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仁徳天皇(第16代)と大仙陵古墳

tootake

更新日:2月4日

第582話 #仁徳天皇 #大仙陵古墳 #台与(豊) #邪馬台国


仁徳天皇陵(大仙陵古墳)があるから、仁徳天皇は実在した人物であるとされるのは、岡田 英弘氏です(おかだ ひでひろ)、1931年 - 2017年

岡田 英弘氏は、日本の東洋史学者です。岡田氏は、古事記は偽書として否定し、日本書紀:応神天皇紀を分析し、結果として、応神天皇紀は応神天皇と無関係の説話をただ羅列しただけだとしました。


大仙陵古墳の存在から仁徳天皇の実在は疑えず、最大の古墳は初代天皇にふさわしい。

従って、仁徳以前の天皇は全て架空の人物である。

日本書紀:仁徳天皇紀は応神紀と異なり、説話の羅列ではなく具体的事績が多い、

その前の応神は、仲哀、神功と共に、仁徳以降の天皇と繋ぎ合わせる為に創作された人物であるとされておられます。また、直木孝次郎氏も岡田説と同様の説を唱えています。


一流とされる学者たちが、仁徳天皇陵があるから仁徳天皇は実在したという程度の認識しか持っていなかったのです。


現在、考古学上は仁徳天皇の陵であるとすることに否定的な見解が唱えられていますが、築造時期が5世紀前半~中頃との見方が確定することによって、むしろ文献史学上で想定される仁徳天皇の活動時期に近づくとする見解もあります。ただし、宮内庁が調査のための発掘を認めていない現状において、学術上ここが仁徳天皇陵であると確定することは不可能となっていることから、現在では、教科書などを含めて「大仙陵古墳」とされており、「仁徳天皇陵」は注記に「伝仁徳陵」となるに留まっています。


たとえ大仙陵古墳が仁徳天皇の活動時期と一致するとしても、大仙陵古墳は仁徳天皇陵とはいえないのです。なぜなら、仁徳天皇という名前(漢風諡号)は、代々の天皇と同様、奈良時代に淡海三船によって撰進されたものです。淡海三船が生まれたのは、養老6年(722年)ですので、それ以前は仁徳天皇という名前は存在しないからです。


記紀の作者たちのは、古墳(天皇陵)についての知識は全く無かったと思われます。

スサノオウツシコオ(内色許男命)・台与が死んでしまってからの記録が残っていないからです。そして、なにより現代の考古学者たちが古事記・日本書紀の記述を信じていることが問題です。


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仁徳天皇は台与です。


・魏志倭人伝では、卑弥呼が死んだあと大王(天皇)即位したと書いています。古事記・日本書紀が、正確に日本の歴史を書こうとする意志があったなら、古事記・日本書紀には台与(豊)の記事があるはずなのです。しかし、記紀は台与(豊)のことを徹底的に隠し、台与の代わりに様々な天皇を創作したのです。


第203話:堀江~仁徳天皇は崇神天皇!では、次のように書かきました。

古事記では、仁徳天皇の御世に、秦人を役(えだ)ちて茨田堤また茨田三宅を作り、また丸邇池(わこのいけ)依網(よさみ)を作り、また難波の堀江を掘りて海に通はし、、、、、」

日本書紀では「崇神天皇 即位62年、灌漑事業を行って依網(よさみ)などを開き大いに農業の便を図ったと伝えられる。」と書いてあります。このことにより仁徳天皇は、崇神天皇と同一人物と思われます。


第575話:崇神天皇(第10代)は志理都比古では崇神天皇=神八井耳命は台与としました。仁徳天皇=崇神天皇=台与(豊)です。


関連項目:第132話:仁徳天皇も架空の天皇!!

    :第344話~神八井耳命は聖徳太子聖徳太子伝説~堀江と茨田堤

    

※これまでの記事はこちらです。


※このブログは、御牧国(ミマキ国)が邪馬台国であるという前提の上で書いています。

・ミマキ国は、守口、寝屋川、茨木、高槻、枚方、交野です。

記紀の登場人物をスサノオ(津田の王ウツシコオ(内色許男命)、卑弥呼、台与(豊)に当てはめる作業をしているのです。

・今までのところ矛盾なくここまて書き続けています。矛盾している箇所があれば、その矛盾点をヒントとして次の記事としています。 


<目次>





あるとき仁徳天皇は、高殿から都を望んだところ、民の家々の竈(かまど)から煙が上がっていない事で、人々の困窮を知った。

その為、3年間の租税免除を決めたのだ。

その仁政が功を奉し、天候にも恵まれて再び民の家々から煙りが立ち上がった。

これを見た仁徳天皇は安堵し、大いに喜んだという。


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秀丸 遠嶽
秀丸 遠嶽
Feb 02
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