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神八井耳命は三毛入野

更新日:2月17日

第231話


神八井耳命は神渟名川耳尊(綏靖天皇=大彦)の兄弟です。手研耳命(たぎしみみのみこと)は庶兄です。日本書紀では神武天皇と媛蹈鞴五十鈴媛命(五十鈴姫)と、事代主神の娘との間に生まれた皇子とされ、古事記では母親は比売多多良伊須気余理比売(ひめ・たたら・いすけ・依姫=大物主神の娘)です。多臣(多氏)及びその同族の祖とされています。


ともっとらしいことが記紀には書いてあります。しかし、神武天皇が架空の人物であることは確かで、その子とされる神八井耳命も創作された人物であることは間違いないでしょう。ただし実在した人物(三毛入野)をモデルにしていると思われます。


ヒントは吾平津媛です。吾平津媛は神武天皇の最初の妻とされています。日本書紀では、阿比良比売。古事記では「日向国の吾田邑(アタの村)の出身とされていますが、日向の国名は邪馬台国の時代にはありません。(注:下記)高槻の隣に向日(むこう)がありますが、、、


上垣内憲一先生の謎の四世紀(p169)によると「紀ノ川市かつらぎ町佐野を泉佐野のつぎの根拠地として、この地域の水銀流通を一手に押さえ、次なる水銀の大産地、宇陀を神武集団が目指すときに、最も肝要なのが紀ノ川流域と上流の吉野川地域との交通の結節点にあたる奈良県五條市付近を確保することである。すわわち、五條市東方の「アタ」の勢力との連合を求めて、この地の豪族の娘と神武が婚姻を行ったと解すればこの結婚は合理的に理解されるのである。」注:佐野は神武天皇の幼名、泉佐野には高師小僧(鉄)があります。

「ハニヤス彦の妻が吾田媛(アタ姫)と日本書紀が記しているが、このアタ姫も五條市のアタ族の女性首長であったと私(=上垣内憲一先生)は考える。」

阿陀比売神社は、奈良県五條市原町にあります。この辺りは「アタ」と呼ばれる地域です。

最寄り駅は、近鉄大阿太駅です。阿陀比売神社~木花開耶姫3


吾平津媛=アタ姫が、長脛彦(三毛入野)の妹の三炊屋媛であるとすればどうでしょう。

神八井耳命は多氏の祖とされています。そして長脛彦も多氏の祖と考えられます。

長脛彦は登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記されます。登美氏(富氏)は多氏(おおし)です。大氏は日本最古の皇別氏族とされています。「太」「大」「意富」「飯富」「於保」とも記され、多氏のうち、畿内の本流一族は大和国十市郡飫富郷に住み、古事記の編者である太安万侶もこの一族です。摂津富田~登美の里


神武天皇のモデルは饒速日です。饒速日は孝元天皇です。八井耳命は神武の子ということは孝元天皇の子ということで記紀の記述と合致します。三炊屋媛は饒速日の妃ということは孝元天皇の后です。タケハニヤスはアタ姫と孝元天皇の子です。

八井耳命=タケハニヤス=長脛彦=三毛入野です。長脛彦は孝元天皇となってしまいますが、八井耳命は創作された人物で実在せず、タケハニヤス=長脛彦=三毛入野という図式が残ります。新撰姓氏録では茨田連条には、茨田堤を作ったとされる彦八井耳命を神八井耳命の子とする説が記載されています。神八井耳命は、三毛入野(長脛彦)で彦八井耳命は長脛彦の子の建御雷(タケミカヅチ)です。


多氏は長脛彦の末裔とされることを嫌って、架空の八井耳命の子孫としたのです。


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(注)古事記は、古代九州は筑紫島・筑紫洲(つくしのしま)と呼ばれ、白日別、豊日別、 建日向日豊久士比泥別 、 建日別の4面があったとしていますが、日向国がこの4面のどこにあったかについては現在でも特定されていません。日向国の郡郷という記載が現れるのは8世紀後半で邪馬台国の時代のかなり後です。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




五瀬命(いつせのみこと)~三毛入野の兄



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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
2月15日
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