴建物30棟以上・排水溝2条・方形区画の一部である溝、塀の可能性がある柵列を検出されています。
※この百々田第二公園、稲部遺跡跡は滋賀県犬上郡豊里と隣接しています。
滋賀県犬上郡豊里については、第553話~阿自岐神社~滋賀県豊郷町安食 で書いた滋賀県豊郷の近くです。
553話では、阿自岐神社の祭神である味耜高彦根神(あじすきたかひこね)は台与であると書きました。阿自岐神社(あじき)は滋賀県犬上郡豊郷町大字安食西〒529-1172にあります。滋賀県犬上郡豊郷町の豊郷とは豊(台与)の里ということです。
これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
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衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与