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  • tootake

欠史八代はヤマト=三島

更新日:5 日前

第320話


<要約>

・欠史八代は実在した天皇(大王)である。

・ほとんど欠史八代の天皇の名前にはヤマトがついている。ヤマトを拠点にしていたと思われる。

・ほとんどの天皇は、磯城=師木=春日と関係がある。

・磯城=師木=春日は三島である。なぜなら磯城県主であり、十市県主の祖である

 大目とは大日のことである。※この点にについてはこれからもこのブログで詳しく検証していきます。

・大日は大阪府守口市の地名である。守口は三島郡の近隣である。

・よってヤマト(邪馬台国)は三島であると言える。


欠史八代とは、第2代綏靖天皇から第9代開化天皇までの8代の天皇のことです。古事記や日本書紀にその系譜が記されている初期の天皇の系譜は、これまでは後世の創作によるものと見られ、欠史八代の天皇が実在した可能性は学術的には、ほぼ無いとされてきていましたが近年、ではその研究が見直され、これらの天皇は実在したと思われています。



后妃の氏姓(日本書紀一書)

2 綏靖 カミヌナカハミミ 磯城県主、春日県主

3 安寧 シキツヒコタマテミ 磯城県主、大間宿祢

4 懿徳 オホヤマトヒコスキトモ 磯城県主、磯城県主

5 孝昭 ミマツヒコカエシネ 磯城県主

6 孝安 オホヤマトタラシヒコクニオシヒト 磯城県主、十市県主

7 孝霊 オホヤマトネコヒコフトニ 磯城県主 春日、十市県主

8 孝元 オホヤマトネコヒコクニクル *穂積臣

9 開化 ワカヤマトネコヒコオホヒヒ ※穂積臣、 丸邇臣、葛城


上記で分かるように、欠史八代の妃のほとんど、シキ(師木は磯城に同じ)の出身です。

穂積は大阪府茨木市の地名です。※ネコとは統治者のことです。第一代は神武天皇(架空の天皇)


・磯城と十市は同じ地を指しています。十市縣主系図によると、十市縣は春日縣の改称であるとされており、磯城・春日・十市縣は同一の地域で、縣主もまた古事記の系譜にあるように磯城氏であったことになります。


・皇統譜の欠史八代がみごとに磯城氏から始まる十市、春日県主の系譜の中に収さまってしまいます。十市=磯城=守口市、春日は茨木市です。


前回は、磯城県主であり、十市県主の祖である大目は、守口市の大日(地名)であることを述べました。参照:日向は大阪府守口市 、菊理媛神~大目は大日(守口市) 、櫛名田比売2~八雲は守口市

多神宮注進状には創建由緒として次のように記しています。

  • 綏靖天皇二年春に神八井耳命が春日県(後の十市県)に大宅を造り、神籬磐境を立て、自ら皇祖天神の神事を司り、県主の遠祖である大日諸命(鴨王命の子)を神主として祀った。


・第4代懿徳天皇から第9代開化天皇までの和名には、すべてヤマトがついています。

※第5代考昭天皇は、ミマキイリヒコ(崇神天皇)の可能性があります。


・前回のべた国香媛(やまとくにかひめ)またの名、意富夜麻登久邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと:マシタ姫=細姫=市杵島姫命)、倭迹迹日百襲姫命も名前にヤマトがついています。いずれも三島に住んでいたのでしょう。


第4代懿徳天皇(オホヤマト・ヒコ・スキトモ) アクト姫の子とされています。

 墳墓は高槻にある”あくと”(阿久刀)神社 高槻市清福寺町あたりと推定されています。    参照:阿久斗比売(アクト姫)と空海

・ヤマトという限られた氏族から后妃が選ばれていることは、欠史八代の実在を論じる場合の有力な論拠とされています。代表的な日本書紀の研究者である坂本太郎氏は、欠史八代系譜が後代の創作であるならば有力な大豪族と皇室が結びつけられたはずであり、歴代の后妃が大和地方の小規模な豪族から出ていることは当時の天皇(大王)家がまだ一地方政権であったことを反映したものと考えられるとし、欠史八代系譜は信頼できると論じました。「八代の系譜をも古伝として尊重すべきだと考える」とも述べていおられます。


欠史八代の天皇は大阪府守口市~三島(茨木市)・高槻に住んでいたことになります。この時代は邪馬台国の時代です。よって邪馬台国は三島です。そして三島はヤマトだということが分かります。



<邪馬台国は北摂です>


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。





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3 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
5日前
Rated 5 out of 5 stars.

『書紀』を見ると、天皇の称号として「根子」というものが現れます。この「根子」という称号についての理解として最も適当なのは「支配者」「統治者」ではないでしょうか。その意味で「最高権力者」だけが名乗れるというものではなかったと思われます。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
6日前
Rated 5 out of 5 stars.

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