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アメノヒボコはウツシコオ~投馬国

更新日:5月26日

第329話


第325話:天之日矛は、、、、、  では私は、アメノヒボコは出石心大臣命(イカガシコオ)ではないかとしました。アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)多遅麻国造(たぢまのくにのみやつこ)であったということは、イカガシコオの父であるウツシコオが多遅麻国造であったということです。すなわち天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を求めに常世の国(魏)に派遣されたとされ田道間守(タジマモリ)はウツシコオ=難升米です。但馬(たじま:たんば)は魏氏倭人伝の投馬国です。



前回と前々回で記紀の嘘話の作り方が分かってきました。ウツシコオの事績を消し去り架空の人物を創作し、ウツシコの業績を奪い取り、自分たちの失敗をウツシコオに着せるという手法です。そのため、年代設定に無理が生じています。


田道間守はウツシコオ 参照:難升米はタジマモリ??? ~立花(尼崎市)

垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年に田道間守(タジマモリ)は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国(魏)に派遣されたとされています。京都大学教授内藤湖南氏の説では、難升米を垂仁朝に常世の国(魏)に使者として赴き景行朝に帰朝した田道間守としています。垂仁天皇90年は崇神天皇が死んでから90年後ということです。魏から倭国に使者が来たのは238年、倭国から魏へ使者を送ったのは239年です。崇神天皇の時代とは年代が合いません。第27話:難升米はタジマモリ???


魏に行ったのは難升米です。難升米はウツシコオ(欝色謎命)です。欝色謎命の「欝」は、難しい漢字なので「難」と表し、「色謎」は「升米」に対応すると考えると「欝色謎」は「難升米」となります。


そして、田道間守は、但馬(丹波)です。そしてアメノヒボコです。

但馬を含むタニワ・大丹波国や若狭・近江などヒボコの関わる地域とは魏志倭人伝にある投馬国です。参照:投馬国は但馬、但馬は丹波、丹波は出雲


アメノヒボコは、新羅の王子として、記紀に伝わる人物ですが、新選姓氏録では新羅建国の祖が鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)の子の稲飯命(神武天皇の兄)とされ、国司文書 但馬国故事記では、アメノヒボコも稲飯命の五世孫を称したとされています。


ウツシコオも鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)の一族であることは、既に述べました。


記紀ではアメノヒボコに関わりの地域のことごとくが無視され、「なかった」ことにされてしまっています。田道間守(たじまもり)は、但馬国の国守(くにもり)の意味でしょう。

ウツシコオは丹波(但馬)の国主でもあったと思われます。


記紀はウツシコオの事績を消し去り、アメノヒボコからタジマモリの系図を作り、彦坐王からは息長氏の家系を作り神功皇后に繋げています。彦坐王は春日・沙本・山代・淡海・旦波ら諸豪族を血縁で結ぶ地位に位置づけられています。


田道間守が天皇の命により常世の国(魏)に派遣されたとされるのは垂仁天皇90年です。崇神天皇が死んでから90年後ということです。ウツシコオはその年代には死んでいますが

ウツシコオは武内の宿祢として生き残ったのです。武内宿禰はウツシコオ!!


・アメノヒボコがもってきた宝物は物部の十種神宝に似ています。その神宝を見たいと天皇が言った


〇アメノヒボコの神宝

羽太の玉(はふとのたま) 1箇

足高の玉(あしたかのたま) 1箇

鵜鹿鹿の赤石の玉(うかかのあかしのたま) 1箇

出石の小刀(いづしのかたな) 1口

出石の桙(いづしのほこ) 1枝

日鏡(ひのかがみ) 1面

熊の神籬(くまのひもろき) 1具

を持ってきて、これらを但馬国に納め永く神宝としたという。


〇物部の神宝

沖津鏡(おきつかがみ)

辺津鏡(へつかがみ)

八握剣(やつかのつるぎ)

生玉(いくたま)

死返玉(まかるかへしのたま)

足玉(たるたま)

道返玉(ちかへしのたま)

蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

蜂比礼(はちのひれ)…大国主の神話に出てくる比礼との関係が注目される。

品物之比礼(くさぐさのもののひれ)


垂仁天皇88年7月条によると、新羅王子を自称する天日槍が持って来た但馬の神宝を見たいと天皇が言ったので、使者を遣わし天日槍曾孫の清彦に勅命を下して献上させたとあります。


「邪馬台国と神武天皇」の著者である牧尾一彦氏は、出石心大臣命=出雲醜大臣命はイカガシコオであるとされています。p367

出石心大臣命は開化天皇、崇神天皇の大臣とされていますので、アメノヒボコが出石にいたとされる時期と重なります。ちなみに牧尾一彦はアメノヒボコの系図から読み解くとアメノヒボコは孝霊天皇世代の人物になるそうです。p474


だとすると垂仁天皇がそんな昔の宝物をみたいというでしょうか。

アメノヒボコが天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たいと言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上し、、とあるのは崇神天皇60年7月の崇神記にも書いてあります。出雲振根(いずもふるね)  出雲の神宝


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>


         十種神宝


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2 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 26
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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 25
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