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多氏と長脛彦

更新日:4月19日

第291話


多氏(おおし)は、「多」を氏の名とする日本最古の皇別氏族とされています。「太」「大」「意富」「飯」「於保」とも記されます。神武天皇の子の神八井耳命の後裔とされています。


このブログでは、すでに第231話神八井耳命は三毛入野 神八井耳命は実在した人物三毛入野をモデルにしていると書きました。多氏のうち、畿内の本流一族は大和国十市郡飫富郷に住んでいたとされていますが、近畿にとはトミが付く地名が何か所かあります。

奈良県登美、奈良県雄などです。三毛入野は長脛彦です。長脛彦はた登美能那賀須泥毘古(とみのながすねびこ)、登美毘古(とみびこ)とも表記されます。

長脛彦も呉の勝(スグリ)の一族で紀伊の国(和歌山)の名草の郡の太田の村から、摂津の国の三島の賀美の太田の村に移ってきたのです。三島には摂津富田~登美の里 という地名が今でもあり、そこに定住していたと思われます。高槻と邪馬台国


 京阪電車の大和田駅の東北にある堤根神社(つつみねじんじゃ)があり祭神は彦八井耳命です。堤根神社は茨田堤の鎮守として創建されたものです。本殿の裏には、茨田堤の跡と推定される堤防の一部が現存しています。彦八井耳命(ひこやいみみのみこと)は日子八井命とも表記されます。古事記ではでは、神八井耳命は、神沼河耳命の同母弟とされていますが、新撰姓氏録では茨田連条には、命を神八井耳命の子とする異説が掲載されています。私は彦八井耳命は神八井耳命は同一人物であると思います。参照:茨田堤


このことにより、神八井耳命=長脛彦=三島の溝杭=ウツシコオであると推定できます。

そして、神八井耳命はタケハニヤスです。参照:神八井耳命は武埴安彦命!

神八井耳命は長脛彦として打ち取られました。


最近ネットを見ていたら、神八耳は諏訪大明神の神使(しんし)であり、諏訪大社の守護神とされていることを知りました。そして神八耳は、東北、北海道など邪馬台国の時代に蝦夷がいた場所の神社で祭られているのです。多氏の東国の系統では神八井耳命の4世孫である武五百建命が科野国造に任じられています。


この事は、長脛彦が第145話長脛彦の逃亡で書いたように、長脛彦は死んでおらず、「兄の安日彦(アビヒコ)とともに津軽に渡り、津軽の土着民であった、阿蘇辺族、津保化族と併合して、荒吐族となった。」と東日流外三郡誌に書かれていることと関連しているのかもしれません。


しかし、諏訪に逃げたのはタケミナカタだったはずです。タケミナカタも三島の溝杭ですが、タケミナカタは大彦の子です。南方刀美神(タケミナカタ)~三島の溝杭3代目


第266話鶏冠井(かいで)町~向日市では京都府の向日市と諏訪湖との関連を書きました。三島周辺の高槻市から京都府向日市にかけての一帯は、向(富)王家=多氏の領地でした。


ひょとしてタケミナカタは大彦の子というのも記紀の嘘で、タケミナカタ=三島の溝杭=ウツシコオだったのではないでしょうか。



    :手研耳と神八井


※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。




       長脛彦    mushinkagura.g1.xrea.com/kami-nagasune.htm


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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