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櫛名田比売(くしなだひめ)

更新日:4月19日

第135話~邪馬台国異聞10


櫛名田比売(くしなだひめ)は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の説話で登場します。大山津見神の子である足名椎(アシナヅチ)、手名椎(テナヅチ)の8人の娘の中で最後に残った娘で八岐大蛇の生贄にされそうになっていたところを、素戔嗚(スサノオ)により姿を変えられて櫛になります。美しい櫛名田比売が愛しくなった素戔嗚は、櫛名田比売との結婚を条件に八岐大蛇の退治を申し出ます。素戔嗚はこの櫛を頭に挿して八岐大蛇と戦い退治します。


この話も、実は守口の大日彦の子の味舌姫(真下姫:細姫)が孝霊天皇(スサノオ)の后になった話を元にして作られた話だと思います。なぜなら櫛名田比売を大山祇の子(孫)としているからです。大山祇は、守口市の大日彦です。


素戔嗚は孝霊天皇です。素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてあります。イチというのは真下姫(細媛命)のことです。十市(イチ)県主は、市(イチ)杵島姫神です。十市(イチ)県主は、もとは春日県主で春日は茨木市(三島)です。味舌(地名〒566-0022)も三島です。そして孝霊天皇の后の出自に関して、日本書紀では磯城県主大目の娘とされ、古事記では十市県主の祖の大目(大日の誤り、大日は地名〒570-0003)の娘である細比売としています。


念のためウィキペディア(Wikipedia)も見てみると、「日本書紀の一書で孝霊天皇の皇后は春日千乳早山香媛、第2の一書では十市県主等の祖である真舌媛(ましたひめ)」としています。

・素戔嗚の妻は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)

・孝霊天皇の后は大目(大日:十”市”県主)娘の細媛命=真舌媛=市(イチ)杵島姫神。

 よって孝霊天皇は素戔嗚であることに間違いはありません。


「クシになったヒメ→クシナダヒメ」という言葉遊びであるという説もあります。また、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もあります。


私は、櫛名田比売の櫛は、玉櫛姫の櫛だと思います。日本書紀一書では、「又曰(またいわく)」として、事代主神八尋熊鰐となって三島溝樴姫(みしまのみぞくいひめ。或いは玉櫛姫という。)に通って生まれた子が姫蹈鞴五十鈴姫命神武天皇皇后)であるとしています。

大山津見神(大山祇)は大日彦で、三島の溝杭です。玉櫛姫が神大市比売神で宗像三女神の市杵島姫神です。大山祇~邪馬台国異聞8


溝咋神社の付近には、玉櫛(〒567-0895)、五十鈴、天王(素戔嗚のこと)、奈良(下記)という地名があります。


もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされています。


大山津見神の子である足名椎・手名椎夫婦の八柱の娘の末子で、伊邪那岐命の子須佐之男命に娶られると書いてありますが、古事記では、大山祇は、神産みにおいて伊邪那岐命伊邪那美命との間に生まれたとされています。これによっても足名椎・手名椎は架空の人物であることが分かります。


大山積神(大山祇命に同じ)は、またの名を「和多志の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島に鎮座していたといいます。「津の国の御島」とは摂津国三島(現 高槻市三島江)を指すとされています。「和多志の大神」とは渡し、つまり淀川の渡船の神だったのです。伊予国風土記



この記事は一部書き直しました。第292話櫛名田比売~八雲は守口市 もご覧ください。


    :大山祇


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




茨木市「奈良」の文字に注目  奈良県の春日神社から勧請したという言い伝えは、後世人々による推測です。二つの奈良 ~内里と三島


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