長命寺:武内宿祢と聖徳太子
- tootake
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第709話
長命寺は、滋賀県近江八幡市長命寺町にあります。山号は、姨綺耶山(いきやさん)で創建は、推古天皇27年とされています。開基は、聖徳太子と伝わっています。西国三十三所第31番です。聖徳太子は台与です。~第342話:聖徳太子は菟道稚郎子、第342話:聖徳太子は菟道稚郎子?!
琵琶湖畔にそびえる長命寺山(標高333メートル)の南西の山腹標高約250メートル辺りに位置しています。かつての巡礼者は西国三十三所第30番札所の竹生島宝厳寺から麓の港に船で上陸し、当寺に参詣していました。
長命寺の伝承によれば、景行天皇の時代に武内宿禰がこの地で柳の木に「寿命長遠諸願成就」と彫り長寿を祈願し、このため宿禰は300歳の長命を保ったと伝えられています。その後、推古天皇27年に聖徳太子がこの地に赴いた際、宿禰(武内宿祢)が祈願した際に彫った文字を発見したという。これに感銘を受けてながめていると白髪の老人が現れ、その木で仏像を彫りこの地に安置するよう告げます。太子は早速十一面観音を彫りこの地に安置し、当寺が創建され、太子は宿禰の長寿にあやかって当寺を長命寺と名付けたと伝えられており、その名の通り、参拝すると長生きするといい伝えられています。
こういった伝承の中で、しばしば「白髪の老人」が現れます。第691話:ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社では、飯野山神社の社伝によると、日本武尊がこの地に本陣を敷いたが時、兵粮が尽きて困り果てていた際に、老翁が忽然と現れて米を炊いて日本武尊に献上し、日本武尊が大いに喜び、祠を建てて祀ったことに始まるそうです。
「白髪の老人」はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。
そして、このブログでは、第324話で武内宿禰はウツシコオ!!としています
武内宿禰(たけのうちのすくね)は、景行天皇から成務、仲哀、応神、仁徳と12代から16代の五代にわたる天皇に仕えたとされる古代朝廷の伝説的な重臣です。
その在職期間を単純計算すると、実に200年以上となり、360歳以上の長寿を保ったと伝えられています。子孫も繁栄し、蘇我氏、平群氏、紀氏、巨勢氏、葛城氏など武内宿禰を共通の祖と仰いだ氏族は実に28を数えるといいます。初めて大臣に任じられたのは成務天皇の時代と伝えられていますが、これが日本の歴史上最初の大臣だとされ、戦前にはお札の肖像にも選ばれるほど国民になじみ深い人物でした。
武内宿禰は仁徳天皇55年に280歳で死去、帝王編年記では仁徳天皇78年に年齢未詳(一説として312歳)で死去したといわれていることなどから、架空の人物ではないかとも疑われています。しかし、三国史記には、倭王の命を受けて新羅を攻め、奈解尼師今王の子で舒弗邯の昔于老を処刑した于道朱君(うとうしゅくん)という倭人の将軍が登場し、復元された上代日本語における「ウチスクネ:内宿禰」の発音に対応できること、暦年研究から奈解尼師今の後継である助賁王や沾解王の在位年代が神功皇后の活動年代と同時代と見られることなどから、「于道朱君」はすなわち日本書紀の武内宿禰であり、武内宿禰は実在した人物であるとする説が唱えられています。~第327話:于道朱君の衝撃~新羅
武内宿禰は、景行天皇→成務天皇→仲哀天皇→応神天皇→仁徳天皇の5人の天皇に仕えたとされています。誰しもがこの記紀の記述には、疑問を抱いていますが、5人の天皇はすべて台与(豊)とすれば、疑問はなくなります。
景行天皇=成務天皇=仲哀天皇=応神天皇=仁徳天皇=台与(豊)
ということです。~第502話:武内宿禰はウツシコオ(2)
第578話: 景行天皇(第12代)と神夏磯姫 第580話: 仲哀天皇(第14代)とトヨ(豊)
第581話:応神天皇(第15代)は台与 第582話:仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳
第587話:推古天皇(第33代)は台与!
長命寺は近江八幡市の市街地の北方、琵琶湖岸にそびえる長命寺山の頂上近くの南側山腹にあり、1951年(昭和26年)に当時の八幡町に編入されるまでは蒲生郡島村でした。長命寺山の東側には大中之湖干拓地が広がっており、干拓以前の島村は文字通りの島であった。長命寺山の麓の船着場は安土への水路である長命寺川の入口にもあたり、交通の要衝でもありました。古代日本の交通の要衝には、ウツシコオ(内色許男命)・台与の痕跡が見えることは、このブログで述べてきたところです。
町明治本堂裏の六所権現影向石や修多羅岩(すたらいわ)」をはじめ、境内各所に巨岩が露出しており、かつての巨石信仰の名残と考えられています。巨石のあるところには台与の伝説が残っています。長谷寺では、泊瀬(はせ)の地を補陀落山に見立て、小泊瀬の険しい崖に懸崖造りのお堂を建て、自然湧出に見立てた盤石に観音を安置しています。「磐石に立つ」ことが長谷観音にとっては大きな意味があるのです。磐座神社の磐座(いわくら)とは、古代より神として信仰されている巨大な岩のことです。磐(岩)は台与のキーワードです。~磐衝別命と健磐龍命
・大阪府交野市に巨石があり饒速日(にぎはやひ)が天下った磐船神社になっています。
・熊野にあるゴトビキ岩(神倉山)が速玉大社の本宮です。祭神は高倉下です。
~第543話:熊野の神々は、、、
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このブログを書いているうちに、台与の足跡をたどっているうちに、西国三十三番と重なる場所が増えてきました。
第一番 青岸渡寺→第543話:熊野の神々は、、、
第二番 金剛宝寺(紀三井寺)
→名草(和歌山市)第590話:彦狭知(ヒコサチ)の物語2~珍彦(ウズヒコ)
第八番 長谷寺→第666話:元伊勢(13)~長谷寺・與喜天満宮
第十八番 六角堂(頂法寺)→第519話:六角堂と平安京
第三十番 宝厳寺(竹生島)→第705話:竹生島神社・宝厳寺 ~琵琶湖
第二十四番 中山寺→第706話:中山寺・清荒神・売布神社~宝塚市
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、吹田、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
※台与とウツシコオのコンビとは、以下です。前者が台与です。
神武天皇と八咫烏、フツヌシとタケミカズチ、神功皇后 武内宿祢、応神天皇と武内宿祢、
アメノウズメと猿田彦、ニギハヤヒ(饒速日)とナガスネヒコ(長髄彦)
聖徳太子と蘇我馬子・秦河勝、五十猛(イタケル)とスサノオ(素戔嗚)
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>
武内宿祢と応神天皇=ウツシコオと台与

白日別 - Wikipedia
建日別 – 國學院大學 古典文化学事業
<これまでウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)であることが判明した人物>
第374話:牛鹿臣はウツシコオ! 第371話:彦狭島命~吉備児島
第372話:建日方別:彦狭嶋命 第369話:神武西征~健磐龍命
第365話:君が代(2):君はウツシコオ 第363話:彦はすべて、ウツシコオ
第324話:武内宿禰はウツシコオ!! 第325話:天之日矛はウツシコオ
第326話:大日彦(オホヒヒ彦)~守口 第327話:于道朱君の衝撃~新羅
第328話:沙至比跪(サチヒコ) 第329話:アメノヒボコはウツシコオ
第330話:投馬国とウツシコオ~丹波(但馬) 第331話:朱智神社~迦邇米雷王
第333話: 牛頭天王(スサノオ)はアメノヒボコ?
第380話:猿田彦は異国人 第401話:犬養氏:スサノオは天手力男神=野見宿禰
第335話: 天道根命は道祖神=ウツシコオ 第334話: 大彦は、五十猛!
第336話:大屋彦~根の国は和歌山 第337話:阿多賀田須命~宗像氏
第338話:月読命(ツクヨミ) 第349話:天児屋命はウツシコオ!!
第357話:武甕槌神(タケミカヅチ)考 第317話:ひょっとこ:火男~天之御影命
第318話:空海のルーツは内色許男命! 第319話:和知津美命はワタツミ!!
第320話:欠史八代はヤマト=三島 第230話:三嶋溝抗命たち(複数)
第231話:神八井耳命は三毛入野 第232話:内色許男命は武埴安彦命!
第274話:八咫烏もウツシコオ 第275話:事代主もウツシコオ?
第279話:開化天皇 第280話:建角身命もウツシコオ
第263話:中臣氏~中臣烏賊津 第256話:ウガヤフキアエズのミコト
第244話:大津神社と建南方富命 第245話:豊御気主命は三毛入野!
第246話:高御産巣日神(高木神) 第247話:今迦毛大御神と天若日子
第249話:物言えぬ皇子~阿遅須枳高日子 第251話:猿田彦は塩土老翁神
第252話:迦毛大御神は崇神天皇! 第253話:キサガイヒメはウツシコオの母!
第354話:伊勢津彦はタケミナカタ =ウツシコオ 第254話:興玉命も内色許男命
第361話:宇都志国玉神と宇都志日金拆命 第394話:天御鳥命(武夷鳥命)は火の鳥
第395話:天日鷲命は、、、 第397話:獲加多支鹵大王(ワカタケル) =雄略天皇
◎hidemaru3375.com/post/ヒコユキからウツシコオへの過程