top of page
tootake

空海のルーツは内色許男命!

更新日:5月18日

第318話


第191話:阿久斗比売(アクト姫)と空海 で以下のように書きました。


阿久斗比売と物部氏に連なる豪族「阿刀連(あとうじ)との関連を指摘する研究者もいます。阿刀氏は、先代旧事本紀によると、饒速日命の孫・味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝えられています。味饒田命の弟がこのブログでお馴染みのウツシコオです。この阿刀連は、後の佐伯直と阿刀氏であるとされ、四国・讃岐に移り住みました。

空海(弘法大師)は、この讃岐の佐伯氏です。父は郡司・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)、母は阿刀氏です。


京都の嵯峨野にある阿刀神社(あとじんじゃ)は、神社明細帳では、天照大神を祭神としていますが、神祇志料では、阿刀宿禰祖の昧饒田命(饒速日命の孫うましにぎたのみこと)を祭神としています。


この辺りは、秦氏の根拠地で、阿刀氏は平安京遷都にともない本拠地河内国渋川郡跡部郷(今の八尾市の一帯)から遷されたもので、秦氏と阿刀氏、同じ渡来系の氏族が、山背国葛野の地で共存することになったのです。第199話:秦氏は神社の創設者で秦氏が大和朝廷(邪馬台国)と深く関わっていたことを述べました。


第104話高屋阿波良姫~高野山 では、ウツシコオとの妻は高屋阿波良姫(アハラ姫)で高屋は高野山だと書きました。空海が高野山造営にあたって、空海が協力要請の手紙を送った土地の有力者が、紀伊丹生氏だったということが、最近研究者によって明らかにされています。


「私(空海)の先祖太遣馬宿禰は、あなたの国(紀伊国)の祖である大名草彦の分かれであります。」(『高野雑筆集』)と書いてあります。名草はウツシコオの出身地です。


大名草彦とは紀伊国第五代国造の大名草比古(おおなぐさひこ)とみられ、紀氏の祖先です。紀氏と紀伊丹生氏の関係は古く、丹生氏の庵田刀自(阿牟田刀自、あむたのとじ)と紀氏の豊耳(とよみみ)が結婚して、その子孫が紀伊丹生氏の嫡流となったといいます。


を参考にさせていただきました。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

空海の超人的な偉業は自身の異能によるところが大きいことは言うをまたないが、古代日本の産業技術や権力構造を実際に動かしていた渡来人氏族、とくに秦氏との親和関係なしには成しえなかったともいえる。

空海のすごさは、そのルーツに由来するのか、異国の人や言葉や文化や技術を苦もなく受け容れ、理解し、それを自分のものにしてフル活用するところである。この並外れた能力、つまりマルチタレント(多才)性に偉業の秘密があるといっていい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


これはまさしく私がウツシコオに対して思っていることと全く同じです。


<後記>

この文章を読むと、最初は空海と饒速日との関連を疑わせ、後半では大名草彦→ウツシコオの子孫だと言っています。もちろん饒速日=ウツシコオではないのですが、、、

ウツシコオについては更なる展開がありそうなのです。以後のブログで検証していきます。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。



空海(弘法大師)


閲覧数:95回5件のコメント

最新記事

すべて表示

5 Comments

Rated 0 out of 5 stars.
No ratings yet

Add a rating
秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 18
Like


秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 14
Rated 5 out of 5 stars.

垂仁天皇の母 御間城姫 父は大彦命、母は不明

崇神天皇の皇后。古事記には御真津比売(みまつひめ)とある。。父の大彦命は、崇神天皇の父開化天皇の兄(孝元天皇の第一皇子)なので(実際、古事記(武埴安彦の乱の条)では、崇神天皇は大彦命を伯父と呼んでいる)、夫・崇神天皇と従兄妹である。

 

「御間城姫」と崇神天皇の名「御間城入彦五十瓊殖尊」が同じ「御間城」を含んでおり、また、古事記の開化天皇条には崇神天皇(御真木入日子印恵命)の同母妹に后と同名の「御真津比売命」があることから、二人はもともと同母兄妹の伝承であったのを、記紀編纂時に変えたとの見方もある。

Like

秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 14
Rated 5 out of 5 stars.

また「玉櫛姫」の別名を「活玉依姫」とも云う伝承があり、賀茂(カモ)の宗家と目されていた事代主命と天孫一族が意外に親密な間柄であったことも判明してきました。少彦名命の父親は天津彦根命(天若日子と同神)」ですから、彼も亦、母親の高姫(下照姫)」を通してワニ(海人)の血が流れていたことになります。


アマツヒコネの子には、製鉄神の天目一箇神(明立天御影命、天津麻羅命)がいる。 


「先代旧事本紀」は、

『阿田賀田須命は和迩君たちの祖である』(地祇本紀)

「新撰姓氏録」は、

和仁古  大国主六世孫、阿太賀田須命の後なり(大和国神別)

宗形朝臣  大神朝臣と同祖、阿田片隅命の後なり(右京神別)

とふたつの姓をあげている。双方が大国主命の後裔の大三輪氏と同祖という。

Edited
Like

bottom of page