第227話
天日方奇日方命(あめひがた・くし・ひがたのみこと)は旧事本紀では、事代主神の子。母は活玉依媛。妹の媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の皇后になったことにより、可美真手命(ウマシマジ)とともに申食国政大夫(けくにのまつりごともうすうなきみ)となったといいます。大神氏の祖で別名に阿田都久志尼命。神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命の兄だとも書いてあります。
大田田根子(オオタタネコ)はこう言っています。
「父は大物主大神。母は活玉依媛。活玉依媛は陶津耳の娘」
活玉依毘売は玉櫛姫です。
古事記では大物主と活玉依毘売が結婚して子供が生まれているのに対して、事代主と活玉依毘売が結婚しています。大物主は大国主と同一神とされ、大国主と事代主は「親子」だから、そこに混乱があったのでしょう。
古事記では神武天皇の皇后は大物主の子で、日本書紀では事代主の子供になっているので、合致します。日本書紀にある奇日方天日方武茅渟祇は陶津耳命の別名とされていますが、実際は活玉依毘売→奇日方天日方武茅渟祇→大田田根子です。
古事記によるでは、大物主の子で母は活玉依毘売(イクタマヨリビメ)
櫛御方命、武日方命、阿田都久志尼命、鴨主命、久斯比賀多命
別名には八咫烏、八咫烏鴨武角身命(やたからすかもたけつのみのみこと)がある。
山城の賀茂氏(賀茂県主)や葛城国造の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神。
つまり、天日方奇日方命は建甕槌だということです。建甕槌も申食国政大夫です。
天日方奇日方命が鴨主命(鴨王)とされているのは、鴨王=三島の溝杭ということです。
それよりも阿田都久志尼命(あたつくしねのみこ)という別名が気になります。
あたはアタ姫つまり、タケハニヤスの妻・母がアタとされていおり、アタは反逆者の意味があります。賊虜=アタ~邪馬台国と神武天皇p425
第188話で三嶋溝抗命はタケハニヤス という記事を書きました。
そうすると、八咫烏、八咫烏鴨武角身命、山城の賀茂氏(賀茂県主)や葛城国造の始祖であり、賀茂御祖神社(下鴨神社)の祭神として知られる人物は建甕槌=天日方奇日方命ということになります。
大物主を祀らせるために崇神天皇は太田田根子を探させたと書いてあります。探させたということは、太田田根子は秘かに隠れ住んでいたということです。太田田根子は反逆者の子だから隠れ住んでいたのではないでしょうか。
※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。
※これまでの記事はこちらです。
神武天皇と八咫烏
<大彦>
天香語山命~大彦も五伴緒のメンバー
大彦
大彦は、高倉下~新潟県西蒲原郡弥彦村
大彦の北陸道遠征
大彦~メスリ山古墳: 桜井市
大彦は、綏靖天皇~タケハニヤスの乱4
大国主は、大彦 ~出雲は三島
<卑弥呼>
卑弥呼は名草トベ~和歌山市
卑弥呼は萬幡豊秋津師比売
卑弥呼はイカガシコメ??
<ウツシコオ(内色許男命)=大綜麻杵(オオヘソキ)>
ウツシコオは難升米ではなかった?
八咫烏の真実~ウツシコオ陰謀の始まり
ウツシコオは魏志倭人伝に登場する難升米
<饒速日>
饒速日は大阪府茨木市出身
星の降る町~速玉は饒速日
伊都国 一大率は五十猛(饒速日)
孝元天皇は五十猛!~椿井大塚山古墳
五十猛の九州征圧
神功皇后と五十猛
饒速日が死んだ!~ウツシコオの陰謀
孝元天皇と家族たち
饒速日はスサノオの子
<五十鈴姫=媛蹈鞴五十鈴媛=富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライスズキヒメ)>
ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴
とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
お多福さんと五十鈴姫
金屋子神は五十鈴姫