富士山と台与
- tootake
- 6月20日
- 読了時間: 4分
更新日:7月2日
第719話 #コノハナサクヤ姫 #甲斐の黒駒伝説 #邪馬台国
古事記、日本書紀には、富士山のことは一切書かれていません。
そして、浅間神社で祀られているコノハナサクヤ姫と富士山の関係は希薄であるとされるのは、「日本人はなぜ、富士山を求めるのか」(徳間書店)の著者である島田 裕巳氏です。
コノハナサクヤ姫の子は、火照命、火須勢理命、火遠理命、火明命で、みんな火が付いています。これらの神はすべて台与です。富士山→噴火→火という連想から、コノハナサクヤ姫は、富士信仰(浅間信仰)の神社である浅間神社の祭神になったと思われます。
台与は火の神です。この火は火山の火ではなく鉄を溶かす溶鉱炉の火です。~第490話: 日置氏と製鉄と台与(豊) 第216話:五十鈴姫は鉄の神
ちなみに天火明命は穂積臣や物部連の祖の饒速日命です。~hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
富士山と台与を思わせる逸話として、聖徳太子(=台与)と富士山には興味深い伝承があります。「甲斐の黒駒」伝説です。これは、聖徳太子が甲斐国(山梨県)から献上された神馬「黒駒」に乗って、富士山の山頂を飛び越え、信濃国(長野県)まで空を駆けたという話です。この伝説は、平安時代初期に成立したとされる「聖徳太子伝暦」に記されています。平安時代後期に描かれたとされる聖徳太子絵伝には、黒駒にまたがり富士山の上空を飛ぶ太子の姿が描かれており、これは現存する最古の富士山絵画の一つとも言われています。
この伝説は、富士山が霊峰として崇められていたことと、聖徳太子が仏教を篤く信仰した人物であったことが結びつき、太子信仰と富士山信仰が融合した結果と考えられています。江戸時代には「富士講」の信仰の中でも、太子像が富士山に奉納されるなど伝説はさらに広がりを見せました。ちなみに、富士山の八合目には「太子館」という山小屋があり、これもこの伝説にちなんで名付けられたとされています。太子は台与です。~第542話:大枝神社:“たいし”は太子=台与
富士山が、なぜ記紀に記載されていないかというと、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と台与のコンビにとって魅力がなかったからだと思います。魅力というのは鉱物資源としての魅力です。富士山には、銅や鉄などの鉱物資源はありません。
そして、台与が生きていた時代(邪馬台国)の時代に富士山はそんなに美しい山ではなかったのかもしれません。現在のような美しい円錐形の富士山が形成されたのは、約2,200〜5,600年前のこととされています。邪馬台国は今から、2000年前です。
台与はヤマトタケルとして関東、東北に赴いていますから、当然、富士山もみたはずです。
富士山は長い火山活動の歴史を持ち、4つの時代に分けてその成り立ちが説明されます。最初は「先小御岳火山」、次に「小御岳火山」、その後「古富士火山」、そして現在の姿を形作ったのが「新富士火山」です。台与が富士山の付近を通過したときは、噴火中であったのかもしれません。
関連項目:木花之佐久夜毘賣(この花咲くや姫)
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

尾針神社 - Wikipedia
https://sennencho.jp/ikasurishrine-goshuin#:~:text=%E3%82%86%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E7%99%BD%E9%B7%BA%E3%81%8C%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%BE%A1%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E3%82%84%E3%80%81%E5%A2%83%E5%86%85%E7%A4%BE%E3%80%8C%E9%99%B6%E5%99%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%9C%B1%E5%8D%B0%E3%82%92%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%A0%E3%81%8F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82%20%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%8C%BA%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%8C%E5%9D%90%E6%91%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E3%81%84%E3%81%8B%E3%81%99%E3%82%8A%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%98%E3%82%83%29%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%89%B5%E5%BB%BA%E3%81%AF%E3%80%814%E4%B8%96%E7%B4%80%E5%BE%8C%E5%8D%8A%E9%A0%83%E3%81%AB%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E,%28%E3%81%98%E3%82%93%E3%81%90%E3%81%86%E3%81%93%E3%81%86%E3%81%94%E3%81%86%29%E3%81%8C%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E5%8D%8A%E5%B3%B6%E3%81%AB%E5%87%BA%E5%85%B5%E3%81%97%E3%81%9F%E3%80%8C%E4%B8%89%E9%9F%93%E5%BE%81%E4%BC%90%20%28%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%8B%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%B0%E3%81%A4%29%E3%80%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E5%B8%B0%E9%82%84%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D%E3%80%81%E6%B7%80%E5%B7%9D%E3%81%AE%E6%B2%B3%E5%8F%A3%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%9D%90%E6%91%A9%E7%A5%9E%20%28%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%8E%E3%82%AB%E3%83%9F%29%E3%80%8D%E3%82%92%E7%A5%80%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8C%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%81%A8%E3%81%84%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語