ヤマトタケルの足跡を訪ねて(1)~飯野山神社
- tootake
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更新日:16 時間前
第691話 #日高見国 #那良皇太子 #台与
原田常治氏の1976年に書かれた古代日本正歴史は、神社の伝承から日本の古代を探るという画期的な本でした。原田常治氏は、ヤマトタケルは実在した人物であるとされ、日本各地、特に東北にある神社の伝承から、ヤマトタケルは実在したと証明されようとされています。
このブログでは、ヤマトタケルは台与であるとしています。
~第439話:ヤマトタケルは台与
台与は13歳で邪馬台国の大王に即位したと魏志倭人伝に書いてありますので、実在の人物であることは、間違いがありません。そこでこのシリーズでは、原田常治氏が述べられておられる神社について調べてみることにしました。
飯野山神社は、宮城県石巻市飯野字宮にあります。
飯野山神社は、日本武尊(ヤマトタケル)が東征の際に創建した神社と伝わります。
飯野山神社の社伝によると、日本武尊がこの地に本陣を敷いたが時、兵粮が尽きて困り果てていた際に、老翁が忽然と現れて米を炊いて日本武尊に献上し、日本武尊が大いに喜び、祠を建てて祀ったことに始まるそうです。
このときの出来事により、炊飯の場所を「飯野」、米のとぎ汁が流れた先を「飯野川」という地名が生まれたと伝わります。
祭神は、稚産靈神 、大山津見神、保食神です。
配祀として、天水分神 少彦名神、國水分神、倭健命、那良皇太子* 、加具土命 、火産靈命 、大名持命が祀られています。
・稚産靈神の「稚」は「若」で台与のことです。保食神も台与です。
・大山津見神はウツシコオです。~第283話:大山祇は息長氏
たのです。
飯野山神社の社伝にある老翁が忽然と現れて米を炊いて日本武尊に献上しとあるのは、米がいかに貴重であったかを述べたもの作り話です。しいて言うなら老翁とは武内宿禰*です。武内宿禰は北陸及び東方に派遣され、地形と百姓の様子を視察した。帰国すると、蝦夷を討つよう景行天皇(台与)に進言したとされています。
*武内宿祢はウツシコオ(内色許男命)=スサノオ(津田の王)です。~第324話:武内宿禰はウツシコオ!!
*景行天皇は台与です。~第578話: 景行天皇(第12代)
このブログでは、第503話:日高見国~私見という気を書きました。
日高見国とは稲作を行っている国ということだというのが私見です。
8歳にして米作り又水路を開き、雨祈で、雨を降らせ、文化の興隆をなされた御人=ヤマトトモモソ姫=豊受姫は13にして、卑弥呼の後を継ぎ、ヤマト(邪馬台国)の大王となったのです。~第405話:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ??
これが魏志倭人伝のいうところの”とよ(乎止与命・台与・臺與)”です。
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<蛇足の追記>
*那良皇太子とは、私見ですが、哪吒太子の事だと思います。
哪吒太子(なたたいし)は、もともと仏教の護法神であったものが、中国でその後変容し、道教神となってしまった神です。子供の姿で描かれる哪吒は、その印象のとおり淘気(やんちゃ、暴れん坊)な神で、東海龍王を懲らしめる話の他、宝物の弓で石磯娘娘(せっきにゃんにゃん)の弟子を射殺す話など、封神演義には哪吒が所狭しと暴れ回る故事が記載されています。
次回に続く→ヤマトタケルの足跡を訪ねて(2)~都都古和氣神社
※これまでの記事はこちらです。
※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。
・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。
※このブログでは、魏志倭人伝:古事記・日本書紀の登場人物は三人だけとしています。
~古事記、日本書紀の作者(編纂者ではない)たちも魏志倭人伝しか資料がなかったのです。
記紀の登場人物をスサノオ(津田の王)=ウツシコオ(内色許男命)=難升米、卑弥呼=天照大神、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。
・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。
<目次>

卑弥呼の残像:元伊勢(10)~御杖神社
雄鋭神社
佐倍乃神社 - Wikipedia
日高見神社(石巻市)
https://genbu.net/data/kouzuke/mikosiro_title.htm 王城神社 - Wikipedia
熊野皇大神社 - Wikipedia 神社人 - 碓権現熊野神社
<台与シリーズ>
hidemaru3375.com/post/天鈿売命(うずめ)は台与(豊)
https://www.hidemaru3375.com/post/かぐや姫は、台与(とよ)
https://www.hidemaru3375.com/post/磐井の乱と台与
https://www.hidemaru3375.com/post/豊受姫(豊受大神)は崇神天皇
https://www.hidemaru3375.com/post/火明命は饒速日なのか??
https://www.hidemaru3375.com/post/豊鍬入姫命-日光と男体山・女峰山
hidemaru3375.com/post/台与と秦氏 敏達天皇は台与(豊)
衣通姫(そとおりひめ)は台与(豊) 雄略天皇は台与(豊)!
孝昭天皇は台与:日原は目原 飯豊王女は台与(トヨ)なのか?
金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(2)大原足尼命はトヨ 大宜都比売(おおげつひめ)は台与
倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトモモソ姫)はトヨ?? 神八耳命は台与(豊)
饒速日(ニギハヤヒ)は台与①~稲作 台与は饒速日②~交野市倉治
小楯姫は台与:小楯は枚方 四道将軍:日子坐王は台与!
少彦名大神(スクナヒコ)は台与! 大彦は台与!??
ウマシマジは台与! 阿蘇都媛は台与
沼河比売は小楯姫=台与 タケミカヅチは台与!!
ヤマトタケルは台与 瓊瓊杵尊:ニニギは台与
継体天皇はトヨ(台与)??! 継体天皇は台与2~大々杼郷:楯原神社
継体天皇は台与3~田井(寝屋川市) 英彦山と台与
山部赤人は台与! 八幡神は台与!!
とよ(乎止与命・台与・臺與) 台与の物語