第392話
ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の幼名は、ヒコサチ(ヒコユキ)で名草生まれの船乗りです。
ヒコサチの活躍の場は瀬戸内海です。ウズヒコは舟の操作も上手だったようで、サオツネヒコとも呼ばれています。鳴門の渦も物ともせずウズヒコ(珍彦)とも呼ばれるようになりました。参照:ヒコユキからウツシコオへ
このプログでは瀬戸内海の覇者として、彦狭島命、伊勢津彦を取り上げてきました。
第371話:彦狭島命~吉備児島、第372話:建日方別:彦狭嶋命、第354話: 伊勢津彦はタケミナカタ
戦国時代の瀬戸内海の覇者といえば、村上水軍です。
能島村上氏の系図では、自らの出自を村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする村上源氏としています。因島村上氏にも同様の起源を主張する系図が残されており、信濃村上氏に残る系図には、源頼信の次男源頼清が村上天皇の皇子為平親王の子源憲定村上姓を名乗ったとする伝説が伝わっています。しかし、伊予越智(おち)氏の庶流との説もあります。
大山祇神 (おおやまづみのかみ)は、伊予国風土記よれば、伊予国乎知郡(越智郡)御島に坐す大山積神(大山祇命に同じ)は、またの名を「和多志*の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島(三島)に鎮座していたといいます。「津の国の御島」とは摂津国三島(現 高槻市三島江)を指すとされ、大山祇は本来は三島の神です。元々淀川の川中島(御島)に祀られていたといい、社伝では仁徳天皇が茨田堤を築くにあたって、淀川鎮守の神として百済から遷り祀られたといいます。*和多志は渡し=船を意味します。
ウツシコオは鴨王として三島に来たことが、山代風土記に記されています。
参照:鴨王!邪馬台国に進出
大三島記文(社伝)では、大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとされています。小千命(乎千命、おちのみこと)は、予章記によると孝霊天皇=彦狭島命です。佐藤陽太著「神武天皇と卑弥呼の時代」p106
彦狭島命はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
第371話:彦狭島命~吉備児島では、彦狭嶋命=吉備津彦=南方刀美神(タケミナカタ)、塩土老翁神 うず彦(椎根津彦) 猿田彦 ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)伊勢津彦も瀬戸内海の覇者です。と書きました。大山祇自体もウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
越智氏は三宅氏とも関係が深く、備中連島の三宅水軍は、戦国時代に活躍した一族です。彼らは備中国(現在の岡山県)の連島を拠点にしていました。
三宅氏は、姓氏録等三宅連を天日槍(アメノヒボコ)の裔とするとされています。
アメノヒボコはウツシコオです。
三宅は大阪府茨木市三宅村です。三宅は三島郡三島町です。(私の生まれたところです。)三宅(屯倉みやけ)~三島郡三島町三宅
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<追記>
・ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)は海神族です。 海人族~ワタツミ
・住吉大社に祭られているのは、祭ったのは武内宿祢です。武内宿禰はウツシコオ!!はウツシコオです。
・三筒男(表・中・底)はウツシコオです。
・乎知、乎千、越智、オチは元々はウチ(内)です。内色許男命の内です。なお三島(茨木市)も昔は内(ウチ)だったようです。うちとはうちら=自分たちという意味です。
倭国のわも私の国という意味です。内は、ヤマト=邪馬台国です。
参照:玉牆内國は、うちらの国
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
江戸時代初期の安宅船
京都府京丹後市の久美浜にある神谷太刀宮神社(式内社)では、丹波道主命が祭神として祀られており、かつて丹波道主命が佩いた宝剣「国見の剣」を祀ったと伝える[3]。また、その剣名から「国見」「久美」となり「くみのみなと」「くみの見谷」「くみの浜」などの地名が生じたとも伝える。
丹内山神社(岩手県花巻市東和町)平安時代に空海(弘法大師)の弟子により創建され藤原清衡公も厚く信仰していた神社で、江戸時代には南部藩主の祈願所として栄えていました。
邪馬台国前史Ⅸ~禁野・中宮・ヤマト (hidemaru3375.com)
日置天神社境内とその周辺は日置山遺跡です。天之御中主神を祭る天神社には、妙見社系、水天宮系と、近代創建の大教院・教派神道系の3系統がありますが、水天宮は、元々は天之御中主神とは無関係だったものが、幕末維新の前後に、新たに主祭神として追加されたものです。妙見社系は、隕石の関係のある星田の妙見さん(小松神社)以外は時代が下るものです。
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち