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王仁(わに)~邪馬台国異聞5

更新日:4月9日

第130話


王仁博士は韓国の霊岩郡の出身で、古事記などによると、百済(くだら)から応神天皇に招待されて来日し、論語十巻と千字文1巻を献上したとされています。しかし、王仁が伝えたとされる「千字文」が、王仁の時代には成立していないことは、江戸時代から新井白石伊勢貞丈らによって提起されています。


笠原一男氏は、「儒教についてだが日本書紀には応神天皇の時代に百済から伝わったと記してある。しかし、漢字はすでに奴国王金印でも知られ、刀剣銘文にも用いられている。儒教伝来はそれが百済から伝えられたことだ。当時の日本は中国との直接交渉がなく、百済を通じて中国南朝の文化を導入したのである」と指摘しています。


枚方市藤坂にある「王仁公園 」(〒573-0154)は、大阪府の指定文化財(史跡)です。藤坂には「ワニ塚」があり、王仁の墓がとされています。藤阪の北には「馬塚」があります。王仁博士の乗馬を埋めた所で、今は畑となっています。


並河誠所(並川五一郎)が「五畿内志」編纂のために名所旧跡を探訪中、禁野の和田寺で「王仁墳廟来朝紀」という古記録を見つけています。


自然石の石碑有り来り候処 享保十六年之頃 並河五市郎様御巡見之節 博士王仁塚と相定られ 則御上より石碑建てなされ候事  「河内国交野郡藤坂村旧記」


どうやら、王仁は菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の教育係として百済から来ただけとういうのが本当のことでしょう。


昭和にはいると天皇制国家主義者らの団体による王仁の顕彰運動が起こり、戦時期には「内鮮一体」を標榜する朝鮮人公民化政策に利用されます。また戦後になると“善意な”日本人の協力者が登場、“韓日友好親善運動”に利用されます。


現在は韓国の小学校の社会科教科書には「百済の文化を日本に伝えてあげた王仁」「王仁は百済の文化を日本に教えてあげた学者である。彼は「千字文」と「論語」などの本を日本に伝えてあげ、日本にながく暮らしながら、日本国王と王子の先生になって学問をおしえてあげたりした。そうして、日本の人びとに漢文と儒学がわかるようにつとめた。今も日本人は、王仁を日本文化の先生として崇めているし、彼の功績をたたえる遺跡があちこちに残っている」と書かれているそうです。


菟道稚郎子が高句麗からの上表文に「高麗王、日本国に教ふ」とある非礼を指摘し、これを破り捨てています。高句麗が日本に教えるなどとは失礼だということらしいのですが、勿論、韓国の小学校の教科書にはこんなことは記載されていません。枚方市中宮にある百済寺は、私の散歩コースです。コロナまえから観光バスで韓国の方が多く訪れておられます。ここの百済寺は、大阪で二つしかない特別遺跡です。もう一つは大阪城です。

百済寺と王仁との直接の関係はありませんが、この百済寺の建っている場所こそが、枚方市の中宮(禁野)で中宮山戸町(ヤマト邪馬台国)なのです。


王仁は、藤坂から菟道稚郎子に勉強を教えるため、ここに馬で通ったと思います。



※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。






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tootake
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百済寺跡


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tootake
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