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月読命(ツクヨミ)~京都市西京区桂

更新日:6月19日

第338話


月読命は古事記では月読命、日本書紀は月夜見尊など表記されています。一般的にツクヨミと言われるが、伊勢神宮・月読神社ではツキヨミと表記されています。


月を神格化した夜を統べる神であると考えられています。天照大御神(天照大神・あまてらす)の弟神(*1)にあたり、建速須佐之男命(素戔鳴尊・たけはやすさのお)の兄神にあたるとされています。この、太陽、月とその弟ないし妹という組み合わせは比較神話学の分野では、他国の神話にも見られると指摘されています。


日本神話では、ツクヨミは古事記・日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀で、穀物の起源として語られるぐらいです。これはアマテラスとスサノオという対照的な性格を持った神の間に静かなる存在を置くことでバランスをとっているとする説があります。


ツクヨミの管掌は、古事記や日本書紀の神話において、日神たるアマテラスは「天」あるいは「高天原」を支配することでほぼ「天上」に統一されているのに対し、古事記では「夜の食国」、日本書紀では「日に配べて天上」を支配するのではないかと思われています。*2


ツクヨミはスサノオとエピソードが重なることから、一部では同一神説を唱える研究者もいます。そのエピソードとは、書紀・第五段第十一の一書では、天照大神から保食神(うけもち)と対面するよう命令を受けた月夜見尊が降って保食神のもとに赴く。そこで保食神は饗応として口から飯を出したので、月夜見尊は「けがらわしい」と怒り、保食神を剣で刺し殺してしまう。一方、古事記では似た展開で食物の神(大気都比売神・おほげつひめ)が殺されるが、殺すのは須佐之男命です。


山城国風土記では、月読尊が天照大神の勅を受けて、豊葦原の中つ国に下り、保食神のもとに至ったとき、湯津桂に寄って立ったという伝説があり、そこから「桂里」という地名が起こったと伝えています。上野村(京都市西京区桂上野)は、上野(かみの)を古くは神野村と称し、ここに月読塚なるものがあったようです。*3


上記により私は、ツキヨ三もウツシコオ(内色許男命)と判断しました。

古事記・日本書紀はウツシコオ(内色許男命)の伝記です。

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*1~ウツシコオはアマテラス=卑弥呼=ウツシコメ(孝元天皇后)の弟です。

*2~アマテラス=卑弥呼は事実上の国王、ウツシコは実際の政治

   孝元天皇(饒速日)が崩御しウツシコメ=卑弥呼が天皇(大王)の代行者です。

   ウツシコオは、孝元天皇の宰相です。第72話:卑弥呼は萬幡豊秋津師比売命!!

*3*~桂も巨椋池の湖畔です。第284話:邪馬台国は巨椋池

 ウツシコオ(内色許男命)拠点地である宇治、内里には舟を利用すれば歩かずに行けます。

 第266話で書いた鶏冠井(かいで)町~向日市は桂のすぐそばです。

桂という地名:月と桂を結びつける伝承はインドから古代中国を経て日本に伝えられたと考えられており、万葉集にも月人と桂を結びつけた歌があります。また、日本神話において桂と関わる神は複数おり、例えば古事記からは、天神から天若日子のもとに使わされた雉の鳴女や、兄の鉤をなくして海神の宮に至った山幸彦が挙げられる。


 第279話:開化天皇で書いたように保津川が桂川になる辺りが久我(クガ)でクガミミ(玖賀耳之御笠)の拠点地です。

 

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戸矢学著「 ツクヨミ 秘された神 」河出文庫より引用


ツクヨミは古事記・日本書紀の神話にはあまり登場せず、全般的に活躍に乏しい。わずかに日本書紀・第五段第十一の一書で、穀物の起源として語られるぐらいである。

ツクヨミの記述があまりにも少なくて不自然だとはだれもが感じることだろう。素直に考えて、だれもが順当に考えつくのは「後世の修正削除」だろう。すなわち、国書の改竄がなされた、ということになる。治世の転換期にはさほど珍しいことではない。しかし、国家事業として編纂された記紀を修正削除するとなると、編纂したのと同レベルか、またはそれ以上の強権発動が必要になるだろう。しかもなるべく早い時期におこなわなければならない。時間がたてばたつほど修正削除が困難となるのは自明のことだ。


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◎ツクヨミの支配領域については、天照大神と並んで天を治めるよう指示されたとする話が幾つかあり、また「滄海原の潮の八百重を治すべし」と命じられたという話もあります。

日本書紀一書に曰わく、伊奘諾尊、三子に勅任して曰わく、天照太(原文のまま)神は、もって高天之原を御すべし。月夜見尊は、もって日に配べて天の事を知すべし。素戔嗚尊は、もって滄海之原を御すべし。~滄海之原を御すべしとは、素戔嗚は海洋民族だったと思われます。第314話: 海人族~ワタツミ


◎日本神話における食物起源神話

「月を読む」ことから暦と結びつける由来説があります。ツクヨミの原義は、日月を数える「読み」から来たものと考えられる。例えば暦=コヨミは、「日を読む」すなわち「日数み(カヨミ)」である[13]のに対して、ツキヨミもまた月を読むことにつながる。


暦を知ることは農作物にとって大変重要なことです。

参照:第259話:大歳~稲耕の神  饒速日は稲作の神


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古事記・日本書紀はウツシコオ(内色許男命)の伝記です。>


記紀の作者たちは、500年前の記事を書いています。残された資料はおそらくイカガシコオが書いた資料しかありません。その資料はイカガシコオの父であるウツシコオの関連の記事でばかりであることは間違いないでしょう。

当時の日本で文字を読める人物はほとんどおらず、ましてや歴史書などをかける者などいるはずがありません。イカガシコオは偉大な父の実績を残しておきたかったのでしょう。

記紀の作者たちは、イカガシコオはの書いた伝記を参照にして日本書紀・古事記を書いたのです。自分たちの都合の良いようにウツシコオを様々な別の人物として再構成したのです。

参照~第297話:ウツシコオの名前についての弁明    第116話:古事記・日本書紀とQ資料


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 04
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 04
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なんとなく物部氏と中臣氏は仲が悪いと思い込んでいました。それは仏教をめぐっての紛争を知っていからで、邪馬台国の時代にはほとんど同族だったと思います。

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https://www.sake-asaka.co.jp/blog-mononobe/20180510/


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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古事記』では天児屋命、『日本書紀』は天児屋根命と表記される。通称として、春日神春日権現(かすがごんげん)、春日大明神とも呼ぶ。

その他別名としては、天足別命(あめのたらしわけのみこと)[2]武乳速命(たけちはやのみこと)[2][3][4][5][6]速経和気命(はやふわけのみこと)[2]天見通命(あめのみとおしのみこと)[2][3][4][5][6]麻刀方命(まとかたのみこと)[2]太詔戸命(ふとのりとのみこと)[4][5][6]春日戸神(かすかべのかみ)、国辞代命(くにのことしろのみこと)[7]などが伝えられる(後述)。

古事記』には岩戸隠れの際、岩戸の前で祝詞を唱え、天照大御神が岩戸を少し開いたときに布刀玉命とともに鏡を差し出した。天孫降臨の際邇邇芸命に随伴し、中臣連の祖となったとある。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 04
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https://www.sake-asaka.co.jp/blog-mononobe/20170726/#:~:text=%E7%89%A9%E9%83%A8%E6%B0%8F%E3%81%AF%E5%A4%A9%E7%9A%87,%E3%82%82%E8%A7%A3%E6%98%8E%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%82

「物部」は天皇の形容詞だった

本居宣長は平田篤胤(ひらたあつたね。1776-1843)に繋がる「天皇一神教」の創始者です(井沢元彦著「逆説の日本史17江戸成熟編」第二章国学の成立と展開編)。本居宣長は「天皇は神であり物部氏など他の民とは次元の異なる至高の存在である」とする自己の主張を通すために、敢えて避諱を無視して「物部」を読み分けることで自己の主張に矛盾する記述を封じ込めました。その後の研究者は本居宣長のルビを振った読み下し文を研究の基礎に置いたばかりに古事記が残した手掛かりを見逃していたのです。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 03
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