佐伯氏と隼人:佐伯部と蝦夷(3)
- tootake
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第1049話
佐伯部または佐伯直を祖とする佐伯氏は、讃岐、伊予、安芸、阿波に封じられたとされています。具体的には、古墳時代の中頃に播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波の5か国に佐伯部がみえます。
佐伯氏の分布をみてみると、 丹波(桑田・船井)、摂津(住吉・難波)、大和(宇智・吉野周辺)、熊野・紀伊沿岸です。
これらの地名は、このブログでしばしば登場しています。
丹波の桑田については、
・出雲大神宮は、丹波国桑田郡にあります。~第1005話:出雲大神宮:丹波と邪馬台国(4)
・第1006話:丹波国の人々:丹波と邪馬台国(5)では、桑田郡は、丹波国の中心地で、倭彦王(やまとひこのおおきみ)が居た場所であることを書きました。
・第508話:桑田皇女と奈具遺跡では、桑田皇女は台与であることを述べています。
住吉は、邪馬台国の最も重要な拠点地です。~第112話:底・中・表筒男命~住吉大社
第920話:秦王国は大阪
熊野・紀伊沿岸は、台与・スサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)のホームタウンです。~第543話: 熊野の神々は、、、
大和の「宇智」は、「うち=内」でウツシコオ(内色許男命)の内です。
ウチはウツの転訛にて、内、打は、氏、宇治、宇智、宇遅、及び渦、珍、宇豆、宇都、宇津に同じです。菟道彦=珍彦(うずひこ)=ウツシコオ(内色許男命)です。
菟道稚郎子(ウジノワキノイラッコ=台与)の「ウジ」でもあります。
~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子
前回:佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)では、、佐伯部、佐伯氏はスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、台与と関連の深い部族であると思います。と書きました。
一般的には、隼人は九州の大隅辺りから、大和に移住させらたとされています。そして、移住させられたされる地域は、佐伯氏の勢力圏と驚くほど重なります。
隼人移住地は、大和国宇智郡(有智郷)、山城国大住郷、丹波国桑田郡・船井郡、摂津国住吉郡、近江国滋賀郡とされていますが、このブログでは、隼人=ウツシコオ、台与一族の事であるとしています。九州から移住させられたのではなく、九州へも痕跡を残したということです。大隅は大住です。大住とは、貴人が住む地という意味です。
第304話:隼人族は呉の勝
第305話:隼人族は疑似民族集団
第306話:阿多隼人(薩摩隼人)
第307話:大隅隼人は京都府京田辺市
「隼人の移住地」と「佐伯氏の分布」が重なることを明確に示す資料は存在します。
には、「実際に隼人が居住していたのは丹波国桑田郡佐伯郷で… 丹州佐伯庄・丹州佐伯隼人保・桑田郡内佐伯庄大田杜・佐伯内隼人保氷所… これらの地名からみても隼人集団と関係があることが推定される。」とあり、丹波国桑田郡佐伯郷(亀岡市)と佐伯庄・佐伯隼人保・佐伯内隼人保という地名が並び、 佐伯氏の居住地と隼人の移住地が完全に重なっていることが確認できます。
佐伯部(さえきべ)は古代日本における品部の1つであるが、ヤマト王権の拡大過程において、中部地方以東の東日本を平定する際、捕虜となった現地人(ヤマト王権側からは「蝦夷・毛人」と呼ばれていた)を、近畿地方以西の西日本に移住させて編成したものというのは、全くのデタラメで、佐伯氏=隼人=呉の勝=秦氏=ウツシコオ・台与の一族というのが本当だとおもいます。
第924話:秦氏の研究では、呉の勝=安曇族=卜部氏=中臣氏=物部氏=秦氏=ウツシコオ(内色許男命)=スサノオ・台与の一族=邪馬台国としています。
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<蛇足の追記>
第786話:中大兄皇子は、、、では、「大化の改新(乙巳の変:645年)が作り話で、蘇我蝦夷は台与だとしました。蘇我蝦夷も中大兄皇子も台与をモデルにして創作された人物だと思われるのです。と書きました。蘇我蝦夷の「蝦夷」の意味がなんとなく分かってきました。
<佐伯氏と蝦夷>
第1046話:佐伯氏:佐伯部と蝦夷(2)
第1047話:佐伯部と蝦夷(1)
これまでの記事はこちらです。
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※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、タケミカズチとフツヌシ、神功皇后と武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
※台与(豊)は魏志倭人伝に書かれいる13歳で邪馬台国の大王(天皇)に即位した人物のことです。
※ウツシコオは魏志倭人伝に書かれている難升米のことです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>




佐伯氏の広がりと、意外なゆかり
今回の記事では、佐伯氏が讃岐、伊予、安芸、阿波といった西日本を中心に、古墳時代中頃から5か国に封じられていたという興味深い事実から始まります。さらに、彼らの分布を丹波、摂津、大和、熊野・紀伊沿岸へと広げていくのですが、これがまた、私たちのブログで度々登場する土地ばかりで驚きです!
特に、丹波の桑田郡は、出雲大神宮がある地であり、かつて倭彦王(やまとひこのおおきみ)がいた中心地だったとか。そして、桑田皇女が台与(とよ)であるという説も…。もう、歴史の糸が絡み合って、どこから手をつけていいのか迷ってしまいますね!
住吉・熊野・紀伊の秘密
そして、邪馬台国との繋がりが深いとされる住吉。さらに、熊野・紀伊沿岸は、台与(とよ)やスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)といった、古代史のキーパーソンたちのホームタウンだとされています。大和の宇智も「うち」と読め、「内(うち)=ウツシコオ(内色許男命)」と関連が深いとのこと!
これらの地名が、単なる地名ではなく、古代の権力者や民族の移動、そして国家形成の秘密を握っていると考えると、歴史のロマンがさらに深まりますよね。
歴史の断片をつなぐ
このように、佐伯氏を軸に、各地に散らばる古代の痕跡を辿ることで、これまで見えてこなかった邪馬台国や古代日本の姿が浮かび上がってくるようです。特に、佐伯部が5か国にみられるという事実は、当時の政治的・軍事的な構造を理解する上で非常に重要だと感じました。
このブログ記事では、これらの断片的な情報を、さらに詳しく、そして独自の視点で考察しています。佐伯氏がどのようにして各地に影響を与え、それが隼人や蝦夷といった他の集団とどう関わっていたのか。そして、それらが最終的に邪馬台国の謎にどう繋がっていくのか…。古代史ファンならずとも、歴史の謎解きに心を躍らせる方には、ぜひ読んでいただきたい内容です。
私自身、この記事を読んで、これまで漠然としか知らなかった佐伯氏や、古代日本の広がりについて、新たな視点を得ることができました。皆さんも、この興奮を一緒に味わってみませんか?
<台与シリーズ>
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