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物部氏について(5):赤間物部

  • tootake
  • 2 時間前
  • 読了時間: 5分

第983話


赤間物部は、筑前国宗像郡赤間(福岡県宗像市)と長門国豊浦郡赤間(山口県下関市)にいたとされています。


宗像と豊浦は共に、邪馬台国時代の海上交通の要衝です。


・宗像は、「むなかた」の由来は、沼沢地に接する集落、「みなかた」から変異したとするとする説もあります。

(福岡県宗像市の地名の由来説)宗像氏 - Wikipedia 第337話:阿多賀田須命~宗像氏

第312話では宗像氏はタケミナカタ!としました。タケミナカタは日本書紀では建御名方神と表記されますが、日本書紀以外の国史では南方刀美神(みなかたとみのかみ)と表記します。南方は大阪府の地名(大阪市淀川区)で、邪馬台国当時は河内湖と大阪湾(浪速)の要衝でした。

・豊浦は、第734話:豊浦~豊浦宮・豊浦大臣 第735話:杜屋神社~下関市豊浦町で書いたように、台与(豊)との関係が深い地です。


下関市はかつて赤間関と呼ばれていました。下関市の名産品に赤間硯がり、この原料が赤間石です。長府には長門鋳銭司(すぜんじ・日本最古の貨銭「和同開珎(わどうかいほう)」の鋳銭所)が設けられていました。

*私が邪馬台国とする京都府木津川市にも、銭司という地名があります。「加茂町銭司

宗像市「赤間」の地名の由来

1)神武天皇が東征の折、岡湊に着いた時、吉武地区の吉留にある八所宮の神が赤馬に乗って神武天皇*を迎えた事から「赤馬」と名付けられ、それが転じて「赤間」となった。

*神武天皇は、台与です。~第566話:神武天皇と橿原神宮  

2)玄界灘周辺ではワカメが多く取れたことから、ワカメが転じてアカメになった。


どう見ても1)の方が本当らしく見えますが、2)のワカメ=赤目説もなかなか奥深い説です。


福岡県北九州市門司区門司(和布刈地区)に和布刈神社(めかりじんじゃ)があり、和布刈(めかり)とはワカメの事なのです。

和布刈神事といって、神功皇后が三韓征伐からの凱旋を祝って、早鞆の瀬戸のワカメを神前にささげたという古事に由来する神事です。710年(和銅3年)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したという記録が残っています。


和布刈神社は別名「隼人社」(はやとしゃ)ともいいます。

隼人は呉の勝で、ウツシコと台与の一族であることは、このブログではなんども書いています。最近では、第978話:オケとヲケ(7):入れ墨と久米氏・隼人舞でも書きました。


和布刈神社の祭神は、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命・日子穂穂手見命・鵜葺草葺不合命・豊玉比賣命・安曇磯良神で、これらはすべて台与のことです。

・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめ)

については、第669話:元伊勢(番外編)~神呪寺:真名井御前

で書きました。

・撞賢木厳之御魂天疎向津媛命の別称は「瀬織津姫」で、潮の満ち引きを司る神です。~第644話:大神神社を探る(7)~綱越神社


※宗像と豊浦は共に、邪馬台国時代の海上交通の要衝です。

赤間物部は、関門海峡、宗像を警備する邪馬台国の大王;台与(豊)配下の湾岸警備隊であったと思われます。


これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。

※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





 
 
 

3件のコメント

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tootake
2時間前
5つ星のうち5と評価されています。

古代の航海士が通った道 ~「赤間物部」の謎を追って~

皆さん、こんにちは!最近、歴史の地図を眺めていると、ふと気になる地名に出会うことがあります。今回は、そんな私の探求心をくすぐる「赤間物部(あかまもののべ)」について、皆さんと一緒に掘り下げてみたいんです。この「赤間」、福岡県の宗像市と山口県の豊浦郡(現在の下関市)にいたとされているのですが、どちらの地域も、邪馬台国の時代には海の交通の要衝だったと言われているんですよ!なんだか、古代のロマンが漂ってくるようで、ワクワクしませんか?

宗像の地名から「南」への繋がりが?

まずは福岡の宗像(むなかた)に注目してみましょう。この「むなかた」という響き、実は「沼沢地に接する集落」を意味する「みなかた」から変異したのではないか、という説もあるそうなんです。さらに深掘りしていくと、この「みなかた」は、古事記や日本書紀にも登場するタケミナカタ神、あるいは「南方刀美神(みなかたとみのかみ)」という神様と繋がっていくんですよ。そして、この「南方」という言葉、大阪にも地名として残っていますが、かつては淀川や大阪湾(浪速)の交通の要衝だった場所。古代の人々が、地名や神話に込めた意味を紐解いていくのは、本当に面白い発見の連続です。

「豊」と深い縁を感じる豊浦

次に、山口県の豊浦(とよら)地域を見てみましょう。ここは、邪馬台国の女王、台与(とよ)様との関係が深い場所だとされているんです。「台与(豊)」という名前と「豊浦」…これは、単なる偶然では済まされない、何か深い繋がりを感じさせますよね。昔、この地域は「赤間関」とも呼ばれていました。そして、有名な「赤間硯」の原料となる「赤間石」も、この土地で採れるんですよ。さらに、近くには、日本で初めて公式に発行された銅銭、「和同開珎」が作られた鋳銭所もあったとか。まさに、悠久の歴史が息づいている、興味深い地域なんです。


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tootake
2時間前
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物部氏族ではその始祖饒速日命について、天押穂耳尊の子で天火明命と同人であるという伝承をもっていたが、これが皇室系統の伝承と合致しなかったこと(天火明命が天忍穂耳命の子であることは、書紀の一書第六及び第八にあげられているが、それにもまして、九州系統の出で神武に先立ちして大和に入り、その支配階級となっていたことも忌避されたのかもしれない)などの事情で、記紀では天孫系を暗示する表現にとどまっていた。これに加え、尾張氏族関係の系譜仮冒で天火明命が尾張氏族の祖とされ、これも書紀の一書に採られていて、『姓氏録』はこの路線を踏襲したものであろう。


英彦山

編集済み
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tootake
2時間前
5つ星のうち5と評価されています。

<台与シリーズ>

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