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出雲振根(いずもふるね)

更新日:2023年12月31日

第165話~出雲神話を疑う1。


崇神天皇60年7月に、天皇が「武日照命(日本書紀)(建比良鳥命(古事記))(天穂日命の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根に無断で出雲の神宝を献上し、そのことが気に入らなかった出雲振根は飯入根を謀殺します。そのことにより出雲振根は大和朝廷に誅殺されています。


日本書紀では、崇神天皇は吉備津彦と武淳河別(タケヌナカワ)を遣わして出雲振根を殺したと書かれていますが、それはあり得ません。吉備津彦は孝元天皇の息子で、武淳河別は大彦の子です。時代が違います。崇神天皇よりも吉備津彦は三代前で、武淳河別二代前に活躍した人物です。武諸隅(タケモロスミ)はイカガシコオの孫、ウツシコオの曾孫です。


第163話で書いたように、古事記に「大吉備津彦命と稚武吉備津彦命とは、二柱相副ひて、針間の氷河(ひかわ) の前(さき)に忌瓮(いわいべ)を居ゑて、針間を道の口として、吉備国を言向け和したまひき。」とあります。このときに、大和(邪馬台国)と吉備は同盟を結んだと思われます。播磨(針間)にも四隅突出型墳丘墓の可能性がある墳墓が発見されています(周遍寺山1号墓、船木南山古墳)。


前号で書いた、原出雲国の四隅突出型墳からは吉備型器台や吉備の壺が必ず出てきます。原出雲国と針間(播磨)は、同じ国だったと思われます。同盟国だったからこそウマシマジは原出雲国に行ったのでしょう。


ところで崇神天皇が見たいと言った宝物とはなんでしょうか。

玉藻鎮石(たまものしづし)、真種の甘美鏡(うましかがみ)。押し羽振る、甘美御神、底宝御宝、山河(やまがわ)の水泳(みくく)る御魂。静珪(しづか)かる甘美御神、底宝御宝御宝主。、、との記述が日本書紀にあります。甘美御神(うましみかみ)とはウマシマジのこととしか思えません。


「玉菨鎮石(たまものしづし) 出雲人(いづもひとの)祭(いのりまつ)る 真種(またね)の甘美鏡(うましかがみ) 押し羽振る 甘美御神(うましみかみ)、底宝(そこたから)御宝主(みたからぬし) 山河(やまがは)の水泳(みくく)る御魂(みたま) 静挂(しづか)かる甘美御神、底宝御宝主」


ところで出雲振根ですが、大和の反逆者であることからその名に出雲が付けられた可能性があります。出雲振根の弟の飯入根(イイイリネ)は姓氏録には「土師宿禰・菅原朝臣の祖の天穂日(アメノホヒ)の12代孫の飯入根」とあり、同じく弟の甘美韓日狹(ウマシカラヒサ)は同じく姓氏録の「凡河内忌寸の祖で天穂日の13代孫可美乾飯入根」と同一人物ではないかと思われます。出雲振根も河内(大阪府)の人物だった可能性があります。


冒頭で「神宝が出雲大社に納められ、、」とありますが、崇神天皇の時代には原出雲国に出雲大社はありません。亀岡の出雲大神宮はあったかもしれません。出雲大神宮と出雲大社 ~亀岡、島根



※これまでの記事はこちらです。

※このプログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。

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