第279話
京都府亀岡市行者山に産する錫は、保津から積み出され保津川、桂川と淀川水系を下って、程川本流に入り、枚方で陸揚げされあとは陸路を岩船街道で生駒を超え田原本町の鏡造りの技術者に運ばれました。岩船街道は饒速日が天下った場所とされ、高倉下の名前の由来となった倉治(くらじ)などの地名があります。
高倉下は饒速日の子です。饒速日は孝元天皇で、高倉下は大彦であることはすでに述べています。大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
埼玉県行田市の埼玉古墳群にある稲荷山古墳で出土した鉄剣(稲荷山古墳出土鉄剣)には銘文があり、その銘文に見える人物の「意富比垝(おほひこ)」を大彦命に比定する説が挙げられており、大彦は実在の人物であった可能性は大です。
大彦は四道将軍に任命されたり、タケハニヤスの乱を鎮圧するなど様々な活躍が伝えられています。しかし天皇(大王)にはなっていません。孝元天皇の次に即位したのは開化天皇です。大活躍した兄弟である大彦に比べ、開化天皇の事績はほとんどありません。第250話で述べた狭穂姫命~狭穂毘古の乱 狭穂毘売の後は垂仁天皇の皇后となった日葉酢媛命(ひばすひめ)の父親が開化天皇とされているくらいです。なお、狭穂毘古、狭穂毘売も開化天皇の子とされています。
なぜ開化は天皇になることができたのでしょう。どう考えても大彦の方が大王(天皇)にふさわしいと思います。
最初にのべた行者山の近くに小幡神社(京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内)があります。そこは全国で唯一開化天皇を祀る神社です。穴太(あのう)は鉱山のことです。大彦は大国主=おおなむち=大穴持ちであることも既に述べています。
そもそも、開化天皇が祭神と言う時点で怪しいのです。漢風諡号である「開化天皇」という名前は、8世紀後半に淡海三船によって撰進されたものです。開化天皇は大彦=大国主でしょう。そして、保津川が桂川になる辺りが久我(クガ)でクガミミ(玖賀耳之御笠)の拠点地です。
クガミミが殺されタケハニヤスの乱がおこります。この辺りに大彦=大国主が大王(天皇)になれなかった理由があるのかもしれません。国譲りで大彦はミマキイリヒコ(崇神天皇)に大和(邪馬台国)簒奪されたのです。国譲り再考
{参考文献} }謎の四世紀 上垣内憲一著
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大日彦(オホヒヒ彦)~守口 をご覧ください。
関連項目:山崎津と玖賀耳之御笠
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
邪馬台国 家系図
開化天皇
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫