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葉江(ハエ)!~磯城県主

更新日:7月4日

第321話


<要約>

・孝元天皇の后は、十市県(磯城)の縣主の大目

・一方で絙某姉(はえいろね)と絙某弟(はえいろど)、蠅伊呂泥・蠅伊呂杼の姉妹が孝霊妃ともある。

・蠅伊呂泥・蠅伊呂杼の父は和知都美(わちつみ)とある。

・和知都美(わちつみ)は磯城県主であると中原系図にある。和知津美命はワタツミ!!

十市県主大目は、磯城県主であり、中原系図によれば磯城津彦の後を十市県主としています。

 よって和知都美は大目と同一人物 

弟磯城(おとしき、黒速)は磯城県主を任じられている。

・弟磯城(=黒速)は、ウツシコオ

弟磯城(=黒速)は、大目の子である。→次回で解説予定。

・大目は大阪府守口市・大日→磯城は守口←和知津美命はワタツミ!!



葉江、古事記では師木県主波延(ハエ)、日本書紀では磯城県主葉江と表記されます。


古代磯城郡一帯を支配していた豪族・磯城県主です。

ハエには、安寧(師木津日子玉手見)の子、師木津日子の子に、淡路御井宮に住むという、和知都美(わちつみ)がおり、その娘である、蠅伊呂泥・蠅伊呂杼の姉妹が孝霊妃となっています。(古事記)


磯城県主は、志貴御県坐神社(奈良県桜井市金屋)を本拠地とする氏族であり、日本書紀』神武2年2月2日条に、弟磯城(名は黒速)を磯城県主としたことが記され、姓氏録大和国神別に、志貴連とあり、日子湯支命(ヒコユキ)の後裔とあります。


ヒコユキとはこのブログではお馴染みのウツシコオ(内色許男命)です。参照:ヒコユキからウツシコオへ


また、「倭絙(はえ)彦」後裔の「山代石辺君」は、姓氏録に大物主命の子・久斯比賀多後裔とされる「石辺公」に対応し、「久斯比賀多」は、大物主神の祭祀者系譜にそれぞれ「櫛御方(日本書記)」「奇日方天日方(古事記)」とみえます。

参照:第227話:天日方奇日方命


宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、日本書紀では事代主神の女、古事記では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張しています。


葉江(はえ、生没年不詳)は古代日本の豪族・磯城県主の一人。事績は何も伝わっていませんが、欠史八代中の多くの天皇の外戚になったと伝えられています。

「蠅伊呂泥(はえいろね)」「蠅伊呂杼(はえいろど)」の「はえ」は、日本書紀一書の「磯城県主葉江」の「葉江(はえ)」、古事記の「県主波延」の「波延(はえ)」と同義とみられ、「はえ」が一連の系譜の共通要素となっていることがわかります。


姉妹が「和知都美(わちつみ)」の子であることから、航海と関わる「南風(はえ)」を意味するのではないかとする研究者もいます。十市県主は、延喜式神名帳の大和国十市郡にみえる十市御県坐神社(奈良県橿原市十市町)を本拠地とする氏族です。

志貴御県坐神社は、事代主神と一義的関係を持つ三輪山の山麓にあり、安寧后の師木県主祖河俣毘売兄県主波延女「阿久斗比売」は、摂津三島の式内社「阿久刀神社」と符合するなど、系譜の土地属性は、記紀は共通して、三輪山と摂津三島を示します。第191話:阿久斗比売(アクト姫)と空海第192話:阿久斗比売は渟名底仲媛命


前号:欠史八代はヤマト=三島 で磯城は三島であることを述べました。

第319話:和知津美命はワタツミ!! では大日は大山祇でした。大山津見神(大山祇)はワタツミと対比した神です。和知津美命(ワチツミ)とはワタツミではないのでしょうか。と書きました。日向は大阪府守口市 菊理媛神~大目は大日(守口市)


・ワタツミはウガヤフキアエズです。磯城氏縣主である大日は大山祇です。

よって磯城県主である葉江はウガヤフキアエズです。和知津美命はワタツミ!!


・波江(はえ)は京都府福知山市の地名です。〒620-0075   

第9代:開化天皇 ワカ・ヤマト・ネコ・ヒコ・オホヒヒ は 旦波之大県主、です

オホヒヒは大日です。福知山も丹波です。とすると開化天皇こそがハエでしょう。←これから検証します。




======================

<十市氏系図>

事代主命→鴨王命 神武十市氏系図→大日諸命(春日県主・武研貴彦友背命)

→大間宿禰(春日県主) 安寧→春日日子(春日県主)

→豊秋狭太彦 考昭→五十坂彦(十市県主)考昭時春日改称十市 

大目彦(十市彦) 考霊→倭彦(十市県主)中原連祖 

大日諸命(春日県主・武研貴彦友背命) 綏靖→大間宿禰(春日県主)

→春日日子(春日県主) 愨徳→豊秋狭太彦 

→五十坂彦(十市県主)考昭時春日改称十市


上記の系図を見ていただくと大目が本来、大日であったことが分かります。


私が、孝霊天皇の后は細姫(マシタ姫=市杵島姫命)の父親が十市県主の大目

が大日だと言っている根拠です。大日は、大阪府守口市です。



※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 

※これまでの記事はこちらです。


<目次>



             大山祇(おおやまつみ)


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3 Comments

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 18
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八咫烏の由来 (hidemaru3375.com)


皇紀115年=安寧3年(前546年)春1月5日、事代主命の孫・鴨王(かものきみ)の娘・渟名底仲媛(ぬなそこなかつひめ)を立てて皇后とされる。

第3代天皇の皇后もまた事代主命の系統である。事代主系が初代から3代続けて皇后となっておられる。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 17
Rated 5 out of 5 stars.

https://isobedas2.sakura.ne.jp/wp/kotoshiro/shiki-tochi-genealogy/


「師木津日子玉手見」「師木津日子」の「師木」は、「師木県主」の「師木」であり、当該部分は、師木県主との関係を色濃く示しています。

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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
May 17
Rated 5 out of 5 stars.

<邪馬台国の新常識>

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タケハニヤスの乱2 ~阿太(奈良県五條市)

タケハニヤスの乱3 ~小人国

タケハニヤスの乱4~大彦は、綏靖天皇

タケハニヤスの乱最終章

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