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四條畷と馬匹文化

更新日:2月5日

第220話


寝屋川市に隣接するのが四條畷市です。四條畷市の歴史は古く、全時代を通じて古墳時代の遺跡が最も多く、出土品も豊富です。忍岡古墳は古墳の時代前期のもので、近くには集落跡が発見されており、この辺りも邪馬台国の一角であったと私は思います。


忍ケ丘駅前遺跡からは子馬形埴輪が出土しています。高さ27ンチ、全長41センチの埴輪です。かわいらしい顔で、子どもらしいずんぐりとした体つきをしています。

同じく馬形埴輪も市指定有形文化財で南山下遺跡の大溝から見つかりました。高さ54センチ、全長86センチで、馬具を付けた立派な馬を模しています。足が短くずんぐりとした体形は、蒙古系の馬の特徴をよく反映しています。

古墳時代中期に、朝鮮半島から来た渡来人によってが馬の文化(馬匹文化:ばひつ)が伝わっています。馬匹文化にともなって大和朝廷(邪馬台国)は、便利な生活文化も根付いた先進的な地域となっていきました。讃良郡(四條畷)を中心とした地域で育った馬は、最新の軍事・運輸・通信に重要な役目を果たしました。


四条畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡では馬の骨や歯の一部が多数みつかっています。また馬に騎乗するための馬具や、飼育に必要であった塩を用意した大量の製塩土器も発見されています。これらの出土資料から蔀屋北遺跡は馬の飼育をおこなった人々(馬飼集団)の集落跡であったことが明らかにされています。


蘇我馬子は、天皇に觴(さかずき・酒杯)とともに次の歌を献上したといいます。


やすみしし 我が大君の 隠ります 天の八十蔭 出で立たす 御空を見れば 万代に斯(か)くしもがも 千代にも斯くしもがも畏(かしみ) 仕え奉らん 拝(おろが)みて 仕えまつらん 歌献(うたづ)きまつる


やすみししとは、大王(おおきみ)に対する枕詞ですが、やすみしは休氏を表すのではないかとする研究者もいます。休氏は、月氏の一派で、紀元前3世紀から1世紀ごろにかけて東アジア・中央アジアに存在した遊牧民族とその国家名です。紀元前2世紀に匈奴に敗れてからは中央アジアに移動し、大月氏と呼ばれるようになります。大月氏時代は東西交易で栄えたそうで、この休氏が大和(邪馬台国)に馬の文化(馬匹文化)を伝えたと思われます。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。



四条畷市内で出土した仔馬の埴輪


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