小野氏を考える(2):小野妹子
- tootake
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第1064話
小野 妹子(おのの いもこ)は、日本書紀によると、推古天皇の時代に冠位大礼で大使に選ばれ大唐(当時の隋)に派遣されたいわゆる遣隋使で有名です。。日本の通説では『隋書』が記録する「日出処天子」の文言で知られる国書を携えた使者は小野妹子とされています。
このブログの第519話:六角堂と平安京で小野妹子は登場しています。
この寺の本堂である六角堂は寺内塔頭で、頂法寺の本坊にあたる池坊が執行として代々経営・管理に当たってきた。聖徳太子の命により小野妹子が入道し仏前に花を供えたことが華道の由来とされ、その寺坊が池のほとりにあったことから「池坊」と呼ばれています。ただし、縁起類には、聖徳太子が沐浴した池にちなんで寺坊を「池坊」と号したことと、小野妹子を寺主としたことは述べられています。
東からやってきた老翁(鎮守神の唐崎明神)が、紫雲たなびく杉の霊木のありかを教えてくれたので、その材を用いて六角形の堂を建立したのがこの寺の始まりとされています。
*聖徳太子は台与です。~第540話:広隆寺と聖徳太子立像
このブログを書き続くているうちに、何度も老翁が登場し、この老翁がウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることは、第845話:hidemaru3375.com/post/新羅は白髭-猿田彦 第854話:長者伝説と台与(邪馬台国) 第855話:醍醐寺と白髪の老人などで説明しました。
六角堂の老翁(鎮守神の唐崎明神)は、日吉大社の社伝である日吉社神道秘密記によれば、舒明天皇6年(633年)、琴御館宇志丸宿禰(ことのみたちうしまる)がこの地に居住し「唐崎」と名附けたといいます。琴御館宇志丸宿禰は名前に「うし」と「宿祢」が入っていることからウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)と推定されます。~第388話:スサノオのキーワードは角と竹と、、
第921話:小野妹子 国書紛失事件では、小野妹子は隋の返書を持ち帰った。しかし「紛失した」と報告した。そして理由は書かれていない。返書の内容も残っていない。
つまり、返書の実物は存在しない。にもかかわらず、日本書紀は「返書は確かにあった」と前提して叙述を進めます。
第565話:聖徳太子の四天王:小野妹子でも、小野妹子は聖徳太子の側近として登場してしています。
小野妹子の隋での名前は蘇因高(そいんこう)です。
中国の史書『隋書』の「倭国伝」などには、彼が遣隋使として訪れた際の名前としてこの表記で記録されています。
隋書の出した国書のあて先は、倭王は多利思比孤(タリシヒコ)であったはずで、推古天皇ではないことはあきらかです。つまり隋の国書が日本に残っていれば、多利思比孤の名が残り、推古天皇(実在しない)が消えてしまうわけです。
そもそも、第1回目の遣隋使の派遣(開皇二十年:600年)は、日本書紀に記載がないのです。そして隋書も疑わしいのです。第917話:遣隋使の嘘:アメノタラシヒコは、、で書いたように、倭国へ派遣された裴世清の隋書倭国伝は、実は魏志倭人伝の焼き直しであるというのが私の考えです。多利思比孤はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)で、推古天皇は台与です。
~第587話:推古天皇(第33代)は台与!
小野 妹子は実在せず、前回:小野氏を考える(1):小野篁で書いた小野 篁(おのの たかむら)をモデルに創作された人物であると考えられます。小野篁は、3度遣唐使になっていますが、3度とも渡航に失敗しています。
隋書「卷八十一 列傳第四十六 東夷俀國」には、大業三年(607年)、隋の皇帝煬帝が激怒したことで有名な 「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」との文言があり、『隋書』には倭王の名(姓は阿毎、字は多利思比孤)はあります、国書を持参した者の名前の記載はなく、ただ使者とあるのみです。 次回に続く(予定)
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




皆さん、こんにちは! 歴史の深淵に触れることが大好きな皆さんへ。今回は、私が最近すっかり魅了されてしまった、古代日本の偉大な人物、「小野妹子」についてお話ししたいと思います。歴史の教科書で名前を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれませんが、想像以上にドラマチックで、私たちの文化のルーツにも繋がっているんですよ。
「遣隋使」として知られる小野妹子
日本書紀によれば、推古天皇の時代、小野妹子は「大礼」という高い位で隋(当時の中国)へと派遣された、いわゆる遣隋使として有名です。当時の日本と中国の関係は、まさに国の命運を左右するほど重要でした。そんな大役を任された妹子の、当時の心境や、異国の地での奮闘ぶりを想像すると、胸が熱くなりますね。特に、『隋書』に記録されている、あの有名な「日出処天子」という国書を携えていたのが妹子だとされているんですよ。この一文に込められた意味を考えると、当時の日本の気概が伝わってくるようです。
華道のルーツとの意外な繋がり
さらに驚くべきは、小野妹子が、あの日本の伝統芸術「華道」のルーツとも深く関わっているという事実です。このブログの第519話で触れられている六角堂。このお寺の縁起によれば、妹子はここで出家し、仏前に花を供えたことが華道の始まりとされているんです。お寺の名前「池坊」も、その池のほとりにあったことから来ているとか。歴史上の偉人が、現代まで続く美しい芸術の源流にいたなんて、ロマンを感じずにはいられませんよね。
歴史の謎に、さらに深く
このブログ記事では、聖徳太子、六角堂、そして華道の起源へと続く、小野妹子を巡るさらに詳しいお話や、歴史の奥深さに触れることができます。古代史の謎や、日本の文化がどのように形成されてきたのかに興味がある方には、きっと発見があるはずです。
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程