第490話 #日置氏 #日置天神社 #日置山遺跡 #台与 #邪馬台国
日置族は出雲臣族という人がいます。出雲大社の南正面に当たる位置に、神門郡日置郷があるからでしょう。しかし、この地の日置は、物部氏の伝承の中で、日置部とは高麗系渡来氏族ではじめは銅鐸祭祀族として、のちには鋳鋼技術者集団、鍛冶技術者集団であり、もともとは大和国の日置部にその発祥があるとされています。
枚方市招堤(しょだい)南町に日置(ひおき)天神社があります。日置天神社境内とその周辺は日置山遺跡です。日置山遺跡は古墳時代から中世までの複合遺跡です。日置山遺跡は、日置天神社境内とその周辺を指し、かってはタニシの貝塚として知られていましたが、昭和57年の発掘調査により中世の貝層をはじめ溝・土杭などが確認ています。また、日置郷の開発のために破壊された古墳(方形墳)と考えられる遺構が検出されています。このように、日置山遺跡は古墳時代から中世までの複合遺跡で、周辺には日置千軒と伝えられる繁栄の跡が眠っているものと思われています。中世におけるこの付近は、東高野街道筋に発達した集落(日置郷)として賑わい、社寺が豪華さを競っていました。
日置(ひおき)天神社の祭神は、天御中主尊です。第414話:天御中主神:北斗:妙見
で書いたように天御中主尊は、猿田彦=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)
です。
本殿の裏側には三社神社があり、 天照大神、八幡大神(品陀和気命)、春日大神(天児屋根命)の三神が祀られています。三社神社の創建由緒など不明ですが、三神を祀ることからみて、中世から近世にかけて流行した“三社託宣信仰”に関わるものと思われます。
三社託宣とは、天照皇大神宮・八幡大菩薩・春日大明神それぞれの“お告げ”(託宣)・三神の神像・託宣の文章を記した掛物のことです。三社託宣とは、伊勢神宮(天照皇大神宮;天皇家の皇祖神)・石清水八幡宮(八幡大菩薩;武家の祖神)・春日大社(春日大明神;公家の祖神)の三社の託宣、神の“お告げを記したもの。これを信仰の対象とするのが託宣信仰で、室町中期頃からはじまったといいます。
中央に天照大神宮、右に八幡大菩薩、左に春日大明神と記し、その下に託宣を載せて一軸の掛軸に仕立てたものが床の間に飾られ、信仰の対象とされました。三社は、それぞれ“正直”、“清浄”、“慈悲観”を強調しています。中世神道思想の考え方は、神道・儒教・仏教の三教融合の思想にこれに由来し、現在も正月の初参りでは、三社参りが民衆の習慣となっています。
・天照大神:謀計は眼前の利潤たりといえども、必ず神明の罰に当たる。正直は一旦の依怙(エコ)に非ずといえども、ついには日月の憐れみを蒙る。
・八幡大神:鉄丸を食すといえども、心汚れたる人の物を受けず、銅焔(ドウエン)に座すと いえども、心穢れたる人の処に至らず。
・春日大神:千日の注連(シメ)を曳くといえども、邪見の家には到らず、重服深厚たりといえども、慈悲の室(イエ)におもむくべし。出典:世界大百科事典第2版
天照大神は、卑弥呼、八幡大神は台与です。参照:八幡神は台与!!
春日大神は天児屋命(アメノコヤネ)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオです。ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米です。
参照:天児屋命はウツシコオ!!
つまりこの三人は魏志倭人伝にでてくる人物です。第381話:魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけ!??
記紀の作者の資料は魏志倭人伝しかなかったのです。そして、この三人をもとに古事記・日本書紀を創作したのです。
併祭神の菅原道真は、慶長末年頃(1615頃)に合祀されたといい、その由緒は不明とされていますが、社殿前に牛の臥像があります。牛(角)はウツシコオ(内色許男命)=スサノオのキーワードです。
参照:第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
菅原道真は、ウツシコオの子孫です。第449話:菅原道真は、なぜ天神なのか!
日置氏が製鉄と結びつくことは、垂仁天皇紀に、五十瓊敷命が茅沼の菟砥の川上宮に居て、大刀一千口を作ったとき、これに参加した十箇の品部の中に日置部もみられます。
垂仁天皇、五十瓊敷命は台与(豊)です。後述予定→五十猛のグロは大歳=台与(豊)
菟砥の川上宮とは、交野市と思われます。川上は河上で、河上の哮ヶ峯は大阪府交野市のの磐船神社周辺の地域です。交野市は古代の製鉄場遺跡があり、継体天皇の遺跡とされています。 森製鉄遺跡は大阪府交野市 JR 学研都市線(片町線)河内磐船駅周辺にあります。
継体天皇は台与です。参照:継体天皇はトヨ(台与)??! 台与は饒速日②~交野市倉治
次回では菟砥の川上宮=森製鉄遺跡を検証します。
一に云はく、五十瓊敷皇子、茅渟の菟砥河上に居しまして、鍛名は河上を喚し、大刀一千口を作らしめたまふ。是の時に、楯部・倭文部・神弓削部・神矢作部・大穴磯部・泊橿部・玉作部・神刑部・日置部・大刀佩部、并せて十箇の品部を五十瓊敷皇子に賜ふ。其の一千口の大刀は、忍坂邑に蔵め、然して後に、忍坂より移して石上神宮に蔵む。是の時に、神乞して言はく、「春日臣の族、名は市河をして治めしめ」とのたまふ。因りて市河に命せて治めしむ。是、今の物部首が始祖なりといふ。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
げぴこ@らくがき日本の歴史 on X: "五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと) 第11代天皇・垂仁天皇と皇后・日葉酢媛命との間に生まれた第一皇子。第12代天皇・景行天皇の同母兄。妹に倭姫命がいる。 垂仁天皇30年(AD1年)、天皇は命と大足彦尊(後の景行天皇)にそれぞれ欲しいものを聞いた所、命は「弓矢」、続く→ https://t.co/ZRz6h3Fggj" / X
印色入日子命(いにしきいりひこのみこと)・・・中略・・・鳥取の河上の宮に坐て、横刀一千口を作るを令す。是を石上神宮に奉納。即ちその宮に坐して川上の部(とも)を定めるなり。
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<台与シリーズ>
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