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邪馬台国の誕生

更新日:5月2日

第257話~大和の誕生:磯島


私が現在住んでいるところは、京阪電車の御殿山付近です。この辺りはと呼ばれています。またすぐ近くに磯島(〒573-1186)という地区もあります。


素戔嗚の子の 五十猛の紀伊国統治地域は名草(なぐさ)郡であったと思われています。

名草はです。そして枚方市の磯島は、五十猛(イソ・タケル)と関係があるのではないでしょうか。五十猛を祭る神社は各地にありますが、イソ猛を「磯竹」と表記する神社もあります。


前号で書きましたウガヤフキアエズ:日子波限建鵜草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず)は、「なぎさたけ」と「いそたける」は同じ意味になるとされています。


そして枚方市の淀川の対岸の高槻市に三島賀茂神社(高槻市三島江)があります。

祭神は大山祇命(大山積神)です。大山祇はまたの名を「和多志の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島に鎮座していたといいます。社伝では仁徳天皇茨田堤を築くにあたって、淀川鎮守の神として祀られたといいます。

伊予国風土記によると、大山積神は百済から摂津国御島に祀られ、次いで伊予国の大山祇神社に遷座したとされています。社伝によると、当社を分社して伊予国に大山祇神社、伊豆に伊豆三島神社(三嶋大社)ができたといいます。


大山祇は「和多志=渡しの大神」と言われていることから、淀川の水運を管理支配していた人物で私は初代の三島の溝杭としています。そしてこの三島鴨神社には、事代主神(高日子根)が祭神として祀られていることから、地祇系の鴨氏の進出が指摘されています。すでに淀川の渡船の神として祀られていた大山祇神(三島神)と事代主神(鴨神)が合祀されたことで、「三島鴨神社」の社名が生まれたとされています。今迦毛大御神と天若日子

迦毛はカモ(鴨)です。事代主はカモの神で高日子です。味鋤高彦根命は事代主!


つまりこういうことです、このあたり=三島はもともと大山祇の支配地であったところウガヤフキアエズが和歌山県の名草からやって来たのです。多分、紛争(戦闘)もあったのでしょう。魏志倭人伝には2世紀後半に倭国の大乱があったとされています。


最終的に大山祇とウガヤフキアエズ(素戔嗚=孝霊天皇)が和睦します。大山祇の娘の細姫(真舌媛)を素戔嗚に嫁がすことで和解したのです。日本書紀で孝霊天皇の皇后は第2の一書では大目の子である真舌媛(ましたひめ)としています。味舌(ました)は摂津市の地名で、大目は守口市の大日であることはこのプログで何度も書いて来ました。いずれも淀川に隣接しています。真舌媛は、宗像三女神! 


こうしてカモ族のウガヤフキアエズと三島の大山祇が大きく和し大和(やまと)が誕生したのです。


<追記>

・ウガヤフキアエズは玉依姫との間に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、彦火火出見尊(神武天皇)をもうけたとされています。一方でスサノオ(素戔嗚尊)は8人の子供(八島篠見神、五十猛神、大屋比売神、抓津比売神、大年神、宇迦之御魂神、大屋毘古神、須勢理毘売命)の父親とされています。ウガヤフキアエズの長男の彦五瀬命は素戔嗚の長男の五十猛(イソ・タケル)と同一人物です。


・三島鴨神社の対岸の枚方市の地名は伊加賀(イカガ)です。ウツシコオの子、イカガシコオとイカガシコメの兄妹が暮らした場所です。イカガシコメの生んだ子がミマキイリヒコ(崇神天皇)です。迦毛大御神は崇神天皇!


・三島鴨神社は17世紀以前は「幾島大明神」と呼ばれていました。


・牧尾一彦著「邪馬台国と神武天皇」p462に「和州五郡神社神名帳大略注解所の十市(トイチ)縣主系譜に、十市縣主の祖は大日彦(オホヒヒコ)の娘である。」と書いてありました。大目は大日です。イチというのは真下姫(細媛命)のことです。素戔嗚は大山祇命の娘の神大市比売(カムオオ”イチ”ヒメ)を娶ったと古事記に書いてありました。このことにより、大山祇は大日彦です。素戔嗚が孝霊天皇であることも証明できました。神大市(イチ)比売は宗像三女神の市寸(イチキ)島比売命です。真舌媛は、宗像三女神! ~三島(茨木市)


播磨国風土記に「昔・呉勝・韓国より渡り来たり、はじめて紀伊国名草郡大田村にいたり、その後、分かれ来て、移りて摂津国三島加美郡大田村に遷り来る。これ本の紀伊国なる大田をもって名となすなり」とあります。


・孝霊天皇の和名は大日本根子彦太瓊天皇(おおやまと・ねこ・ひこふとにのすめらみこと)


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
13 mrt.
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孝元天皇:饒速日

大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)


1.富田村 2.如是村 3.三箇牧村 4.高槻村 5.大冠村 6.五領村 7.清水村 8.芥川村 9.磐手村 10.島本村 11.阿武野村 21.茨木村 22.三島村 23.安威村 24.福井村 25.溝咋村 26.宮島村 27.豊川村 28.春日村 29.三宅村 30.玉櫛村 31.味舌村 32.岸部村 33.山田村 34.吹田村 35.千里村 36.新田村 37.味生村 38.鳥飼村 39.石河村 40.見山村 41.清渓村(黄:豊中市 紫:吹田市 桃:高槻市 赤:茨木市 緑:箕面市 橙:摂津市 水色:豊能郡豊能町 青:合併なし)

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
12 mrt.
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呉公(くれ の きみ)は、「呉」を氏の名とする氏族[5]

この氏族については『新撰姓氏録』の「山城国、神別」に「天相命十三世孫・雷大臣命の後なり」と収録されている[5]。雷大臣命(いかつおみ)は中臣烏賊津(なかとみのいかつおみ)のことであり[6]、この呉氏は中臣氏の一族であるといえる[5]


呉勝(くれ の すぐり)は、「呉」を氏の名とする氏族。渡来系氏族である[5]

播磨国風土記』、揖保郡大田里条に「大田と称するゆえんは、昔・呉勝・韓国より渡り来たり、はじめて紀伊国名草郡大田村にいたり、その後、分かれ来て、移りて摂津国三島加美郡大田村に遷り来る。これ本の紀伊国なる大田をもって名となすなり」とあり[5]。紀伊国、摂津国、播磨国とする呉氏が住んでいたことが記されている

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
12 mrt.
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