第389話
日本という名称は、日下(くさか)から始まっています。下は本です。TVで有名な橋下さんは橋本さんではなく、下です。下=本(もと)です。日下はひのもとです。
神武天皇が最初に河内に上陸したとされるのは白方津です。日下(くさか、ひのもと)に上陸したともいわれていますが、白肩は枚方と考えるべきでしょう。クサカは地元では孔舎衙と表記されています。
日本(にほん)は、ヤマトの他に、大八洲国(おおやしまぐに)、豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)、葦原中国(あしはらのなかつくに)、玉墻内国(たまがきのうちつくに)、細戈千足国(くわしほこちたるのくに)、磯輸上秀真国(しゆかみのほずまのくに)、或いは虚見倭国(そらみつやまとのくに)、秋津洲倭国(あきつしまやまとのくに)などと呼んでいたようです。
*秀真については、様々に議論されていますが、秀真も邪馬台国(三島)と思いたい私は、葦原も穂だとされているので、ほづまのほは穂だと思います。*秀真伝(ほつまのつたえ)下記注
日本書紀神武巻の最後の方にある「玉牆内國」は「たまかきのうちつくに」と読みます。玉牆は玉垣と同じで、建物とその周囲を区画する垣を誉め称えてタマカキと言います。
今でも、各地に垣内(かいと)という地名があります。 玉牆内國はもともとは狭義の「大和」を指し、「タマカキの」というのは「たたなつく青垣 山隱(ごも)れる」と同じように美しい山々に囲まれていることを言うとされていますが、タマカキは垣内で環濠集落のことです。
近畿では富田林や今井町(奈良県)にある寺内町とよばれる環濠集落が残っています。
「玉垣の内つ国」は、日本国の美称とされており、美しい垣のような山々に囲まれている国を指しとか、 朝霞光が垣の内を照らす春の美しい風景を連想させるという風に美化されていますが、内つ国とは、京都府男山市の内里〒 614-8227のことです。内里は、ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)の根拠地の一つでウツシコオ(内色許男命)の内(うち)です。
うちかわとは、アワ海(淡海=琵琶湖)から流れ出る川=宇治川
山崎付近で合流して淀川となる三流(桂川・宇治川・木津川) の中(内)の川。
と説明しているのは、ほつまつたえ(秀真伝)です。うちかわ【宇治川】 (gejirin.com)
*秀真伝は、いわゆる「古史古伝」のひとつで、肯定派の研究者によれば、古事記・日本書紀との内容比較から、成立時期はそれらよりも古く、記紀の「原書」であるとされています。但し、現存するものとしては安永4年に制作された書籍が最古の写本であり、それよりも古い写本は見つかっていません。
なお三島(茨木市)も昔は内(ウチ)だったようです。うちとはうちら=自分たちという意味です。倭国のわも私の国という意味です。内は、ヤマト=邪馬台国です。
日本書紀の注釈書である釈日本紀の中には、伊予国 の 大山祇神(おおやまつみのかみ)の説明では三島(御島)は宇知郡 (うち)となっています。
宇知郡 御島坐神 御名 大山積神 一名和多志大神也 是神者 所顕 難波 高津宮 御宇天皇 御世 此神 自百済国度来坐而津国御島坐 云々 謂御島者 津国御島名 也
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うち‐つ‐くに【内つ国】
1 都のある国。
「東のかた胆駒いこまの山を踰こえて、―に入らむと欲す」〈神武紀〉
「皇師(みいくさ)中洲(ウチツクニ)に趣かむと欲(す)」(720)神武即位前(熱田本訓))
「北は近江の狭々波の合坂山あふさかやまより以来を―とす」〈中臣連重本孝徳紀〉
「(仏法ヲ)帝国みかどに伝へ奉りて、―にあまねく通はさむ」〈欽明紀〉
※社殿や神聖なところを限るために、周囲に繞(めぐ)らした垣を「玉垣」(たまがき:玉籬)といいます。 木造、石造などがありますが、古くは樹木で囲む「柴垣」(しばがき)であったと考えられています。 〝玉垣の内つ国〟は日本国の美称です。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
※これまでの記事はこちらです。
<目次>
環濠集落~垣内
<邪馬台国の新常識>
ウガヤフキアエズのミコト
邪馬台国の誕生
徐福伝説と「呉の勝」
日向は大阪府守口市
櫛名田比売2~八雲は守口市
ウツシコオの名前についての弁明
多氏と長脛彦
饒速日と長脛彦
<河川は古代の高速道路>
市寸島比売は厳島!~広島・三島 )
真舌媛は、宗像三女神!~三島(茨木市)
全ての道は三島に通じる。
<欠史八代の天皇の正体>
素戔嗚(スサノオ)は、孝霊天皇
丹・朱を求めた天皇たち
<大彦>
大国主は、大彦
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち