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三嶋溝抗命たち(複数)

更新日:2月16日

第230話


第134話では、三島の溝杭は大日彦としています。


これはどういうことかというと三島の溝杭は、鴨川、淀川(河内湖)などの水運を牛耳っていた人物ということで、役職名だと思って下さい。そして三島の溝杭はその役職の重要さ、利権の大きさから、鴨族のトップでだということです。


ウツシコオは、木津川が、淀川と合流する内里に拠点を構えており、水運を司っており、三島の溝杭です。


神八井耳命は武埴安彦命! ではこう書いています。

茨田堤の痕跡は、河内平野北部を流れる古川沿いに現存しています。 京阪電車の大和田駅の東北にある堤根神社(つつみねじんじゃ)は、茨田堤の鎮守として創建されたものです。本殿の裏には、茨田堤の跡と推定される堤防の一部が現存しています。堤根神社の祭神は彦八井耳命です。茨田堤建設の中心人物は彦八井耳命だったのでしょう。茨田堤を作れるような大規模な土木工事ができるような人物は三島の溝杭であるという発想です。


大日彦こそが、三島の溝杭です。と書いたのは、守口の大日彦の子の味舌姫(細姫)が孝霊天皇(スサノオ)の后になったということだけです。媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったというのは、その逸話をなぞって創作されたのです。味舌姫(細姫)が水運の守り神の宗像三女神の市杵島姫神とされたため、大日彦自身も水運の守り神として三島の神=大山祇になってしまったということです。真舌媛は、宗像三女神!


南方刀美神(タケミナカタ)を三島の溝杭としたのは、下図を見ていただければ一目瞭然です。南方は大阪湾から河内湖に入る要衝です。南方、枚方、直方など方(カタ)がつく場所は水運の要衝なのです。この要衝を支配する人物は、三島の溝杭です。


武埴安彦命は、大彦によって討伐されるまでは、鴨族のトップ=三島の溝杭であったと思われます。



と書きました。とすると武埴安彦命は建甕槌=神八井耳命=三毛入野ということになります。これについては、次回で解説する予定です。


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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