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素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇

更新日:4月14日

第46話~桃太郎伝説


彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、吉備津彦命)は大和政権の将帥(四道将軍)として温羅と呼ばれる製鉄に優れた吉備国の武装勢力を制圧するために吉備国に遠征しこれを平定したといわれています。さらに、讃岐国、出雲国にまで侵攻し、大和政権の支配を拡大させたと考えられています。このとき吉備津彦が連れて行った家来が犬飼部、猿飼部、鳥飼部で桃太郎伝説となったと思われます。この吉備津彦の父親が孝霊天皇です。


孝霊天皇の宮のある田原本町周辺(奈良県磯城郡田原本町黒田)は古く『万葉集』にも詠まれた桃の名所としても知られています。


鳥取県日野郡日野日南町には、東楽々福神社(ささふく)、西楽々福神社があり、主祭神は孝霊天皇です。社伝によると伯耆國の奥日野は古来より良質の砂鉄が大量に産出され、当時のハイテク技術「たたら製鉄」の文化が興隆した輝かしい歴史を持っています。樂樂福神社の「ささ」は砂鉄をあらわし「ふく」は溶鉱炉への送風をあらわしたものであると伝わっており「たたら」の文化を今に伝える由緒ある社名です。


日野群を流れる川が日野川で、日本書紀では吉備津彦が「氷川」から吉備を鎮撫したと書いてあり、日野川が氷川ではないかと思われます。氷川神社は関東に多く、全て素戔嗚尊を主祭神としています。日本書記では、天から追放されたスサノオは、斐伊川上の鳥上の峰へ到った後、八岐大蛇を退治したとかいてあります。斐伊川も日野川でしょう。



第8代天皇の孝元はタカミムスビ=ウツシコオでその子が大国主なら、第7代天皇孝霊は、ひょっとスサノオではないかと、安直な発想で検証してみました。その根拠は、これまでこのプログで取り上げた記紀の中で登場する人物がすべて、三島御牧国(邪馬台国)に拠点を置く人物ばかりだからです。スサノオも河内湖→奈良盆地湖を利用して黒田の宮を築くまでは、茨木市の天王(天王はスサノオ)に住んでいたからです。私の生まれた蔵垣内のすぐそばです。大阪府茨木市天王1丁目~マップで確認してください。


続編あり 和歌山(熊野)にも孝霊天皇の痕跡あり

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素戔嗚の娘が市杵島姫命で、孝霊天皇の后が真下姫(味舌は地名)ですが、市杵島姫命(真下姫)を素戔嗚(スサノオ)の妻とすれば、素戔嗚は孝霊天皇です。

牧尾一彦著「邪馬台国と神武天皇」p462に「和州五郡神社神名帳大略注解所の十市縣主系譜に、十市縣主の祖は大日彦の娘である。」と書いてありました。イチというのは真下姫(細媛命)のことです。素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてありました。このことにより、大山祇は大日彦です。素戔嗚が孝霊天皇であることも証明できました。


念のためウィキペディア(Wikipedia)も見てみると、「日本書紀の一書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛、第2の一書では十市県主等の祖である真舌媛(ましたひめ)」としています。


十市(イチ)県主は、もとは春日県主で春日は茨木市(三島)です。味舌(地名〒566-0022)も三島です。そして孝霊天皇の后の出自に関して、日本書紀では磯城県主大目の娘とされ、古事記では十市県主の祖の大目(大日の誤り、大日は地名〒570-0003)の娘である細比売としています。


・素戔嗚の妻は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)

・孝霊天皇の后は大目(大日彦=十”市”県主=大山祇)娘の

         細媛命=真舌媛=市(イチ)杵島姫神

◎孝霊天皇は素戔嗚であることに間違いはありません。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。。 

※これまでの記事はこちらです。



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