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甲斐国と甲斐田(枚方)

  • tootake
  • 7月28日
  • 読了時間: 7分

第757話 #田辺史広足 #甲斐の黒駒 #邪馬台国


枚方市には、甲斐田という地名があります。〒573-1163


甲斐田の地名の由来には諸説が伝えられています。 甲斐の山という相撲取りが、勝ったほうびにも らった土地だとか、甲斐の武田氏の出身者が地主になったからだとか、山と山との間の狭い田 という意味の峡田(かいた)からきているなどです。


田辺史広足(たなべのふひと ひろたり)という人物がいます。奈良時代の官人で、天平3年(731年)に甲斐国の国司(甲斐守)として任官されています。続日本紀では、甲斐国における最初期の国司として知られています。


広足が赴任した甲斐国(現在の山梨県)は、古代において「甲斐の黒駒」伝説など馬にまつわる逸話が多く残る土地です。彼の任官以降も、甲斐国司には渡来系氏族が多く任命されており、馬と政治の結びつきが強かったことがわかります。


田辺史氏は、河内国安宿郡資母郷を本貫とする渡来系豪族で、馬の生産に関わる氏族でした。広足の甲斐守任官も、甲斐国が馬の産地として重視されていたことと関係があると考えられています。


河内国安宿郡資母郷資母郷(しもごう)は、古代の河内国安宿郡に属していた郷のひとつで、和名類聚抄にその名が記されています。資母郷は、大阪府柏原市の国分・田辺・東条周辺が資母郷の中心と考えられています。田辺史氏の「田辺」は大阪府柏原市田辺に由来すると思われます。


第559話:杉ヶ本神社~郊祀とポケモンでは、「桓武天皇は日本で初めて郊天祭祀を交野ヶ原の柏原で行っています。河内国交野郡の柏原とは、枚方市片鉾本町である」と書きました。枚方市片鉾本町は冒頭で述べた枚方市甲斐田と隣接した場所なのです。

江戸・近世の地誌や神社縁起では、「交野ヶ原」の一部を柏原、樫原(かしはら) と表記し、地元の小高い「原」を指す場合があります。


このブログでは、邪馬台国(ヤマト)は、崇神天皇の際に発生した疫病により、枚方から奈良県に移動したとしています。

柏原、樫原という地名も枚方から大阪府柏原や、奈良県橿原に移動したと思われます。奈良県橿原は神武天皇が即したとされる地です。~第566話:神武天皇と橿原神宮  


田辺史氏も河内国安宿郡資母郷資母郷に移住する前は、河内国交野郡の柏原にいたというのが、今回述べたいことです。


・田辺史氏は元々は、河内国交野郡の柏原(資母郷:下郷)にいた。

・河内国交野郡の柏原は枚方市甲斐田の近隣地である。

・田辺史氏の広足の甲斐守に任官された。


AIで交野ケ原の記事を書いてもらいました。桓武天皇が日本で初めて郊天祭祀を行った交野ヶ原(河内国交野郡資母郷)の詳細

古代郷名 ~ 河内国交野郡資母郷(下郷)

儀式~郊天祭祀(延暦4年11月10日・延暦6年11月5日)

現在位置 ~ 大阪府枚方市片鉾本町

遺構~小円丘(昭和初期まで残存)

周辺史跡 ~杉ヶ本神社、山田神社(枚方市田口)

儀礼形式 ~中国・唐の圜丘式を模した円丘上での天地祭祀


これにより、山梨県が甲斐と呼ばれるのは、枚方市の甲斐田に由来するのではないかと思うのです。なお私は、河内国交野郡の柏原という地名は知っていましたが、この回(第757話)を書くまでは、資母郷(下郷)という地名については全く知りませんでした。Copiltで

「交野ヶ原の詳細」と検索したら上記の 河内国交野郡資母郷(下郷) と出てきたのです。

河内国安宿郡資母郷資母郷(しもごう)は、大阪府柏原市で河内国交野郡資母郷(下郷) は大阪府枚方市です。柏原市は枚方市から移動したというのは、単なる私の思いつきではないようです。


甲斐国は馬の飼育と関係の深い地ですが、枚方もミマキ国です。ミマキ国とは、御牧国で牧は牧場のことです。~第1話:ミマキ国は邪馬台国:邪馬台国はミマキ国 ~枚方


「甲斐の黒駒」伝説は、古代甲斐国(現在の山梨県)で生まれた名馬にまつわる壮大な物語で、馬産地としての甲斐の象徴的存在でもあります。黒駒は聖徳太子の愛馬です。

平安時代初期に成立した聖徳太子伝暦によれば、黒駒は、甲斐国から献上されたとされています。太子が試乗すると、馬は空を飛び、富士山を越えて信濃国まで駆け抜けたといいます。~第719話:富士山と台与


第546話:鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)では、馬と鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)=聖徳太子の関係について書きました。

“さらら”は娑羅羅馬飼造(ささらのうまかい)に養育されたと考えられています。娑羅羅馬飼造とは馬を飼育する一族です。四条畷市には大規模な遺跡があります。讃良郡条里遺跡(蔀屋:しとみや北遺跡)です。縄文時代から鎌倉時代まで続くこの遺跡の調査報告書は、「ここでは、土坑に埋納された馬の全身骨格が出土したほか、馬具も含まれており、日本書紀に登場する「沙羅羅馬飼」「菟野馬飼」に関係する馬飼集団がいたと想定されています。~第220話:四條畷と馬匹文化 第492話:邪馬台国には馬がいた!~生駒 

当時の馬は農耕に使わず、戦闘にも使わず、豪族の金のかかる趣味のようでした。高級外車のようなものです。聖徳太子も黒駒という愛馬を持っていたようです。聖徳太子伝暦に見られる聖徳太子と甲斐の黒駒に関わる伝承は山梨県や奈良県に残されています。

聖徳太子は台与です。~広隆寺と聖徳太子立像


山梨県や奈良県には、黒駒伝説に関連する地名や信仰遺跡が多数残されています。


山梨県のことを甲斐というのは、枚方市の甲斐田が由来と思われます。


<枚方市にある邪馬台国>


※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>



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2件のコメント

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tootake
7月28日
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tootake
7月27日
5つ星のうち5と評価されています。

<これまでウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王であることが判明した人物>


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