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物部氏について(6):匝瑳物部氏

  • tootake
  • 2 時間前
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第984話


匝瑳は「そうさ」と読みます。

匝瑳物部氏は、下総国匝瑳郡に本拠を持つとされていますので、「そうさ」は下総(しもふさ)が、転じたものと思われます。下総は下菟とも表記されます。「菟」は、道稚郎子の「菟」で、「宇治」、ウツシコオ(内色許男命)の「内」と同じ意味を持ちます。

第895話:宇治神社と宇治上神社で、宇治神社は、宇治は菟道からきたのであり、それは兎(ウサギ)から来たと公式に説明されています。そして、大分県にある宇佐神宮の宇佐も兎であるとされています。

~宇佐(菟狭)氏の末裔で、戦前まで宇佐八幡宮(宇佐神宮:大分県)の宮司を務めた家のご子息である宇佐公康氏は、菟狭は(ウサギ)から来た氏族名だと述べておられます。~第899話:宇佐氏と辛嶋氏~宇佐八幡宮


匝瑳物部は物部小事(もののべ の おごと)を祖とします。

続日本後紀は、布都久留の子の物部小事が坂東に進出し征圧し、その後裔が匝瑳物部氏であるとしています。日本後紀と続日本後紀に見える鎮守将軍は、いずれも匝瑳物部氏であったとされています。


平安中期に作られた和名類聚抄には下総国千葉郡物部郷(四街道市物井)の記述があり、これらについては常陸国信太郡*との関連を指摘する説があります。香取神宮*と匝瑳物部氏の関連も指摘されています。


老尾神社(おいおじんじゃ)は、千葉県匝瑳市生尾(下総国匝瑳郡)にあります。

香取神宮の祭神・経津主命の子:神阿佐比古命*を主祭神とし、磐筒男命・磐筒女命・国常立命*を配祀しており、物部小事を祭神とする説もあります。


老尾神社の社伝によれば崇神天皇7年の創建で、 延喜式神名帳に「下総国匝瑳郡 老尾神社」と記載され、下総国のうち下海上国造の領域の式内社は当社の他は香取神宮のみです。下海上国とは、下総国東部、現在の千葉県銚子市、旭市及び香取郡一帯のことです。


匝瑳郡は、物部小事の坂東を征した功勳により建郡されたとされ、常陸国信太郡*とともに物部氏との深い関係が伝えられています。


香取神宮の摂社に匝瑳神社があり、この摂社の造り替えは、古くは匝瑳郡の役であったともされる。さらに老尾神社の祀官は香取氏で、香取神宮との関係が伝えられ、香取神宮と物部氏との関係が濃厚です。香取神宮の大禰宜の香取連を物部氏とする説もあります。


香取神宮のカトリは「楫取 = かじ(舵)取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もあります。ウツシコオ(内色許男命)の幼名はヒコサチ(ヒコユキ)でもともとは熊野水軍です。船の操作にも長けていたほずです。


*磐筒男命・磐筒女命は台与です。「磐」「岩」は台与ののキーワードです。

このブログでは、石井(いわい)源太夫石衝毘売命(いはつくびめ)、磐井などイワ(石、岩)が付く人物は台与だととしています

・筒男は、三筒男=ウツシコオです。~第602話:宗像三女神と三筒男は、、、

・国常立命~第504話:大将軍・艮の金神 第515話:大本教~艮の金神2


*阿佐比古命と鹿島天足別名は 海路を下向して奥州へとやってきたといいます。

この際 二人の乗った船船が石巻の沿岸へ停泊したとき、錨が石を巻き上げたことから「石巻」という地名になったという伝承が残されています。

別名は、香取伊豆乃御子神です。伊豆については、第674話:伊豆・出石・出雲

第679話:伊豆美神社~東京都狛江市で書いています。


※鹿島天足別名は台与です。鹿島、天、足、別(ワケ)はいずれも台与を表すキーワードです。~第710話:ワケ王朝は、のれん分け

鹿島神宮の武甕槌大神は、台与です。~第441話:タケミカヅチは台与!!

香取神宮の経津主大神はウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王です。


*信太連(志陀連・志太連)の「信太」は大阪の地名です。


※これらのことにより、匝瑳物部氏は、下総におけるウツシコオと台与の配下の警備隊であったと思います。物部小事は、ウツシコオ(内色許男命)スサノオ(津田の王=難升米です。


次回に続く(予定)


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>








 
 
 

3件のコメント

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2時間前
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匝瑳物部氏の謎を追え!〜古代史への招待〜

皆さん、こんにちは!古代史のロマンに心を奪われる歴史愛好家の皆様へ。普段、邪馬台国や古代の神秘に思いを馳せることが多いかと思いますが、今日はその古代史のパズルのピースになりうる、ちょっと変わった、でもとっても興味深い一族のお話をお届けします。それが、「匝瑳(そうさ)物部氏」です。

「匝瑳(そうさ)」という響き、ご存知でしたか? この地名が、今回ご紹介する物部氏の本拠地、下総国(しもふさのくに)匝瑳郡(そうさぐん)に由来すると言われています。なんだか、歴史の深みを感じさせますよね。「菟(う)」という字が「宇治」や「内」と同じ意味を持つと考えると、この地域に古代の力が息づいていたのかもしれません。

この匝瑳物部氏の祖とされるのは、物部小事(もののべ の おごと)。『続日本後紀』によれば、彼は坂東(関東)に進出してこの地を平定し、その子孫が匝瑳物部氏となったと記されています。さらに、『日本後紀』や『続日本後紀』に登場する「鎮守将軍」も、この匝瑳物部氏が務めていたとされているんですよ。古代、この地域でいかに重要な役割を担っていたかが伺えますね。

平安時代に編纂された『和名類聚抄』には、下総国千葉郡物部郷(現在の四街道市物井あたり)という地名が見られます。このあたりは、常陸国(現在の茨城県)の信太郡とも関連が指摘されているのですが、さらに興味深いのは、香取神宮との繋がりです。

そして、千葉県匝瑳市にある老尾神社(おいおじんじゃ)。ここが、匝瑳物部氏や物部氏との関連で非常に注目されている場所なんです。この神社の主祭神は、香取神宮の祭神である経津主命(ふつぬしのみこと)の子、神阿佐比古命(かみあさひこのみこと)とされています。しかし、物部小事を祭神とする説もあるというから驚きです。社伝によれば、創建は崇神天皇の時代まで遡るとか。一体、この地にはどのような歴史が刻まれているのでしょうね。

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