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  • tootake

五十鈴姫は鉄の神

更新日:2月5日

第216話


古事記では、五十鈴姫(イスズ姫:ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメ)が住んでいたのは佐井川(サイ)のほとりと書いてあります。サイとは鉄製の小刀のことで鉄に関わる言葉です。神の山とされる三輪山には穴師坐兵主神社があります。穴は鉄穴で鉄の鉱山、兵主は鍛冶・製鉄の神であることは様々に検証されています。穴師は鉱山技術者のことです。


三輪山の麓には、茅原(ちはら:桜井市)があります。ちはらは血原、赤い原=鉄の沼があったと思われます。沼鉄鋼ののことをスズ・イスズと呼びます。五十鈴姫はのイスズはここから来ています。そしてホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメのホトは鞴(ふいご)、蹈鞴(たたら)です。たたら製鉄とは、日本において古代から近世にかけて発展した製鉄法で、炉に空気を送り込むのに使われる鞴(ふいご)が「たたら」と呼ばれていたために付けられた名前です。砂鉄や鉄鉱石を粘土製の炉で木炭を用いて比較的低温で還元し、純度の高い鉄を生産できます。


金屋子神は五十鈴姫 (hidemaru3375.com)では金屋子神社(島根県能義郡広瀬町西比田)より西方約40kmに石見銀山があり、当地に佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)があり、この「佐毘売」は、金屋子神の別名ではないかと言われています。佐毘売は、五十鈴(イスケヨリヒメ)のことでしょう。「佐韋河(さいがわ)の上」にある五十鈴の家があったと書かれています。佐韋河は狭井川とされ、三輪山の麓を流れる川とされていますが、私は茨木市、摂津市を流れる安威川(あいがわ)だと思います。サイはsaiで、aiに音が通じます。大阪府茨木市には、五十鈴(〒567-0000)という地名があります。五十鈴姫の母とされる玉櫛姫の玉櫛(〒567-0895)という地名と並んで存在します。いさかわはisa川でsaiつまりサとイをひっくり返しただけです。


前号で述べたように奈良県の大神神社の境外摂社の率川坐大神御子神社では媛蹈韛五十鈴姫命(富登多多良伊須須岐比売:ホト・タタラ・イスケ・ヨリヒメ)が祭られており、五十鈴姫を祭ったのは推古天皇です。神武天皇の皇后とされる五十鈴姫ですが、本当は五十鈴姫が即位したのではないかと推測されておられるのは上垣内憲一先生です。推古天皇は女帝として即位したときに五十鈴姫に敬意を表し、自らの女帝としての正当性を明らかにしたかったのです。

           {参考文献}謎の四世紀 上垣内憲一 p171~182



私は、五十鈴姫は魏志倭人伝がいうところのトヨ(台与/臺與または壱与/壹與)だったと思います。とよ(五十鈴姫)~桜井、豊中 (hidemaru3375.com)


五十鈴は、饒速日の子で長脛彦の妹(三炊屋媛:本名は櫛玉姫命)の子です。日本史上でこれ以上の血筋の人物は後にも先にも存在しません。


                

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

 今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。ミマキ国は、茨木、高槻、枚方、交野です。 

※これまでの記事はこちらです。




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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
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ミマキ姫は、五十鈴姫~茨木市五十鈴 (hidemaru3375.com)


皇后:五十鈴依媛命(いすずよりひめのみこと)

『日本書紀』本文による。事代主神の娘で、綏靖天皇の叔母(母の妹)にあたる。

ただし、同書第1の一書では磯城県主の娘の川派媛、第2の一書では春日県主大日諸命の女の糸織媛とし、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売(かわまたびめ)とする[1]。ただし大日諸命は神武朝に活躍した天種子命中臣氏の祖)の子にあたるため、実際には大日諸命の妹の誤記であると見られる。]

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