第336話~古事記・日本書紀はウツシコオの伝記なのです。
もう最初に言っておきます。大屋彦もウツシコオ(内色許男命)です。先代旧事本紀に「五十猛神 亦云大屋彦神」とかいてあります。
第334話大彦は、五十猛! では五十猛=(大彦天香久山)=ウツシコオとしています。
五十猛命が大屋毘古神(大屋彦)と同様に素戔嗚尊の近親であり、妹に大屋津姫命という類似の神名が見えることや、鎮座地が同じく紀伊国(和歌山)であることなどからも明らかです。木の国(和歌山)はウツシコオの出身地です。
延喜式・神名帳・紀伊国名草郡には、兄弟三神にあたる「伊太祁曾神社」「大屋都比売」「都麻都比売神社」が見え、三社は「伊太祁曾・大屋都比売・都麻都比売(つまつひめ)の三の神社を分ち遷すとあり、もと一社であったのを分祀したとされるています。
都麻都比売(つまつひめ)は、日本書紀では一素戔嗚尊の娘神であると記載されています。また、都麻都比売(つまつひめ)の兄には五十猛命(イソタケル/イタケル)、姉神に大屋都姫命(オオヤツヒメ)がいて、それぞれ伊太祁曽神社(和歌山市伊太祈曽)、大屋都姫神社(和歌山市宇田森)に祀られています。これら3神は紀伊国に木種をもたらした神であるといい、紀伊では「伊太祁曽三神」と総称されています。
大屋彦が「木国」の神として出てくることは、大国主神(=大彦)の神話中のこの段が「大き樹を切り伏せ」「矢を茹めて其の木に打ち立て」「其の木を析きて取り出して活け」と木が題材に取られていることに関わると考えられています。
大屋彦の「屋」は屋根と捉え、木で作られた建物としての家屋の神と捉え、大国主神の段での「木国(きのくに)の大屋毘古神」という呼称の関連から、木の繁茂する紀伊国の信仰神と想定する説があります。
しかし、この神自体には木の神としての性格がはっきり窺われず、神名からも木の神というよりは家屋の神と考えられることから、この神がなぜ木の国の神として登場するのか、疑問が呈せられています。
そこで、国作りを始めるまでの大国主神の神話には、宮殿造営が主題に含まれており、各所にその要素が取り込まれる形でこの一連の神話が成り立っているとの見方から、単なる木の神ではなく家屋の神として大屋毘古神がここに要請されたとする考察が行われています。
ウツシコオこと彦狭知命は、天の岩戸神話の際、手置帆負命(たおきほおひのみこと)と共に天御量(あまつみはかり)をもって木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という御殿を造営しました。
紀ノ國のキは、キがオクツキ(墓)やアラキ(殯)のキ(乙類)への連想を伴うという見方により、根の国への入り口が木国の大屋毘古神と結びついているとする説があります。
根の国とは紀ノ國(木の国)=和歌山のことのようです。
古事記の大国主神の根堅州国の訪問段では、大国主神を八十神の迫害から逃がすため、母神の刺国若比売が木国(紀伊国)にいたこの神のもとへ逃れさせます。
大国主が八十神に追いつかれると、大屋彦は大国主神を木の股から脱出させ、根堅州国の須佐之男命のもとに趣くよう指示します。根の国(ねのくに)は、古事記では「根之堅洲國」(ねのかたすくに)・「妣國(ははのくに)」、日本書紀では根国(ねのくに)・「底根國(そこつねのくに)」、祝詞では根の国底の国・根國底國(ねのくにそこのくに)・底根の国(そこねのくに)とされています。
大国主は大屋彦ですから、上記の神話は作り話ですが大国主=大屋彦が木国(紀伊国)との関連が深く、根堅州国が紀ノ國であることを思わせます。
古事記・日本書紀はウツシコオの伝記なのです。
記紀の作者たちは、500年前の記事を書いています。残された資料はおそらくイカガシコオが書いた資料しかありません。その資料はイカガシコオの父であるウツシコオの関連の記事でばかりであることは間違いないでしょう。
当時の日本で文字を読める人物はほとんどおらず、ましてや歴史書などをかける者などいるはずがありません。イカガシコオは偉大な父の実績を残しておきたかったのでしょう。
記紀の作者たちは、それではまずいので、ウツシコオを様々な別の人物として再構成したのです。
第116話:古事記・日本書紀とQ資料
関連項目:五十猛と五瀬命
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※これまでの記事はこちらです。
<目次>
オマケの宗像氏(分家) (gooside.com)
粟鹿大明神元記 – 古代史俯瞰 by tokyoblog (tokyox.sakura.ne.jp)
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子