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味饒田命はウマシマジ

更新日:5 日前

第343話~ウツシコオの弟


これまでの考察の結果、素戔嗚(スサノオ)はウツシコオであること思わざるを得ません。

(詳細は後述予定)そして、ウツシコオ(内色許男命)が素戔嗚であるとすると、今まで書いてきたことを見直されなければいけなくなってきました。参照:玉櫛・天王(地名)~茨木市、高槻市


大彦もウツシコオですので、宇摩志麻遅命(ウマシマジ)ウツシコオの弟ということになります。日本書紀では、エクラジ、オトクラジなる人物が出てきます。兄倉下(エクラジ)は高倉下=大彦でで、ウマシマジは弟倉下(オトクラジ)ということになります。


ウマシマジに名前の似た人物として、味饒田命(うましにぎたのみこと)がいます。

阿久斗比売と物部氏に連なる豪族の阿刀氏は、先代旧事本紀によると、饒速日命の孫・味饒田命(うましにぎたのみこと)を祖とすると伝えられています。味饒田命の弟がウツシコオ(内色許男命)です。空海の祖先です。第318話:空海のルーツは内色許男命!


そしてもうひとり、甘美内宿禰(うましうちのすくね)がいます。日本書紀では「甘美内宿禰」、古事記では「味師内宿禰」では、孝元天皇の孫とされています。孝元天皇=饒速日ですので、味饒田命(うましにぎたのみこと)と甘美内宿禰(うましうちのすくね)は同一人物ということになります。


古事記では、建内宿禰(武内宿禰)の生母は山下影日売(木国造祖の宇豆比古の妹)とされており、味師内宿禰とは異母兄弟になるとされています。武内宿禰はウツシコオです。宇豆比古(ウズヒコ)もウツシコオです。第324話:武内宿禰はウツシコオ!!  第84話:うず彦(椎根津彦) ~浦島太郎


応神天皇9年4月条に天皇の命で武内宿禰が筑紫へ百姓の監察に遣わされた際、弟の甘美内宿禰が兄を廃そうとして天皇に讒言した。天皇は武内宿禰を殺すため使いを出したが、真根子(壱伎直祖)が身代わりとなって殺された。武内宿禰は朝廷に至って天皇に弁明すると、武内宿禰と甘美内宿禰は探湯(くがたち)*注で戦うこととなったが、武内宿禰が勝ったとあります。 


姓氏録には、大和皇別の内臣・山公が見え、これら諸氏が味内(ウマシウチ)宿祢の後と記されています。古事記には味師内宿祢は山代の内臣の祖と記されており、綴喜郡有智(ウチ)郷*注より起った氏とみられている。綴喜郡の式内社に内神社(京都府八幡市内里内に鎮座)があります。この氏は葛城臣の分流とされています。欽明紀十四年条には、内臣が百済に派遣された記事があります。


上記により味饒田命、甘美内宿禰は同一人物で、ウツシコオの兄弟であると思われます。

「弟の甘美内宿禰が兄を廃そうとして天皇に讒言した。」というエピソードはウマシマジが伯父である長脛彦が討ったというエピソードのもとになったと思われます。


つまり、饒速日と三炊屋媛(ミカシキヤ姫)との間に生まれたウマシマジも架空の人物であると思われます。豊受気媛神は三炊屋媛


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*注

綴喜郡有智(ウチ)郷は京都府八幡市内里内のことです。


有智は、奄智(あんち)とも表記されています。

奄智は大和国城下郡の奄知村(奄知蘊 :あんちのかづら)の地名です。雄略紀二十三年に筑紫安致臣某がみえ、宇摩志麻治命(ウマシマジ)の九世孫・物部竺志連公の後裔とされています。


菴宜物部 (あんぎのもののべ)の菴宜もウチ・ウジです。旧天神本紀に、饒速日命に供奉して天降ったことが書いてあります。


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*注

盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)は、古代日本で行われていた神明裁判のこと。ある人の是非・正邪を判断するための呪術的な裁判法(神判)です。探湯・誓湯とも。


対象となる者に、神に潔白などを誓わせた後、探湯瓮(くかへ)という釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。あらかじめ結果を神に示した上で行為を行い、その結果によって判断するということで、うけいの一種です。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Jun 08
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