花窟神社(はなのいわやじんじゃ)を考える
- tootake
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更新日:22 時間前
第703話 #草野姫 #句句迺馳(くくのち)
日本最古の神社は奈良県にある大神神社だと思っていました。しかし、日本最古の神社は
三重県熊野市にある花窟神社(はなのいわやじんじゃ)だそうです。
花窟神社は、日本書紀にも記されており、伊弉冉尊(イザナミノミコト)が火の神である軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産んだ際に亡くなり、その御陵として祀られた場所と伝えられています。花窟神社は社殿を持たず、巨岩そのものを御神体として祀るという、非常に原始的な信仰形態を持っています。また、2004年には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産に登録されています。主祭神は、伊弉冉尊(イザナギ)、軻遇突智尊(カグツチ)です。
第420話:hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのかでは~火明命は台与としています。火明命も火の神で軻遇突智尊と同じです。火は鉄を溶かすための溶鉱炉のことです。
第216話:五十鈴姫は鉄の神では、「ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメのホトは鞴(ふいご)、蹈鞴(たたら)です。たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名前です。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できます。」と書きました。
花窟神社の御神体である巨岩の麓にある「ほと穴」と呼ばれ、高さ6メートル、幅2.5メートル、深さ50センチメートルほどの大きな窪みがある岩陰が伊弉冉尊の葬地であるとされ、白石を敷き詰めて玉垣で囲んだ拝所が設けられています。
この巨岩は「陰石」であり、和歌山県新宮市の神倉神社 の神体であるゴトビキ岩は「陽石」であるとして、一対をなすともいわれています。ホトとは女陰の意味もあります。
第543話:熊野の神々はでは、ゴトビキ岩と台与の関係について書きました。
ゴトビキ岩=神倉神社の祭神は高倉下(タカ・クラジ)です。倉治(クラジ)私が台与の住まい(我家:ワギヘ)としている交野市の地名です。そこは饒速日(ニギハヤヒ)が舞い降りたとされる磐船神社があります。~饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
花窟神社の御神体である巨岩の麓にある「ほと穴」は五十鈴姫(ホト・タタライスケ・ヨリ姫)のホトの事でしょう。五十鈴姫は台与です。~とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中
花窟神社では、縄掛け神事が行われます。この神事は、特別な田で作られたもち米の藁縄7本を束ねた長さおよそ170メートルの大綱に、季節の花を結びつけた3つの縄幡および扇を吊して、磐座の頂上から七里御浜の海岸へと大綱が引かれ、境内の南隅にある柱の先端へと引き渡されます。大綱として束ねられる7本の細い藁縄は、伊弉冉尊の子で自然神である級長戸辺命(しなとべのみこと、風の神)、少童命(わたつみのみこと、海の神)、句句迺馳(くくのち、木の神)、草野姫(かやのひめ、草の神)、軻遇突智尊(火の神)、埴安神(はにやすのかみ、土の神)、罔象女(みつなのめ、水の神)を意味するそうです。
・級長戸辺命(しなとべのみこと、風の神)
・少童命(わたつみのみこと、海の神)~第314話:海人族~ワタツミ
・罔象女(みつなのめ、水の神)~第616話:鉱物資源と邪馬台国14~弥都波能売神(みずはのめ)
については、すでにこのブログで書いています。
・草野姫(かやのひめ、草の神)は、第241話:名草トベの惨殺で書いた名草トベのことです。名草トベは神武天皇と戦って殺されその遺体は3つに分断されそれぞれ、和歌山県の南にある海南市の3つの神社、宇賀部神社は頭の宮と呼ばれ頭を、杉尾神社は別名おはらさんで、お腹の神とされ胴体を、そして足を祀った場所が千種神社となっています。
足を祀った場所が千種神社でこの神社の祭神が草野姫神(かやのひめ)です。
古事記では鹿屋野比売神(やかのひめ)、日本書紀では草祖草姫(くさのおやかやのひめ)として登場します。伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた草の女神である。草の神とするが、屋根を葺く「萱」を神格化した神であろうとされています。
草というのは名草、萱(かや)は、ウガヤフキアエズ(鸕鶿草葺不合尊)のカヤです。
このブログではウガヤフキアエズはスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)としています。~第256話:ウガヤフキアエズのミコト
名草トベについては、卑弥呼だと書きました。~第92話:卑弥呼は名草トベ~和歌山市
・句句迺馳(くくのち)は木の神です。句句迺馳は、延喜式祝詞の大殿祭に見える屋船久久遅命(是木霊也)=木霊屋船神と同神と思われます。木霊屋船神は、紀伊忌部は木材の管理や建造物の造営などに携わっていたと見られ、忌部氏の祖と共に彼らの職掌に関わりの深い木の神を祀ったものです。木は家屋はもちろん船の材料としても非常に重宝されたことからその神は屋船久久遅命と呼ばれ、その内の船材としての側面が強調され、その守護神として三(御)船神社が祀られていいます。このことは、素戔嗚が五十猛(イタケル)に木を植えて舟をたくさん作れと言ったことと合致します。つまり木霊屋船神は、五十猛=台与です。
~第517話:五十猛のグロは大歳=台与(豊)
ということでこれらの祭神はいずれ台与またはスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)であることや名草とも関連連していることから、花窟神社が日本最古の神社というのは納得できます。名草は、ウツシコオ=ヒコサチ誕生の地です。~第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
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<蛇足の追記>
・この神社では「わたつみのみこと:海の神」を少童命としています。少童命とは幼い子ということですから、「わたつみのみこと:海の神」は、13歳で邪馬台国の大王に即位した台与のことかもしれません。
・草野姫(かやのひめ)は、草と野の神である鹿屋野比売神と表記されます。
古事記では、鹿屋野比売神は、大山津見神(おおやまつみのかみ)は、日本神話に登場する神。神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命との間に生まれ、その後、草と野の神である鹿屋野比売神(野椎神)との間に以下の四対八柱の神を生んだと書かれています。
大山津見神は、スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)です。
鹿屋野比売神=草野姫(かやのひめ)=名草トベ=卑弥呼とすると、もう少し検証が必要です。卑弥呼(ウツシコメ)はウツシコオの姉の筈です。
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
花窟神社
