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羽曳野:大阪と邪馬台国

  • tootake
  • 9 分前
  • 読了時間: 6分

第848話


大阪府に羽曳野という市があります。大阪府南河内地域に位置しており、ブドウとイチジク

栽培が盛んで、また古墳などの古代史跡の多い地です。


この羽曳野のという地名は、ヤマトタケルの伝説に基づいているとされています。

羽曳野市古市に白鳥神社があり、その白鳥神社の社伝には、日本武尊が死んで白鳥になって、最後に旧市邑(ふるいち)を飛び立つときに、

白鳥は舞い上がり埴生野の丘を羽を曳くがごとく飛び立った

と記されています。この「羽を曳く~」から「羽曳野」の地名が付いたようです。

羽曳野市周辺は古代大和政権とのつながりが強く、いろいろなエピソードが残っています。

現在、旧竹内街道沿いには埴生(はにゅう)という町があります。ここも古事記に出てきます。

履中天皇の歌に

「波邇賦(はにゅう)坂 我が立ち見れば かぎろひの 燃ゆる家村 妻が家あたり」

といのがあります。これは履中天皇が難波宮で宴会し寝てしまったところ、弟のスミノエノナカツミコが反乱を起こし、宮殿に火を点けたので、あわてて大和の国へ逃げる途中、埴生の坂から難波宮をかえり見て詠んだ歌とされています。

「波邇賦坂(はにゅうのさか)から見渡すと、家々が燃えているよ。私の妻の家辺りだ」

と訳されてるようですが、意味不明です。この歌を恋の歌する解釈もあるようです。


羽曳野市軽里に軽羽迦神社があり、白鳥陵古墳からも近い竹内街道沿いにある軽墓村の村社

主祭神は天照大神で、蔵王権現と熊野権現の二神を合祀し、合計三柱の神を祀っていますが、日本武尊は祀られていません。


ヤマトタケルのは、南河内では古市駅隣の白鳥神社や隣接する松原市別所の熱田神社で祀られています。松原市の熱田神社(松原市別所)は、とある僧侶が、熱田神宮から日本武尊を勧請したとされています。


同じく羽曳野市に隣接する太子町は、聖徳太子と関連の深い地です。

太子の御廟がある叡福寺は、太子建立の四天王寺や、下の太子(大聖勝軍寺)、中の太子(野中寺)とともに、太子信仰の霊場として栄えました。

聖徳太子自らが廟所として選定された磯長廟(しながびょう)は、大和から二上山を越えて河内に入った丘陵を利用した円墳です。叡福寺は石川寺、太子寺、御廟寺とも称され、四天王寺、法隆寺とならんで太子信仰の中核となった寺院で、太子薨去後、推古天皇より方六町の地を賜り、霊廟を守る香華寺として僧坊を置いたのが始まりです。太子を救世観音の生まれ変わりとする太子信仰の象徴となり、この御廟には太子を敬う空海や親鸞、叡尊、良忍、一遍、證空、日蓮など諸賢聖のほか、名僧が参籠し、日本の大乗仏教の聖地として栄えました。太子廟を中心として周辺には敏達、用明、推古、孝徳天皇陵や小野妹子、大津皇子、源氏三代墓などがあります。


このように、羽曳野の周りには、ヤマトタケルと聖徳太子の伝説が古代史跡の多い地です。

このブログでは、ヤマトタケル=台与、聖徳太子=台与としています。

第439話:ヤマトタケルは台与  第781話:日出処天子の嘘


第541話:法隆寺を建てたのは不比等?!~斑鳩町で書いたように

太子町自体が作り物だと思っています。太子の磯長廟も聖徳太子が実在の人物であったと思わせるために捏造したのでしょう。


大阪府寝屋川市にある熱田神社については、第770話:斬蛇の剣と草薙剣~備前の尾張

書いたように台与と非常に関連の深い場所です。葛城の高尾張邑とはは寝屋川市のことだからです。なぜならヤマタノオロチは淀川の事だからです。第412話:ヤマタノオロチは淀川~茨田堤2

松原市の熱田神社(松原市別所)は、とある僧侶が、熱田神宮から日本武尊を勧請したとされていますとされていますので後付けで建てたものでしょう



関連項目:第812話:泉国:大鳥大社 (hidemaru3375.com)

    :第534話:斑鳩寺・稗田神社~兵庫県太子町


<大阪と邪馬台国シリーズ>


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<蛇足の追記>

・松原市の熱田神社(松原市別所)は、「開運松原六社参り」で参拝される神社が特に話題になっていますが、こちらの熱田神社も、大阪では珍しい御祭神を祀り、隠れキリシタンの痕跡も窺える興味深い神社といえます。神社南西角には江戸時代中期に造られたといわれる「キリシタン灯籠」があります。~熱田神社(松原市) ・切支丹灯籠もある日本武尊を祀る神社

・羽曳野市は、ダルビッシュの出身地でもあります。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>




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1件のコメント

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tootake
4分前
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<台与シリーズ>

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