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発見!! 邪馬台国~枚方市禁野

更新日:4月28日

第4話


山科にある薬科大を卒業した私は、枚方市民病院に就職が決まりました。住所は枚方市禁野本町です。ここも変な地名です。調べて見ると、古代、天皇の遊猟などのために、出入・用役を禁じた原野。標野(しのめ)ともよびます。


そうか狩りをするために一般の人は立ち入り禁止にしていたのが禁野なのかと一時は納得していたのですが、、、、、待てよ!あの辺は古代から住宅地だったはずです。この辺は私の散歩コースで、あちこちに発掘した跡があり(この辺りは新しい建物を建てるためには遺跡の調査が必要でにその度にそこ、ここから土器や木簡が出土するので、写真付きで説明文が何か所も立てられています。戦国期にはあの山之内一豊が初めて貰った領地がここ禁野だったはずです。つまり、枚方市の禁野は古代の建物が今と変わらないほど密集しており、とても狩りなんかできる原野ではないのです。

禁野本町遺跡(きんやほんまちいせき)

明治期は天才軍師の大村益次郎が崖の上で天然の要塞ともいうべきこの地を火薬工場にしたのです。枚方は台地で淀川からみると平たい崖になっているのです。アイヌ語でピラカタとは崖の上という意味です。     

禁野の禁は禁中(宮中に同じ)天皇家に関連があるのではないのでしょうか?

この辺りは中宮とも呼ばれています。宮の付く地名など日本中に何百個所もありますが中宮は「ちゅうぐう」と読めます。少し歴史に詳しい方ならご存じでしょう。「中宮」とは、妃(皇后)が住む場所のことです。そしてこの中宮がある場所は禁野(天皇家の領地)なのです。

時は流れ枚方市民病院を定年で退職して数か月経ったころ、同じく退職した同僚から枚方市の教育委員会で臨時の学校施設係を募集しているというので応募しました。

それで家のすぐそばにある小学校に土日だけ勤務することになりました。このころは妻の実家である枚方市御殿山町に住んでいて歩いて3分以内の所にある高陵小学校というところでした。私の所属する楽団(枚方フィルハーモニー)は市内の小学校で訪問演奏をしていましたから、当然、高陵小学校の名前も知っていたのですが、そこに務めることになって、やっと気付きました。高陵!!高陵とは、高い墓という意味ではないでしょうか。

  卑 彌 呼 以 死 大作 冢 徑 百 餘 歩     卑弥呼が亡くなった時、径百余歩に及ぶ 巨大な冢(墓)を作ったと書かれています。

また少し離れたところにある鷹塚山も高→鷹 、塚→陵と読めることから、墳墓ではないかと思われるのです。大阪府枚方市高塚町という地名もあります。

昭和43年に枚方市文化財調査研究会の発掘調査が実施されますと、なんと弥生時代後期の高地性集落の遺跡であることが明らかになりました。

数棟の住居跡や土器・鉄鍬などが出土するなか、大阪では珍しい「分銅型土器製品」があらわれました。この素焼きの土製品は、呪者が首にかけて信仰用に使われたのか、その用途ははっきりしませんが、「吉備の人」が作ったもののようで、150kmも隔てた吉備地方と枚方が淀川・瀬戸内海の水路によって交流していたことがわかります。

また、畿内の弥生遺跡からはじめて和製の小型銅鏡(直径7cm)の「重圏文鏡」も集落内から出土しました。


<邪馬台国の新常識>



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




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tootake
19 ott 2023
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