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ヤマトタケルの足跡を訪ねて(5)~島穴神社

  • tootake
  • 5月27日
  • 読了時間: 5分

第695話 #風の神 #龍田大社 #台与


島穴神社(しまあなじんじゃ)は、千葉県市原市島野にあります。

主祭神は、志那都比古尊(シナツヒコ) です。シナツヒコは 風の神です。社伝では、姉埼神社(千葉県市原市姉崎)の祭神である支那斗弁命の夫もしくは弟とされています。配祀神として、日本武尊(ヤマトタケル)、倭比売尊(ヤマトヒメ)*が祀られています。


古事記、日本書紀では、日本武尊が東征の際、走水の海(浦賀水道)で暴風雨に遭ったが妃の弟橘姫の犠牲によって上総に上陸することができたと書かれています。社伝ではその時のこととして、弟橘姫が大和国の龍田大社*の神に、無事に上総まで航行させてくれるのなら風鎮めの神を祀ると祈ったので、日本武尊は弟橘姫命の遺志に従いこの地に志那都比古尊を祀ったとしています。


シナツヒコは、本来は農耕に適した風雨をもたらす神でしたが、風の神になったのは、邪馬台国の時代には、街道が整備されていなかったため、長距離の移動にはもっぱら船が使われていたためです。当時の航行は風が頼りでした。


*龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にあります。

では、埼玉県の広瀬神社との関連について書きました。龍田神社は、風の神(風神)として古くから信仰を集めています。龍田大社の祭神は、天御柱命(あめのみはしらのみこと)、国御柱命(くにのみはしらのみこと)で龍田の風神と総称され、広瀬(奈良県北葛城郡河合町)の水神と並び称されています。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(シナツヒコ:男神)、国御柱命は級長戸辺命(シナツトベ:女神)のこととされています。


*倭比売尊(倭姫命:やまとひめ)は、崇神天皇の皇女豊鍬入姫命の跡を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされています。

御杖代は依代として神に仕える者の意味とされていますが、「杖の代わり」の意味もあります。第663話:卑弥呼の残像:元伊勢(10)~御杖神社では、ウツシコと台与は道の神だと述べてきました。道ということから、旅、道、旅、足などの言葉が連想されます。杖も道からの連想です。すなわち、倭姫命は台与です。~第442話:双体道祖神


伊勢神宮を創祀したときの天照大神から倭姫命への神託は、日本書紀では次のように書かれています。

神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國(この神風の伊勢の国は常世の浪の重浪しきなみ帰よする国なり。傍国かたくにの可怜うまし国なり。この国に居をらむと欲おもふ)— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条


つなり神風=シナツヒコですから、倭姫命(ヤマトヒメ)も神風なのです。


冒頭で、シナツヒコは姉埼神社(千葉県市原市姉崎)の祭神である支那斗弁命(シナトベ)*の夫もしくは弟とされています。と書きました。シナトベの「トベ」は名草トベ、丹敷戸畔(にしきとべ)など、女性の首長のことです。姉埼神社の祭神は支那斗弁命(しなとべのみこと) で 風の神です。そして配祀神として、日本武尊、天児屋根命、大雀命(おおささきのみこと)が祀られています。


天児屋根命はウツシコオです。~ 第349話:天児屋命はウツシコオ!!

大雀命は仁徳天皇のことです。そして仁徳天皇は台与です。~第582話:仁徳天皇(第16代)

シナツヒコは、本来は農耕に適した風雨をもたらす神です。8歳にして米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人=ヤマトトモモソ姫=豊受姫は13にして、卑弥呼の後を継ぎ、ヤマト(邪馬台国)の大王となったのです。~第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??

これが魏志倭人伝のいうところの”とよ(乎止与命・台与・臺與)”です。


つまり志那都比古尊(シナツヒコ)=倭姫命(ヤマトヒメ)=支那斗弁命(シナトベ)=仁徳天皇=台与ということになるのです。


====================================

<蛇足の追記>

鎌倉時代の元寇(1274年の文永の役、1281年の弘安の役)の際に、伊勢神宮の「風神社」と「風社」で祈祷が行われました。その結果かどうかは定かではありませんが、暴風が発生し、元軍の船団が壊滅したと伝えられています。この出来事が「神風」として語り継がれ、風神社と風社は「風日祈宮」と「風宮」に昇格しました。シナツヒコが風を司る神として、元寇の際の暴風と結びつけられたと考えられます。


<ヤマトタケル=台与の足跡をたどる>



※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。

 ~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。

神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、

アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)

聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>

   



 
 
 

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tootake
May 26
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